第六幕 放課後戦線異状なし
放課後。
制鞄を両手で抱きかかえるようにして俺は英詩子の二メートル後方をキープしながらついていく。
我が志都美丘高校から駅までは徒歩で十分ほどなのだが、今日はいつもの倍遠く感じる。こんなにも緊張感のある放課後は今までも、これからも、無いだろう。
さて、補講から撤収した俺はなぜか英に面を貸せと言われ、いや、もうあの言い方は脅迫に近かったのだけれど、目的地を知らぬまま彼女について歩いている。
ふと、俺はなぜ素直に従っているのだろうと思うけれど、抵抗しない方が身のためだと俺の直感がそう告げる。
さて、駅に到着し、無意識にズボンのポケットに入っている定期入れに手を伸ばしたが、ここで英が校舎を出てから初めて口を開く。
「デオ」
たった二文字だったが、俺はそれだけで彼女が俺を連れて行こうとしている目的地を理解した。
「デオ行くのか?」
「市川は専ら映画館派か?」
「そんなことない。俺もレンタルは頻繁に」
そう、デオとは志都美丘高校の最寄り駅から三駅先のところにある大型レンタルビデオショップのことである。もちろん俺も会員だ。
「俺をデオに連れて行きたかっただけ……?」
「なんだよ。せっかく映画の話ができるダチができたんだ。こういう沢山の作品のパッケージに囲まれながら話せば、わざわざ『好きな映画はなんですか』みたいな回りくどいQ&Aを繰り返すより簡単にお互いの嗜好が分かるだろ。借りた作品の傾向とか、陳列棚への目線とか」
これが不良のコミュニケーションか。
お互いの心の距離を恐る恐る探りながら、仲良くなるか表面上の付き合いだけになるかのシーソーゲームを繰り返す俺たち陰キャラのそれとは格が違う、なんて実践的なんだ。
「んだよ、嫌かよ」
「そ、そういうわけじゃ……」
「じゃ、行くぞ」
そこからデオまで、また無言の時間が続いた。
電車の中でも英とは人二人分くらいの間隔を取っていた。
◇◇◇
学校帰りにこういう場に立ち寄るのは特段校則違反というわけではないのだけれど、彼女と行動を共にしているというだけで一気に悪いことをしている気持ちになる。
ありもしない監視の目に怯えて少し目を泳がせながら、英に続いて自動ドアをくぐった。
毎週毎週新作がレンタル開始されている昨今、中間テストも相まって数週間ぶりに訪れるデオの新作棚のラインナップは随分と見違えていて、俺も英も何も言葉を交わさず無意識に新作棚へ足を進めていた。
「うわ、これもう借りれるんだ! なあ市川、これ見た?」
人気アメリカンコミック原作の映画を手にする英。彼女のスマホケースのキャラクターの敵役が主役の作品だった。
「見たよ。英ってアメコミが好きなのか?」
「アメコミは映画見て面白くて、じゃあ原作も読んでみるかってくらいだからそこまで詳しくはないけど、まあ好きだな!」
眩しい笑顔でこちらを見てくる。かの邪智暴虐の不良のイメージからは想像もつかない。
「私はでもこういう系の方が好きなんだよなぁ」
アメコミ映画のそれを陳列棚に戻すと、その右段にあった作品に手を伸ばした。
「意外……かも」
彼女が新たに手にしたのは紛れもなくヒューマンドラマと呼ばれるジャンルのそれだった。
「劇場で見て感激したんだこれ。群像劇なんだけど、海外の少年少女たちの心の揺れがすごいリアルで、そこに宗教の話や社会の理不尽、そして恋。あとメインヒロインの女優さんが実はこれが銀幕デビュー作品で、その初々しさもあって等身大の演技がマジで最高なんだ。演出も完璧で、特に湖畔のシーンでの母親とのやりとりのカメラワークなんて絶妙で、風景の描写と登場人物の感情が見事にリンクしてて……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
「あ……ごめん、ひょっとしてまだ見てなかった? 見てる前提でめっちゃネタバレ話しそうに……」
