第十九幕 新太郎の夏
おおよそ試験に出そうなところはこんなもんか。
夕食後、依然として妙な感情が渦巻く己を正すために珍しく勉強と向き合うことにした俺は、ふと時計を見て我ながらその集中力に感心した。
ひと息つくために居間へ向かうと、中学生といえど同じくテスト前かつ年明けに受験を控えているはずの穣が余裕そうにバラエティ番組をソファで横になりながら見ていた。
「あ、兄ちゃん、本当に勉強してたの?」
「なんだその疑いの目は。俺だってやるときはやる男だぞ」
「切羽詰まらないとやらないじゃん……」
茶化す穣。事実なのでろくに言い返せない。
俺は手にしていたスマホを机の上に置いて冷蔵庫へと向かい、ひんやりと冷えたほうじ茶をコップに注いだ。
今年は梅雨がとても短かった気がする。もう夏はすぐそこだった。また今回は冷夏になるかもなんてニュースでは言ってるけれど、どうせいざ夏本番になれば冷房がかからない日もないくらい、アイスを求めない日もないくらいの暑さなんだろうな、なんて思いながらそれを飲む。
「兄ちゃん、今年の夏は私夏期講習でいない日が多いけど、ちゃんと朝昼晩食べて、冷房もつけっぱなしじゃなくて適度に換気してね。あと適度な運動と睡眠時間にも気を付けないと……」
「親みたいなこと言うなよ」
「お父さんもお母さんも夏はずっと働きっぱなしだから、代わりに」
「社畜か相変わらず」
「いい? 私がいないとどうせロクな生活を送らないんだから兄ちゃん。あーあ、水月ちゃんとか時介兄ちゃんに家に来てもらおうかなー」
「それはやめろ。ってか二人とも部活で忙しいから物理的に無理だぞ」
「ほかにだれか兄ちゃんの面倒見てくれる人いないのかな……」
なぜか英の姿が浮かんだ。
「いねーよ。てか俺はそんな手のかかる人間じゃねえ」
それを取り払うように頭を掻きむしりながら答えた。
「だれかこの引きこもり時々ぼっち映画の兄を救ってくれませんか……」
天井に向かって祈るような仕草をしながら俺を煽る穣。妹でなければ手が出ていた。
その時、先ほど机に置いた俺のスマホが鳴った。
「兄ちゃん、電話だよ。珍しく」
「珍しくねえ」
煽り性能抜群の穣から逃れるように俺はスマホを再度手に取り、電話に出た。
『もしもーし、新太郎』
電話の主は水月だった。
「なに、どうした」
『いやぁ、今日聞き忘れたことがあってさ』
電話越しでも溌溂とした元気な様子が伺える。
『新太郎、夏休み暇でしょ? 実は今年うちの美術部と時介のサッカー部が活動無い時期が被っててさ。八月の一週目なんだけど、そこで新太郎も誘って海行こうって話になってさ!』
「二人が部活休みの時期に、う、海? 八月の一週目?」
思わぬお誘いにオウム返し。
そんな様子の俺を見て穣は興味深そうにソファで聞き耳を立てている。
『そ、三人で出かけるのも久々だなぁと思ってさ。いけるよね?』
「え、いや、行けるというか、その……」
『もしかして川派だった?』
「そういう問題ではなくて……」
単純に映画館以外で人の多い所へ行くのに抵抗があるだけだった。三人で遊ぶならむしろ家でパーティーゲームをするほうがいいのだけれど。
と、答えあぐねる俺の横から、いつの間にかソファから移動してきた穣がスマホに向かって声を投げかけた。
「大丈夫です! 兄ちゃんは毎日暇なので行きます!」
「あ、おい、穣!」
『穣ちゃん! 元気にしてる? 今年受験だよね?』
「元気です! 受験も余裕です!」
電話越しには伝わらないどや顔を披露する穣。
『あ、そうだ、八月の一週目もし穣ちゃんも予定なかったら息抜きに一緒にどう?』
「いいんですか! ちょうど夏期講習も休みなんですよその期間!」
『やったー! 久々の穣ちゃんだ!』
「やったーです!」
俺を放置してなぜか話がどんどんと進んでゆく。
『じゃ、新太郎。詳しくはまた連絡するね! おやすみー!』
「ええ……」
「水月ちゃんおやすみなさーい!」
そうして通話が終了した。
俺の意志を無視して突然この夏に大きなイベントが決定したわけなのだ。
嫌なわけではないし、むしろ三人、いや、穣も含めその四人で遊ぶなんて小学生以来のことだったので、楽しみな気持ちも段々と溢れてきた。
ただ、目の前でしてやったりな表情を浮かべる穣はどうも気に障るので、軽く頭をコツンと叩いた。
海か。
水着とかはいるのだろうか。
というかそもそも、外へ着ていく夏服が少ないぞ。日帰りなのか、宿泊なのか。場所はどこだ。お金はいくら必要なんだ。バナナはおやつに、おっとそれは関係ない。
なんて考えながらベッドに横になる自分だったが、結果的に思いの外それを楽しみに感じ始めている俺がいることに気付いて恥ずかしくなった。
これはなおさら補講なんて受けてられないな。勉強頑張るか。
明日から。
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