第二章
第二十幕 海へのチケット
窓の外では蝉がこれでもかと大合唱をしている。
「兄ちゃん、早く用意して! そろそろ出ないと電車間に合わなくなるから!」
そして窓の内では穣がこれでもかと声を荒げている。
ああ、夏休み。なんとか期末テストという巨悪を打倒し、静かで平和な夏休みを迎え入れることができた俺。しかし今日からまた騒がしくなるのだと思うと少し億劫ではあるが、同時に楽しみにしている自分もいてるのでこれがまた厄介なのだ。
期末試験の前に突如として組み込まれた海に行くという一大イベントの日をついに迎えたのだった。
慣れないイベント直前につき、俺は何度も持ち物の確認をしては「これはやっぱいらない」「これは一応持って行こう」「あ、モバイルバッテリーいるぞ」なんて試行錯誤。結果として家を出るギリギリまでこうして自室で頭を抱えているのだ。
「もう!」
しびれを切らして穣が俺の部屋へ扉を蹴破るようにして入ってきた。部屋の様子をみて目を真ん丸にした彼女。
「部屋汚っ! なんで服も荷物もこんなに散らばってるの!? たった一泊だよね?」
「い、いや、なんかこう、あれもこれもってなると……」
「あれもこれもじゃないでしょ! 着替えと、水着と、充電器とかとで大丈夫だから!」
「あ、ほら、トランプとか」
「……兄ちゃん実はめっちゃ楽しみにしてるんじゃ」
「いや、そういうわけじゃなくて、ほら、あった方が水月も時介も喜ぶかなって」
「その辺の遊び道具はどうせ時介兄ちゃんが持ってきてくれるから。最低限だけでいいの、ほら! これと、これと……」
妹とは思えないお節介っぷりで俺の代わりに迅速な荷造りを済ませる穣であった。すまない妹よ。
青葉台駅の改札前で待ち合わせをしていた水月は、オフショルの白いトップスに水色のフレアスカートを纏っている実に夏らしい清楚な恰好をしていた。ワンピース姿の穣と横並びで映るその光景は実に爽やかだった。
「ぎりぎりね、新太郎」
「まあ、いろいろあって……」
「遠足の前日みたいに眠れなかったとかじゃないの? ってか、随分見慣れない恰好ね。新太郎にしてはお洒落じゃん」
お洒落かどうかは別として、この日に合わせて通販で新しく買ったのだ。見慣れ無くて当然だろう。
白と紺のバイカラーシャツにやや丈の短いパンツ。これぞ無難高校生コーデだ、と言わんばかりの服装で仕上げてみた。
「そんなことより、電車もう到着するから。行くよ。新太郎、穣ちゃん」
「はーい!」
「はいはい」
電車の中には我々と同じく夏休みを堪能するであろう学生グループや家族たちで賑わっていた。
この中に夏も仕事に勤しむ社会人が混じっていたらそれはもう嫉妬の炎で焼かれて消えてしまうだろう。
ぼんやりとその中の一組の家族連れを眺めていた。
うちは両親の仕事の都合であのような家族みんなでお出かけっていうのは長らく経験してないけれども、そういう事情とはまた違ったあいつ、そう、英はどうなのだろう。
この夏本家へ帰省すると言っていた彼女は、いったいどんな気持ちで過ごしているのだろう。地元の劇場かなにかに足を運んでたり、部屋でDVDを見たりしてるのだろうか。家族や親戚に後ろ指をさされていないだろうか。
青葉台駅を出て数駅、その家族連れが下車する様子を目で追っていると入れ替わるように時介が乗車してきた。
「おっす! あ、穣ちゃん久しぶり!」
「時介兄ちゃんだ! って、もう日焼けしてるじゃん!」
「こちとら運動部なもんでな、お宅の兄貴と違って」
「うるせえ」
すでにサッカー部の練習でほんのり日焼けをしている時介の肩に軽くツッコミを入れる。
幼馴染の二人と妹。この四人がこうして同時に集い、どこかへ遊びに行くなんて久しぶりだった。
懐かしい、と思った俺だけでなく、ここにいる四人全員だった。
「懐かしいね、なんか。最後に四人で遊んだのっていつだっけ。穣ちゃんが中学上がってからは初めてだよね?」
「いやいや、それどころか俺らも小学生だったろ。新太郎が映画バカになる前だし」
「兄ちゃんももっと交友関係積極的になってくれたら……」
冷めた視線が俺を襲った。
そこからさらに数駅先で俺たちは特急列車に乗り換えた。
海、なんて言うから一体どこまで遠くに行くのかと身構えていたけれども、特急で1時間ほど、学生の俺たちだけも案外すんなりと行ける範囲で企画されていたようだった。
あれもこれも時介がリサーチしてくれてたようで、未成年だけでの宿泊についても事前に保護者の同意書なんてものも取り付けてくれていた。こういう細かい気配りこそ時介がモテる理由なのだろう。羨ましい。
さて、そしてそんな1時間ほどの車内でも座席をふたつずつ対面させて、これまた時介持参のトランプを小さな備え付けテーブルに広げて大富豪やらババ抜きを楽しんでいたので、案外退屈せず、いや、むしろもうちょっとトランプをやっておきたいと思うくらいであったけれど、目的地に到着したのだった。
「眩しい……」
同じ国とは思えないほどの日差しが降り注ぐ。
じめっとした暑さではなく、カラリとしたそれは、自宅でダラダラしている時よりも随分過ごしやすいなあと思ったけれど、そんな日差しが結局プラスマイナスゼロへと落ち着かせてくる。
「調べたら荷物はチェックイン前でも先に預かってくれるらしいから、まず旅館行って、そこから早速海だ!」
時介が陣頭指揮を執る。
穣はぴょんぴょんと飛び跳ねて、早る海への思いを抑えきれない様子だった。
そして水月も一見落ち着いてそうではあったけれども、やっぱりソワソワを隠しきれていない。
まあ、せっかくの夏休みで、せっかくの四人だ。
色々全部一旦置いといて、今日と明日は思いっきり楽しもう。柄にもないけど。
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