第十三幕 この映画館の片隅に
前評判はあまり信用しないのだけれど、ま、あながち間違っては無いそれは、本来ならある程度信用してかまわないものなのだろう。
映画レビューサイトで例えばアクション映画なら「抜群の爽快感!」と評され、ラブコメなら「笑ってほっこり!」だったり。最近では作品サイドからご丁寧に「大どんでん返し!」みたいな評判の押し付けも多いのだけれど、商業作品として映画産業存続のためにはそれは致し方ないとは思っている。
俺としては正直、前評判がどうだろうが、作品サイドがどう謳ってようが、そんなの関係なく劇場で映画は見るし、そんなレビューも「ふうん、なるほど、これはこんな作品なのか」程度に目を通していて、それが俺の鑑賞感に影響を及ぼすことはないと自負している。
が、今日、俺は初めて、それに疑いの目を向けることとなった。
原因はあの日と同じく隣で映画を見ている不良少女、英詩子。
シリーズ第三作目にあたる海外のアクション映画を互いに違う味のポップコーンを抱えながら見ているわけなのだが、おいレビューサイト、おい映画評論家、おい予告編、そのすべての中にはひとつも『泣ける』なんて書いてなかったぞ!
「……んだよ市川ぁ。……見んなよぉ」
なんて小声で呟く英のスクリーンに照らされる瞳は涙であふれていた。
ほとんどあの日と同じ光景だった。異なる点と言えば、俺は難なく右を向いて彼女のその似つかわしくない泣き顔を存分に拝める点だった。
いや、泣く要素なんて無いぞというツッコミはマナーの面と身の安全の面から喉元にとどめておくことにした。そこからあえて隣を見ないようにはしたけれども、どうやら度々彼女の涙腺に触れるシーンはあったようで、何度も何度も目元にハンカチを押し当てているようだった。
エンドロールが流れ終わり、スクリーンの証明がふんわりと灯った時、目に入った彼女はハンカチで顔を完全に覆っていた。
「……まだ泣いてるのか?」
ここまでくると意外というよりむしろ面白くなってきて、半笑いで問いかける。
「うるせぇ……」
ハンカチのせいか、こもった声で力のない反論が飛んでくる。
「だめだなぁ……。誰かと一緒なら我慢できると思ったんだけどな……」
英の感受性の豊かさを改めて痛感した。
これがあの学校一の不良少女と言われている者の真の姿なのだ。あの日映画館で腕を使われるまで抱いていた恐怖や嫌悪なぞもうどこにも無く、それはむしろ、ちょっと可愛らしいくらいだった。いや、変な意味は無く。
顔を隠すようにハンカチを覆ったままの英は、きっとその目に溜まった涙が乾ききるのを待っていたのだろうけど、なんとなく俺もそんな彼女を急かす気も起らず、ただ座って待っていた。
いつの間にかほかのお客は皆退出しており、やがて清掃道具片手に入ってきたスタッフの、冷ややかな、それはきっと早く出てくれないと次の上映の準備ができないんだけど、みたいな視線を浴びて、ようやく「英、そろそろ出ようか」と提案した。
入場ゲートを出るとすぐに、英はお手洗いに駆け込んだ。
休日、大混雑のこの映画館の片隅で俺は立ち尽くしていた。
券売機の列に並ぶ学生風のカップルに目が留まって、ふと疑問が浮かんだ。
——このあとどうしよう。
そう、俺たちはただ映画を一緒に見ようと行ってここに集まったのだ。映画なんて長くても二時間少しあれば終わってしまうのに、それ以外なにも話していないし、しようとも思うことは無かった。
こういう時は、近くのカフェか何かに行って少し時間をつぶしてから解散すべきか、いや、カラオケとかの方がいいのか? 英ならゲームセンターとかの方がいいのか?
答えが見つかる前に英が戻ってきた。
「おまたせ。パンフレットだけ買ってくる」
「え、ああ、俺も買おうかな」
「なんとなく毎回上映後に買っちゃうけど、前に買うか後に買うかどっちがいいんだろうな」
「あー、確かに。前に買ったらネタバレとかちょっとバイアスかかった見方しちゃいそうで、後に買ったらさっき見たばっかなのにもう一回確認のために見たくなるし」
「めっちゃわかるんだけど」
なんて答えのない会話を続けながらグッズストアに並んで、二人別々に会計を済ませた。俺は荷物が増えるのを嫌って、背負っていたリュックに袋に入れてもらったパンフレットを収納した。英はそのまま袋を左手に持ち、ストアを出た。
なんとか思考を働かせて会話を続けているけれど、この後どうするべきかという事ばかりが頭を何度も過っていた。
結局、俺も英もたださっきの映画の感想を話しながら、何となく出口の方へ足を進めていた。
さて、先も述べた通り今日は休日、映画館は大混雑だった。
エレベーター前は帰りのお客とこれからのお客とでごった返していた。
そんな中を眼鏡をかけたスタッフがひとり、混雑回避のため誘導をし続けていた。
「お帰りのお客様、あちらにエスカレーターもございます! そちらをご利用くださいませ!」
会話の合間に俺とふと目が合った英は、エスカレーターから降りるか、と問いかけてきたので、それに従うことにした。
ショッピングビルの八階にあるこの映画館、以下のフロアは雑貨屋だったりブティックだったりが入っているのだけれど、映画館と変わらず休日の賑わいを見せていた。
「人多いのは苦手なんだよな……」
エスカレーターに差し掛かってすぐに英はそう呟いた。
「意外だね。もっとこう、遊んでるものかと……」
「人を見た目で判断すんなよな」
ため息を吐いて英は続ける。
「こう人ごみにいると、生活に拘束されてる気がして息苦しいんだよ。でも家にいてもそれは同じ。だから逃げるために、誰も干渉しない映画館で、スクリーンの中で過ごすのが好きなんだ」
自分の息苦しい生活から逃げようとする分、より作品に、登場人物に感情移入をしてしまうんだろうな。と、思った。
下りのエスカレーター、彼女の後ろから少しだけ見下ろす横顔はやはり寂しそうだった。
七階に降り立ち、そのままさらに下の回へ向かうエスカレーターのところへ足並みをそろえて進もうとしたところで、学校一の不良と、それに不釣り合いな陰キャラの並びに対して、戸惑うような声が投げかけられた。
「え、新太郎と……英さん……?」
俺の幼馴染、クラスメイトの森水月が七階のレディースファッションストアからちょうど出てきたところだった。
彼女は目をまんまるにして。俺と横並びで歩く英を見つめていた。
しまった。
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