第五幕 さらば青春の居残り

 ところが以来、まるっと二週間、俺は英と会話するどころか出会いもしなかった。


 意図的に避けていたわけではない、理由は実に単純。そう、我々学生の本分。

 中間テスト期間に突入したからである。

 時介や水月と違って帰宅部な俺は特に普段と変わらないのだけれども、周りの波にのまれて、勉強に精を出している風を何となく装っていたので、あれ以来映画館にも行かずまっすぐ時介と一緒に帰っていた。学内でも学食にも行ってないため、余計に英とは出会う機会が無かった。


 さて、まっすぐ帰宅した俺だが、さぞ勉強しているのだろうと思いきやそれがそういうわけではないのだな。自分で言って恥ずかしいのだけれど。

 自宅で勉強が捗る、そんなわけなかった。無意識に部屋の掃除の方が捗るし、不意に手に取る漫画を読みふけたり、そしてなにより何回も見つくした映画のDVDを一気に見るという愚行を繰り返しあっという間に中間試験期間を迎えたわけだった。


 返却されたその結果は、言わずもがな。


「俺は頭は良くはないが、唯一勝てると思っている人物がいる。それがお前だ新太郎」

 

 机に突っ伏して現実逃避を試みる。


「素直に私らに勉強見てほしいって頼めばいいのに……」


 時介と水月がそんな俺を哀れに見守る放課後だった。


 自慢ではないが俺は頭がよろしくない。いや、ぼんやりとした表現はやめておこう。馬鹿だ、俺は。

 毎回、いかに赤点の科目を最小限に抑えるかを目標に、言い換えれば少なくとも一科目は赤点になる前提でここまで学生生活を送っていた。

 不幸にも今回、二年生一学期の中間試験にて俺は過去最低の四科目赤点を食らってしまったのだ。


 そしてこれは友として自慢なのだが、時介も水月も頭が良い。

 時介は得意不得意がはっきりとしているが、文系科目に長けて、総合的に良い成績に。水月は何を隠そう学年トップクラスの才女である。

 水月にしろ穫にしろ、なぜ俺の周りの女性陣は頭が良いのだろうか。


「これでしばらく趣味の映画鑑賞はお預けね」


 水月が呆れたように告げる。

 我が高校では赤点三科目以上で二週間の特別補講が課せられてしまうのだ。

 入学以来初めて俺はその対象にひっかかってしまったというわけだ。とほほ。


「私たちのクラスから唯一の補講よ?」


「ま、自業自得だろ。やったな新太郎、オンリーワンだぜ?」


 好き勝手に言われた。

 甘んじて受け入れよう。




 さて、翌日。放課後。

 例の補講がいよいよ始まるわけだが、空き教室に集められたその面々は成績不振で有名な各クラスの代表が見事に集まってざわついていた。お互い顔見知りなのだろうか、低得点自慢をし合っていた。

 特に知り合いのいなかった俺は黙って一番真ん中の後ろの席に座り、補講の担当教師が来るのをじっと待った。

 実際ここにくるのは初めてなので、いったいどういう形式の補講になるのか、少しの緊張が体を巡る。


 その時、部屋に一人の女子生徒が入ってきて、そのざわつきが止まった。


「げ……」


 英詩子もまた、補講対象者だった。


「あっ」


 彼女も俺の姿を確認したらしく、ちょうど空席になっていた俺の右側の座席についた。


「映画好きな人ってなんか賢いイメージだったんだけど、市川はそうじゃないんだな」


「それブーメランだぞ」


 英の問いかけになんの躊躇もなく答える俺。そのやりとりを見た他の生徒たちがさっきまでのざわつきとはまた別のざわつきを見せる。

 そうか、英は不良生徒で名が通っているんだ。


 そんな英と普通に言葉を交わす陰キャラ市川新太郎に周りの生徒は驚きざわついたようだ。

 あれ以来結局二週間会っていなかったはずなのに、何故かすんなりと彼女の問いかけに答えられている俺自身も驚いていた。


 まもなく教師が入ってきて、そのざわつきと、俺と英の会話を全て止めて、補講の概要を説明しだした。

 ところが、俺以外の受講者は常連らしく、「言わなくても分かるよね」というふうに形式だけ済ましてさっさとと教室を後にした。


 補講の内容は自習だった。

 課題のプリントさえ終わらせれば帰宅して良いらしい。それを二週間続けるそうだ。


 俺は思わず呟いた。


「こんな甘々でいいんだ……」


 それに反応したのは右隣に座る英詩子だった。


「馬鹿に構ってる暇なんてないんだよ、学校も。墜ちるやつはとことん墜ちてしまえってな」


 不良と揶揄される彼女がいうと妙に説得力があった。

 


 さて、俺は馬鹿だが、実は馬鹿ではない。

 矛盾しているような発言だけれど、そう、馬鹿だけれども、こういうその場凌ぎの場においては、妙にずる賢くなるのだ。

 課題のプリントを「終わらせれば」よいのだ。

 馬鹿みたいに教科書片手に調べ物しながら解き進めている周りの生徒が哀れよのう。

 颯爽とこの居残り部屋を退散して俺は映画館に行くのだ。


 と、ここで、俺が右手に持ったシャープペンシルを筆箱にしまおうとした時。俺より早くに席を立った生徒がいた。

 教室中の生徒の視線が後方に集まる。


 その生徒は英だった。思わず話しかけてしまった。


「もう終わったのか?」


「別に、こんなのテキトーだよテキトー」


「まあそうかもだけど……」


 立ち上がり、制鞄を左手に持った英はふと俺の机の上のプリントに目を移した。


「市川も似たようなもんじゃん」


「言うなよ……」


 露骨に適当がバレないタイミングで切り上げようとしていた俺に水を差された。


 次に彼女から発せられた言葉に俺は耳を疑った。

 いや、俺と、この教室にいる他の生徒も同じく耳を疑っただろう。


「市川ちょっとツラ貸せよ」


 不良漫画でしか聞いたことがないその言葉に、周りの生徒は俺に同情の視線を送る。

 ああ、この市川新太郎とかいう陰キャラは、不良少女英詩子に目をつけられて校舎裏でボコボコにされて金品を要求されるんだ、みたいな視線。


 一瞬俺もヒヤリとしたか、その彼女の表情から見て取るに、そんな展開には至らないと判断して俺は辿々しい返事をして、英の後を追って教室を出た。



 後に、このことで新たにあらぬ噂が流れたのは言うまでもない。

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