第二十一幕 ふしぎの夏のウタコ
「海だっ!」
時介がそう叫ぶと俺以外の三人は一斉に海へと駆け出して行った。
一方で俺は、そんな無邪気な後ろ姿たちを見送って、ジリジリとした砂浜の熱を感じながらただただ棒立ち。
楽しむとは言ったものの、彼らほどの弾けっぷりにはついていけない気がするのと同時に小恥ずさしさを感じる。
というよりも、運動で鍛えられた時介の体や、意識してなかったけれど意外と大人な体つきの水月、そして実の妹の穣らに混じってこんなもやしっ子な俺がいるのはとても気が引けてしまう。
ウエスト部分が白く、裾に行くにつれ赤のグラデーションが入っている今日の為にわざわざ通販で買った海パンを纏った俺はそれを海につけることなく日陰になっている海の家の軒先へ避難した。ただそこに居座るのもお店の人に迷惑かなとも思ったので、瓶のラムネを一本買った。
「美味すぎ」
夏と瓶ラムネのシナジーに感動しながら、海ではしゃぐ三人を見つめる。
数十分その場でずっと立ち尽くしていたけれども、通り過ぎるよその水着の女性たちから『ナンパの品定めをしている』なんてこそこそ言われているのに気付いてすぐに場所を移した。あいにくそんなつもりもないし、勇気もない。本当は海水浴場とは無縁の人間なのだから。
やがて、ひと通り水遊びを満喫した三人は揃って一旦海を離れ、ビーチパラソルやレジャーシート、ビーチボールを海の家に併設されている貸出所から持ち出していた。
「昼も過ぎたし、人が増える前に場所取りしておこうぜ」
「おー!」
「はーい!」
ビーチパラソルを肩で担ぐ隊長と化した時介とレジャーシートを持つ水月隊員、ビーチボールを持つ穣隊員は全く疲れを見せず、というよりむしろ余計元気になって海から戻ってきていた。なぜ何もしていない俺が一番元気無いんだ。
「時介兄ちゃん! あそこのかき氷売ってる屋台の近くで陣取りたいです!」
「お! さすが穣ちゃん! いいセンスしてんねえ!」
「じゃああそこまで競争よ!」
海の家から数十メートル先にあった別の屋台の方へ三人はまたしても元気に駆け出して行った。
はあ、まあ、俺もそっちに行くか。レジャーシートとパラソルがあればそこで眠れるだろうし。と、のそのそとついて行く。
海は多くの海水浴客で賑わっている。
映画だと水着美女と海イコール凶悪なサメなどの海洋生物という方程式が成り立つだろう。特に高島が好む映画ならなおさらだ。
そういえば英は高島とミニシアターに行くという約束を果たしたのだろうか。いや、約束というか、その場の勢いで高島が提案しただけだったので、この場合不履行でも特に問題はないだろうけれども。
ビーチボールを使って遊ぶ三人のさらに奥、ぼんやりと水平線を見つめる。
遠いなあ、なんて意味不明な感想を抱きながら、横になって俺なりの夏を満喫している。
聞こえてくる三人の会話や、他の海水浴客たちの声が徐々に自分とは異空間から聞こえてきているような感覚になる。
さながら一人映画のときの感覚に近いそれは俺を自然と眠りへと導く。
◇◇◇
ふと気付けば、周りに人の姿は一切なくなっていた。
時介も、水月も、穣も、ほかの海水浴客も、かき氷の屋台のおっちゃんも、海の家の店員さんも。
聞こえるのは波のさざめきと風のたなびき。
明晰夢か。
そう判断するのに時間はかからなかった。
おそらくまだ眠りについてからも間もないだろうし、三人は三人の時間を堪能しているだろう。ならばほんの少しこの夢を堪能させてもらおう。
広く静かな不思議な夏の光景だった。
服装は海パン一丁。夢の外の俺と同じ。
しばらく波打ち際を歩く。凶暴なサメが襲ってくる悪夢というわけでもなさそうだ。
さて、それまで全く気配を感じなかったのだけれども、どうやら全く人がいないわけではないようで、遠く先の防波堤の上に人影があった。
夢でなければ自分から人に用事もなく寄るなんてことはしないだろうけど、せっかくならできないことをしようという夢ならではの積極性を発揮してみようと思う。
近付くにつれ、その人影はデニムのショートパンツに、オーバーサイズの白いシャツを身に纏っている女性であるとわかった。
そのシルエットには妙な既視感がある。
波打ち際を離れて、防波堤の上へと足を運び、その先端にいる人影をじっと見つめる。
ああ、あの後ろ姿、そして銀色の髪。
英詩子だ。
俺の夢へ二度目の出演となる彼女。以前は一緒に映画を見に行ったあとだったから分かるのだが、今回の出演に関しては全くのサプライズで思わず目覚めそうになったけれども、もう少しこの明晰夢に居たいと踏ん張ってみた。
それにしても夏らしいその格好。一度も現実で見たことないその格好は恥ずかしながら俺の妄想なのだろうか。
ゆっくり、英に近付く。
彼女が俺に気付く気配はまだない。
時折強い風に揺れるセミロング銀髪の隙間から除く首元は、近付くにつれ妙に色っぽくこの目に映り、夢とはいえなんだかよからぬ気分になりそうだった。
「どうして英が?」なんていう疑問も、その風に飛ばされてしまったのだろうか、不思議とあたかもここで英と待ち合わせしていたかのような気持ちになって、俺の足取りはだんだんと軽快になっていく。
こうやって私服の英を見ると、学校一の不良も普通の女の子だ。まあ多少服装や言動はヤンキーめいたところはあるのだけれど。
彼女の後方五メートルほどまで近付いて俺は足を止めた。もう間違いなくこの後ろ姿は英そのものだった。
夢の外での彼女は今頃本家に帰っているはずだ。きっと息苦しいだろう。夏休みがあけたら今度こそ俺から映画に誘って、それが気晴らしにでもなってくれるといいな。なんて思いながら俺は声をかけた。
「詩子!」
喉から出てきた自分の台詞に思わずぎょっとした。無意識に名前で呼んでしまったけれども、これもまた夢、割り切ってしまおう。
呼ばれた本人がゆっくりと俺の方へ振り向こうとする。
また風が吹いた。
銀色の髪の毛の隙間から見え隠れする彼女の横顔。初めて英詩子の顔をちゃんと見たのもあのスクリーンでの横顔だった。
「……え」
俺は振り返る彼女を見て言葉が出なくなっていた。
泣いている。
彼女は、この不思議な俺の夢の中で、泣いていた。
それはあの日、スクリーンで見た泣き顔とよく似ていたけれども、少しだけなんだか違うような気がする泣き顔だった。
ああそうだ、家族の話をするときのそれによく似ている。
直後、俺は何かに頬を叩かれたような痛みに襲われた。
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