第十五幕 ノッキン・オン・ヤンキー・ドア

 ハナブサグループのご令嬢としてこの世に生を受けた英詩子。


 両親は彼女に当然、家柄に沿った成長を期待した。いや、強要した。


 年の離れた兄は進学校へ行き、本人も将来はグループ会社の柱になると宣言していて、実に順調に育っていったそうだ。当然、彼女にも同じものを求めたし、そうなると信じていた。

 しかし、英詩子は違った。

 周りの子と自分との差に徐々に違和感を覚えていたのだった。自分は異質なのかもしれない。


 違和感が確信に変わるのにそう時間はかからなかった。小学生の頃、海外から転校生が来た。のちの生徒会長、高島キャリーというその子は自分と同じ、異質さに惹かれて、仲良くなれると思い、すぐに彼女に声をかけた。あっという間に仲良くなったと同時に、彼女は英以外の同級生とも仲良くなっていき、一気に馴染んだ。

 ふと、英は気付いたらしい。

 自分と同じ異質だと思っていた存在が、もう普通の、他の子たちと同じ存在になっていた。


 自分はなれなかったのに。どうして。


 中学こそは公立に進んだものの、そこでは友達と放課後に遊びに行くことを完全に禁じられた。勉強をしなさいと。

 英が傾きだしたのはそこからだそうだ。


 両親との衝突も、同級生たちとの衝突も、高島と距離を置きだしたのもその頃だった。



「今思い出すと初々しい不良だったなあ」


 家族との衝突、同級生との衝突、そして自分との葛藤もあったのだろう。そんな英の異変に真っ先に気付いたのは両親でも高島でもなく、年の離れた兄だった。


 締め切った英の部屋のドアをノックした兄が、わずかに開いたその隙間から妹に手渡したもの、それが例の映画のDVDだった。

 映画やドラマ、テレビなんて一切興味無かった英がそれを見るまではしばらく時間がかかった。


 家族の愛、絆を描いた作品。


「私からすれば、主人公の家族が一丸となって主人公を応援して、その夢に向かってみんなが同じ道を同じ車に乗って走ってたんだよ。私からすればそれは圧倒的非日常で、それは映画でしか存在し得ないものなんだ、って」


 当時の英がそれに魅了されるのに時間はかからなかった。

 せいぜい子供向けアニメの映画しか見てこなかった彼女が映画、そして映画館の存在を知って、逃げるようにその世界へと陶酔したそうだった。


「私にはそれで十分だった。どんなにリアルで嫌なことがあっても、例えば親に文句をつけられたり、学校からお叱りを受けたりしても、私は一人でいつでもそこへ逃げ込んだ。誰も私に干渉しないし、閉ざした心の扉を無理やり開けようとしてくる連中もいない。すごく至高だった」


 映画を見ている時だけ、彼女はハナブサグループの令嬢でもなく、学校一の不良でもなく、何にも特別でない、異質でない存在に慣れている気がしたそうだった。

 周りを気にすることなく作品世界に入り込める。

 だからあんなにも涙するのだろうか。


「映画って一人で見るものだと思ってた」


 話しながら英は少し目線を下に向けた。


「あの日、市川に見られて最初は焦った。あ、べつに普段ヤンキーっぽいのにこんな泣いてるとこ見られて恥ずかしい! とかではないんだけど、や、まあそれもゼロではないんだけど」


 下げた目線をゆっくりと俺の方に戻しながら続けた。


「私の逃げ込んだ世界を壊されたらどうしようって一瞬思った」


 誰にも言うな、と言ったあの日の彼女の顔を思い出す。


「でも、それは本当に一瞬で、よく考えたら自分以外の映画好きな人に初めて出会って、まあ兄とはほとんど会話がなかったから映画好きなのかどうかまでは知らないからさ、単純に『映画好きなやつってどんなだろう』みたいな興味が湧いてきた」


 エンドロール途中で帰った俺が、実は普段はちゃんと最後まで見るし、さらに同じく一人映画を嗜み、映画も好きだが映画館自体も好きという人間だと知ったとき、彼女は無意識に俺と話したいと思っていたそうだった。

 俺も無意識に英のことを意識したし、無自覚にもその閉ざされた心の扉を刺激していたみたいだったのだ。


 あの日から、具体的には中庭での会話やデオでの会話、補講、そして今日一緒に映画を見て、英が俺との色々を経てたどり着いた事を俺に教えてくれた。


「また一緒に映画を見に行きたい」


 それに対する返答は、考えるまでもない。


「行こう、いつでも」




◇◇◇




 今までにない感覚だった。


 結局あのあとは映画の感想や次に見たい映画のプレゼンをし合って、現地解散した。同じ最寄駅だから一緒に帰れば、と思われるかもしれないけれど何となく水月のニヤニヤ顔が浮かんで、そして英もきっとそれを浮かべてただろうか、二人意見違わずの現地解散だった。


 家に着くと穣が嬉しそうに出迎えてくれた。

 予め晩ご飯は家で食うと伝えていたのにも関わらず「本当に帰ってきたんだ?」なんて冷やかしてきた。異性と出掛けてるとは言ってないのに、さすが妹お見通しであるといったところか。


 穣には申し訳ないけれど、その日寝るまでずっと英詩子のことが頭から離れなかった。

 会話の反応が悪い俺に対して初めは眉間にシワを寄せて堀探ろうとしてきた穣だったけれども、そのうち何かを察したように会話を終えていった。



 普段学校で見るあの不良少女と、今日一緒に映画を見た英詩子がとうてい同一人物には思えなかった。

 もし彼女が両親に反発せずに過ごしていたらきっとハナブサグループの美人令嬢みたいにもてはやされてたに違いない。

 そう思えば英と出会えて、こうして映画の話で盛り上がれる友達ができている今、グレてくれてよかったなんて感情が浮かんでくる。



 友達?



 そこで俺は今までにない感覚に触れた。


 水月の顔を思い出した。そして次に時介の顔も。


 あの二人は間違いなく俺の友達だ。付き合いも長いし、きっと卒業しても何となくずっと付き合いが続くのだろうと思えるくらい。

 仮に水月が絵を描く才能を、時介がサッカーの才能を開花させて俺とは比べ物にならないくらい遠い世界に行ったとしても、きっとそれは変わらない気がする。自惚れかな?


 や、まあ、話を戻そう。


 こと英詩子について、出会って時間も経ってない同級生。

 多少不良少女として目立ってはいたけれども、俺からすればいわば有象無象の一人のはずだった。

 ひょんなことから距離が縮まったけれども、この感覚は何だろう。


 水月や時介のように、ずっと仲良しこよしの友達だというのとは違う。その他クラスメイトらとも、穣や家族とも違う。



 その日、俺は英と映画を見に行く夢を見た。

 あまりにもタイムリーに影響受けた夢に目覚めて早々、天井に向かって一人、なんでだよ、とツッコミを入れていた。

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