「そうじゃなくて……」
俺は早口で映画の魅力を語る英の顔を正面から見てハッとした。
涙目になっていた。
きっと彼女は劇場でこの作品を見たときも、あの日の様に泣いていたんだろう。作品を思い出しながら語るうちに思い出し泣きをしてしまっていたようだ。
が、俺には英に対して真正面から「泣いてるじゃん」なんて揶揄う勇気は全くなかった。
俺の次のセリフを待っていた英はその長すぎる沈黙の間に、ハッと自身の涙目に気付いたようだった。
「やべっ……」
咄嗟に背を向ける英。
思えば真正面からちゃんと英の顔を見たのはこれが初めてだったかもしれない。
今までは対峙してもどこか視線が定まらないというか、まあ単純にビビっていて、完全にビビらなくなったわけではないけれど、俺の中でのイメージは極悪不良少女から、普通の同級生くらいになっていた。
「なあ……」
背を向けながらこちらに話しかける英。
「本当にあれ、誰にも言ってないよな」
当然。
時介にも水月にも穫にも。
「私は涙腺が貧弱すぎるんだよ……。映画でもそうなんだけど、テレビドラマやアニメでも泣くし、しかもこれってだいたい泣くとしても最終回だろ? でも私この前ドラマの二話目のペットが行方不明になる回で号泣したし……。あとテレビCMでも泣いた」
「CMで泣くことってあるの?」
突然の泣き虫カミングアウトに驚いた。や、まああの日のスクリーンでの泣きっぷりからして当然といえばそうなのだろうか。
「私あんまり家族とうまくいってなくて、唯一歳の離れた兄貴とはちゃんと話せるんだけど、そんな兄貴が持ってた映画のDVDを小学生の時に見て、それなら感激して映画にハマったんだ。家族と仲悪いと家で感情をあんま出さない分、しわ寄せが来ちゃって、もう映画への感情移入が止まんなくなっちゃってさ」
自身の過去を話しにくそうにボカしながら、泣き虫への言い訳を語る英。相変わらず背中を向けている。
「初めて見た映画って何?」
無意識に会話を広げてしまっていた。
俺史上最もスムーズなコミュニケーションだと思った。
ゆっくりこちらに顔を向ける英。泣き止んではいたが、目は赤い。
そして、あの日ホワイエで引き止めた時と同じように俺の右腕をパッと掴んだ。
「こっちだ」
英はそのまま俺を旧作棚の方まで引っ張っていった。
強引に、というほどの力ではなかったが俺は全く抵抗出来ずにずるずると引っ張られて行く。
「あ、あった」
びっしりブック陳列されている旧作DVDのコーナーの中にから、英は一本のケースを引っこ抜いた。
黄色を基調としたそのジャケットには、家族と思われる数人が笑顔で駆けている様子が写っていた。
「私が人生で初めて見た映画、兄貴に教えてもらって、初めて泣いた映画……」
どんな映画なの? と聞くまでもなく、あらすじをどこか寂しそうに語る英。
「バラバラな家族が、娘のためにマイクロバスに乗って仲を深めて行くロードムービー的な要素もありつつ、家族愛っていう私からしたら想像もつかないものを見せつけてくる。音楽もいい、落ち着く……」
「有名だよな。でも俺実はそれ見たことなくて……」
「そうなのか?」
「自分が生まれる前の映画ってさ、数が多すぎてレンタルでもなかなか追いきれないじゃん? 見よう見ようと思いつつも、なかなか手が回らなくて。しかもそれ、今もレンタル中じゃん」
英が手にしたそれは、空のケースだった。
さて、ここまで相手は不良少女ではあるが、ごくごく平凡な異状無き高校生の放課後の一コマをお送りしてきたのだけれど、この俺の「見たことない」発言が、とんでもないイベントを誘い込むことになった。
「じゃあ今日私が貸してやるから、うちに取りに来いよ」
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