第十幕 そして兄になる

 悶々。

 自室のベットの上、ジャージの部屋着でスマホ片手に俺は唸っていた。


 今日の放課後、もとい補講を例によって早々に切り上げて俺と英は同時に部屋を出たのだけれども、その時英から高島のせいで言えなかったことを告げられたのだけれども、その内容に俺は悶々としていた。


 スマホの画面をつける。例によって通知なし。

 メッセージアプリのフレンドは両親、妹の穣、時介、水月。画面をスクロールするまでもないそれは、確かに空しいのだろうけれど、俺は一切そこで悩んだことはない。が、今。俺はこのフレンドの画面で悩まされている。


 先述のとおり、両親、穣、時介、水月と並んだその一番下に『英詩子』の名前が加わっていた。


 補講を終えた俺に英の方から切り出してきた、「連絡先教えてよ」と。二つ返事で快諾した。

 それだけではない、さらに英からこうも告げられた。


「来週末映画見に行かね?」


 どうせ特別予定のない俺だったが、流れで快諾してしまい、それを聞いた英は揚々と「その日が公開のあのアクションのやつ見ような!」とだけ言い残して去ってしまった。


 後に残ったのは悶々とした感情で、俺はとりあえずその感情を自宅まで持ち帰ったはいいものの、置き場に困ってひとりベッドで唸っているというわけだ。


 来週、映画、そして明言はしていなかったがおそらく英とふたり。


 英詩子は見た目は不良であるが、女性である。そう、異性。


 悩んだ末に時介にこうメッセージを送った。


「時介、女の子と二人で出かけるって何を意味してる?」


 返事は早かった。部活もそろそろ終わったころだったのだろう。


『なんだ急に、水月とどっか行くくらい別に今までもあったろ』


「いや水月だったらわざわざ聞かないだろ」


『は?』


 詳細を文字化しようとしていたら時介から電話がかかってきた。


「おい、新太郎。くわしく」


 口角が上がっているのが通話越しでも分かった。


「いや、ざっくり話すとだな、映画に誘われて……」


「だれに」


「それはちょっと……」


「……」


「おい時介、聞いてるか、こっちは割とマジな話を」


「英か」


 ギクリ、心の中ではっきりとそんな音が鳴った。


「ははーん、ビンゴだな」


「いや……。なんで……」


「お前の受けてる補講にサッカー部の友達の友達がいてだな、どうやら随分と親しげに話してしかもこの前は一緒に帰っていったそうじゃあないか」


 これは人をからかっている時の時介の反応だった。

 俺はベッドから立ち上がり、通話越しに見えもしない身振り手振りを交えながら事情を説明した。

 おおむね理解はしてくれたようだが、すっかり時介は『その気』である。

 一応言っておくが、英詩子が映画で号泣していた話は省いて説明した。


「映画好きだって話が合って、それで流れで、ねえ」


「教えてくれ、イケメン時介、モテ男のお前の見解を頼む」


「英だろ、あいつのことだ、別にお前なんか意識してねえんじゃねえの」


「そ、そうだよな」


「お前は思考が童貞過ぎるんだ。まあその場を見てないから俺も何とも言えんが、不良少女がそんなに色恋に純情なわけがない、仲のいいダチ扱いだろうな」


「それならよかった」


「ま、せいぜいパシリにはされないようにな」


 こういう話を時介に、いや誰かにしたのは生まれて初めてだった。

 通話の切り際に水月にも相談しようと思うといった俺に対して時介はそれを全力で止めにかかった。「水月には言わない方がいい」だそうだ。

 理由はよくわからないけれどもサッカー部レギュラーのモテ男時介様がそうおっしゃるのならそれに従うまでだ。


「兄ちゃん、晩御飯できたよー」


 居間から穣の呼ぶ声がする。

 来週末、俺はダチの英と映画に行く。以上。この話は一旦考えるのをやめよう。


 そうして部屋を出て居間へ向かった。


 

 相変わらずサイドテールを揺らしながら台所で支度をしている穣を見ながら食卓に着いた。今日も両親は帰りが遅い。


 ふと、英から借りた作品の内容を思い出していた。


「家族か……」


 生活サイクルが両親とかみ合っていない俺たちは、父と母と穣と俺の四人がそろってこの食卓を囲むことは長らく無い。

 会話があったとしても「風呂」とか「飯」とか「寝るわ」程度だ。


 しかし親は俺たち兄妹をちゃんと見てくれているし、誕生日だって一応毎年祝ってくれている。

 英はどんな環境で暮らしているんだろうか。


「なあ、穣」


「なに兄ちゃん」


「家族ってさ、必要?」


「え、こわ、何その哲学」


「いや、素朴な疑問」


 ふざけたような質問にも関わらず穣はしばらく悩みながら支度を済ませて食卓へとやってきた。


「物理的には無くても生きていける。現に私は料理好きだし、掃除洗濯も疎ましくない。お母さんもお父さんも、今は学生だから必要かもだけど、正直私が大学生になってもし一人暮らしとかしたら、就職して仕事で食べていけるようになったら、物理的には無くてもって思う、正直」


「なるほど」


「でもね、やっぱり帰りが遅くて、起きたらもう仕事に行ってて、会話がないってのは寂しい。私の場合、こうやって当てのない帰宅部の兄ちゃんがいるから寂しくなくいれるけど、もし兄ちゃんがひとり暮らしを先に始めちゃったらとか考えるとそれは寂しくて死んじゃうかも」


「大袈裟な」


「大袈裟じゃないよ。もし今、兄ちゃんの帰りがもっと遅くなったり、どっか行っちゃったりしたら、私泣くかも」


「どこも行かねえよ」


 思ったより湿っぽくなってしまった空気を打破してもらうため、俺はテレビをつけてバラエティ番組の話題へと切り替えた。

 それに対していつも通り笑顔で答える穣。


 俺や穣はこうやって家族と会話できることが当たり前だから、失うことを穣みたいに不安を感じるのだろう。

 じゃあ、英は。


 そういえば結局、あの借りた作品の英の感想、まだ聞けてなかったな。



 その夜俺は、来週末は英からその感想を聞くことと、早めに家に帰って穣に兄の顔を見せることを誓って眠りについた。

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