第七幕 英家の一族
摩訶不思議。
比較的慎重な俺は誰かに何かを発言する時はいつも、言葉が喉を通る際にいくつもの検問を経て例えば「これは俺にとって不利益だ、却下」「これは相手によからぬ印象を与える、却下」などと、それはもう厳しい税関の如くリスク管理を行なっているのだ。
けれどもどうだ、先程から英詩子に対しては完全にフリーパス状態、や、厳密には検問を待たずして勝手に言葉が喉を通るのだ。
そして、そんな英からの「うちに来いよ」という発言に対して耳を疑っている間に知らず知らず発せられた俺の前向きな返答には全俺が「しまった」。
「おっけ。んじゃ、ここからそんなに遠くないから、さっさと行こう。あ、レンタルだけしてくるわ」
「え、英の家も青葉台?」
「『も』?」
青葉台、とは地名であり、散々志都美丘から三駅先と述べてきたこの地のことであり、そして、俺の家の最寄駅でもあった。
そういえば電車に乗る時、英には切符を買う様子もチャージする様子も見当たらなかったけれど、既にチャージ済みか定期券範囲なんだなとぼんやり思っていたそれがまさかの事態である。
「なんだよ、それならそうと早く言えよ」
「いや、特に聞かれなかったし……すみません」
「わざわざ謝るそれじゃないんだけど。ま、いいや、てか市川の家は北口方面? 私は南口の方だけど」
青葉台の駅はそんなに大きくない。というか各駅停車しか止まらないことから察せるほどの小さな駅だ。英と初めて喋ったあの日のシネコンに行くのにも、途中で急行に乗らなければとても不便な地である。
当然出口も少なく、街の北と南にそれぞれ通ずるものしかない。ちなみに俺たちが今いるデオは南。
「うちは北」
幸か不幸かそれぞれ自宅は逆方面だったらしい。
英は軽く、ふーんと唸った後、良いことを聞いたみたいな邪気を感じない笑顔を見せてセルフレジへと向かっていった。彼女はいつの間にか五本の新作作品を手に持っていた。
本当に好きなんだな。映画。
◇◇◇
そして連れられるまま英の自宅の前まで来てしまった俺は、きっと間抜けな表情を晒していただろう。
目をまん丸にして、英宅……や、違うな、英邸を眺めていた。
「金持ち……」
またしても検問を待たずして本音が漏れる。
立派な門が俺を出迎え、アプローチ両脇では綺麗に整えられた草花が彩りを添えている。
それはまるで、映画でしか見たことないお屋敷だった。
「英ってお嬢様だったのか……」
「意外?」
「意外って、まあ……。というか否定しないんだ」
「いや、苗字で気付いてるかなと思ってて」
英という苗字の知り合いは一人しかいない。それは当然英詩子だけ。そんなに多くはないであろう英姓の聞き覚えなんて……
「英……。あ!」
あった。
ハナブサグループ。
大手観光会社を母体とする会社群のそれは、この国ではおそらくある程度の認知度を誇る企業だった。
「うちの一族の誰かがそこのトップ張ってて、親父がそのまたグループ会社のトップらしいんだよ」
英の口からトップを張るなんて聞けばどこの不良集団の話だ、とツッコミを入れたくなるけれども、引っかかったのはそこじゃなかった。
「らしい?」
そんな俺の素朴な疑問を聞かずして、いや、どう見ても露骨に聞こうとせず、英は俺を玄関へと招き入れた。
あえてそれ以上の詮索はしないでおこう。
外観からの想像通り、屋内もご立派な造りになっていた英邸、さすがハナブサグループといったところか。イメージ通りのお金持ちの家の廊下を歩く。
もう人の目も気にならなくなっていて、今度は英の真横に並んで歩みを進めていた。
いざ横に並ぶと、外見こそは不良だけれど、俺より少し背の低い彼女はただのクラスメイト同然の様に感じる。不良の威圧感や、それらは無かった。
さて、ハナブサグループ御令嬢詩子様のお部屋へと案内されているわけだけれど、さぞ広くてベッドには天蓋なんか付いちゃって、なんてのを想像していたのだけれど、そんな妄想は一瞬で殴り飛ばされた。
「ま、入れや」
ついさっき、廊下までは立派な英邸だったのに、この部屋はどう見てもすごく一般的な、や、ひょっとすると俺の部屋よりも少し狭いくらいの部屋だった。
ただ、窓以外壁一面に天井まで高く棚が備え付けられていて、そこにはびっしりとDVDやブルーレイ、そしてVHSまであった。
「すげえ……」
圧倒的な量感にただでさえ乏しい語彙力がさらに失われる。少し狭く感じるのは壁一面のそれのせいかもしれなかった。
英は棚のほうに足を進めて、そこから一本、デオで俺に見せた空のパッケージと同じ黄色のそれを取り出した。
「こんだけいっぱい持ってるなら、もっと広い部屋に置けば良いのに……。ほら、一応お嬢様にあたるんだし」
「一応って失礼な」
うっかり本音が。その見た目でお嬢様は誰も信じない。
「ま、小さい頃から家族に反抗的だったんだから、そらこうもなるよね。この身なりも私なりの一族への反抗だよ。まあ中身は伴ってないから、ただの不良を演じてるだけかもね」
英は続けた。
「家族が私に求めることと、私が家族に求めることが違いすぎるんだよ。私はグループ会社に入るつもりもないし、勉強で良い大学に入ろうとも思わない。それが気に食わないんだろうね」
「だから厄介払いされてるのか?」
「や、一応一人娘だからたぶん大事にはされてる、と思う。ただお互い気まずいし、私もこんな広い家は蕁麻疹出そうになるからこの狭い部屋を自室に選んだんだよ」
「そうか」
「グレてれば家族は私を諦めて自由にさせてくれると思ってさ」
本当に映画の様な話だった。
少ししんみりとした空気が流れたのに気付いた英は手に持っていた黄色のパッケージのDVDを俺に突き出してきた。
「レンタル期限は特に無いし、見終わったら学校で返してくれればいいから」
「学校? でも教師とかに見つかったら没収されるだろ?」
「大丈夫大丈夫、鞄の奥に入れておいて、帰り際にでもさっと渡してくれればそれでいいからさ」
些細な校則さえ破れないチキンハートの俺にはなかなかに難しい問題だった。
一応代替案も浮かんだ俺だったが、それは学校外、つまり休日にわざわざ返却のために英に会いに行くというそれは俺にはまだ出来なかったので脳内会議の結果取り下げに至った。
そこで俺はふと、いま、自分は女の子の部屋にいるのだ、と認識した。
急に恥ずかしくなって、話もそこそこに俺は切り上げようとした。
「じゃあ、見たら返しに行くよ」
「うん、それで良し」
帰路。
借りたそれを手にしたまま、俺は北口方面にある自宅に向けて再度駅の方へと足を進めていた。
途中、数名同じ志都美丘の制服を着た生徒とすれ違った。
目下の懸念点。
俺が校内随一の不良少女、英と行動を共にしていたこと、そして英の自宅に上がり込んでいたことを誰か生徒に見られていないかどうか。
正直、あの補講を同時に抜け出した時点でもうそれはグレーであった。
そしてまあ志都美丘から三駅しか離れていないここだ、俺や英と同じく、最寄駅としている生徒はそう少なくはないだろう。
森水月もその中の一人であるのだけれども。
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