第四幕 素晴らしき哉、映画
停止。
軽い会釈でその場を去ろうとしていた俺をぴたりと止めたのは、ヤンキー少女英詩子の昨日映画館でも見た恐怖の表情と突き刺すようなセリフだった。
「だれにも言ってねえだろうな」
「もももももももちろんです! は、話すような友達少ないですから!」
「なんだ、映画館でも学校でもぼっちなのか」
男勝りのようなその喋り方に俺は恐怖心を煽られるばかりであった。不意に浮かんだ「あなたもぼっち映画でしかも絶賛ぼっち昼休み中なのでは」というセリフはグッと喉元で堪えた。
英詩子は頭の先から足の先まで俺を見てこう尋ねてきた。
「お前、一年?」
「あっ、いえ……二年です」
「なんだよ、同級生じゃん。何組? 名前は?」
「あっ、B組の、えっと、市川新太郎っていいます」
「市川か。よろしく、私はE組の英詩子」
「存じております……」
そう答えると彼女は不機嫌そうに返してきた。
「どうせ不良だなんだって理由で知ってたんだろ。だから昨日も逃げて、いまも逃げようとしてるんだろ」
ギクリ。
回答に困っていると、やれやれと言った表情で英詩子はこう続けた。
「だから……」
口元まで持って行きかけていたサンドイッチをすっと下して彼女は話す。
「市川も思ってる通りのイメージをみんなに持たれてるだろ、私。煙草とか吸ったことないし、むしろあんな煙いの苦手だし、姉妹喧嘩以外で人に手を挙げたことないし、まあ、入学当初からこんなナリでこんな喋り方だからしゃーねえとは思うけどさ」
予想外のカミングアウトはまだ続く。
「本当は普通に高校生活したかったよ? でもこんなイメージついてしまったからにはそれを演じる必要があるだろ、逆に、平穏な学校生活の為には。だから私が映画をひとりで、しかもあんな泣ける映画で見事に泣いてたなんて知られてみろ、もういよいよ学校には来れない……」
サンドイッチを持っていない方の手で顔を覆う英詩子。
衝撃のあまり俺は彼女に対して薄い同意しか返せなかった。
同情。
俺の中に生まれた英詩子に対する新たな感情だった。似たものをどこか感じたけれど、今の学校での立場を何の苦労もなく受け入れている俺には想像できないくらいの苦労を彼女はしているのだろう。
しかし同時に沸いた疑問がこちらだ。
「……どうして俺にそれを話してるんです?」
いくら弱みを知ってしまったからといって、昨日出会って今日、いきなりそんな込み入った身の上話をされても困るというのが実際のところ。
むしろなにか脅迫へのアプローチなのではないか、と考えてしまう。
「敬語はやめな。同級生だぞ、市川」
「う、うん」
はあ、とひと息ついて英詩子が言う。
「映画好きに悪いやつはいないと思ってるから、かな」
満面の笑み。
少しドキリとした。
咄嗟に視線を彼女から逸らすと、彼女の座る脇に裏返しで置いてある彼女のスマホに目を向けた。
そのカバーは、アメリカンコミックの人気キャラをあしらったものだった。
「英さんも、映画が好きなんだ?」
「呼び捨てでいいって、めんどくさいやつだな」
ほんの数分とは思えない距離の詰められ方に怯んだ。
「映画も好きだけど、映画館も好きなんだよ。あの何かが始まりそうな空気、ま、間違いなく映画が始まるんだけどさ、あの吸い込まれるような空間がたまんなく好きでさ。でも近場の映画館だと誰かに見られる可能性があるだろ、だから、昨日会ったシネコンまでよく行ってるんだ」
俺の映画や映画館に対する思いをなぞるように英は語った。
とても楽しそうに。
俺も映画の話をするときはこんなに楽しそうな顔をしているのか、と思うとさらに恥ずかしくなった。
「俺も……そうだな、映画も映画館も好きだな」
「まじか! ここまで話が合う人が同学年にいたとか、もっと早く教えてくれよな……」
「いや、それは……」
まったくの偶然がもたらした出会いは昨日の今日ですごい勢いで俺を味わったことのない感情へと追い込んでいた。
もう、さっきまで抱えていた恐怖心や不安感は無くなっていた。
「やっと映画で話せそうなやつに出会えてよかった……素晴らしいな。映画って、交友関係も広がるんだぜ」
交友、え、友達?
という気持ちが顔に出てしまっていたようだった。
「なんだよ、不良少女はお断りって顔してんぞ」
「い、いや、そんなことは……!」
「なんかおすすめの映画とかあったら教えてくれよな!」
そう言い残すと英は残っていたサンドイッチを一気に口の中へ放り込み、脇に置いてあったスマホをブレザーのポケットに入れて、「じゃっ」とこの場から立ち去ってしまった。
教えるも何も、連絡先も知らないし、わざわざ俺がE組に顔をだして「英! 映画語ろうぜ!」なんて国民的アニメのキャラが野球を誘うがごとく英に声をかけるなんてできるだろうか、否。
俺の平穏高校生活にイナズマが走ってしまう。
それにさっきの話を聞くに、俺のようなキャラが気さくに話しかかてくるっていう事も、不良少女というイメージに囚われる彼女にとってもよろしくないんじゃないだろうか。
なんにしても。
「映画を話せる友達……か」
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