第二幕 ヤンキー・怒りのホワイエ

 拍子抜け。

 聞いたことないくらい間抜けな返事が俺の口から漏れた。


「はえ?」


 学校一の不良少女・英詩子の口から俺に放たれたのは「金を出せ」や「このこと黙ってないと殴る」とか俺に危害を加える脅しではなく、そう、注意だった。

 エレベーターは俺たちを乗せずに扉が閉まり、階下へ。


「だから、お前、さっきスタッフロールが流れ出した瞬間外に出て行っただろ?」


「え、あ、はい……」


「あんまり自分の価値観押し付けるのは好きじゃないけど、あれ、スタッフロールのあとにまだちょっと本編続いてたんだよ」


「え!?」


「だから何先出て行ってんだよって……。お前志都美丘だろ、その制服。赤の他人ってわけでもねえし教えておこうって」


 噂に聞く極悪不良少女とは思えないほどの親切だった。いまの英詩子からは不良要素などほとんどなく、強いて言うなら外見と右手を握る力の強さくらいであった。


「あ、いえ、お手洗いにちょっと……」


 俺は嘘ではないけれども言い訳を述べた。すると、彼女は申し訳なさそうな表情に切り替わり、さっと俺の右腕から手を離した。


「なんだ……そうだったのか、それなら悪かった」


「いえ……こちらこそ教えていただきありがとうございます……」


 幸いにも泣いていたところを見てしまった事については何も触れてこず、ひょっとして噂に聞くほど悪い人ではないんじゃないかな、なんて思っていた。


「ネタバレになるから内容までは言わないけど、絶対劇場で見直した方がいいってことだけ伝えておく。私も今年に入って一番感動したんじゃないかな……」


「そ、そうなんですね……。結構泣いてましたもんね……」


 迂闊。

 一瞬で英詩子の顔が真っ赤になり、眉間に皺をよせ俺を睨んだ。さっきまで俺の腕をつかんでいた拳は強く握られ、震え、少し顔を下げてこう呟いた。


「……たな」


「あっ……いや……」


「見てたんだな……」


 三度目にして最大級の冷や汗が全身から溢れる。

 油断した油断した油断した。

 

「ごめんなさいっ! たまたま視界に入ってしまって!」

 

 人目を憚らずぴっちり九十度頭を下げた。


「顔上げな……」


 歯を食いしばってその指示に従った。


「このこと、ほかのだれかに言ってみろ……。ぶん殴るからな……!」


 地獄のような空気がホワイエに流れた気がした。

 静かな物言いに潜む圧倒的な威圧感に恐れをなした俺は高速で頷き、そのままエレベーターの再到着を待たずして隣接されていた階段に向かってその場から逃げ出した。

 去り際に英詩子は何かを言っていたような気がするが、そんなこと全く気にも留めず、八階から一階まで無心で駆け下りた。

 帰宅部の俺が体育以外でこんなにも体を動かしたのは高校二年の春にして、高校生活初めてだ。


 その日は各駅停車で座って自宅最寄り駅まで帰った。普段は急行でさっと帰る分、いつもより時間がかかったため、英詩子の恐怖を考える時間が不覚にも増えてしまったことは、明日からの学校生活への不安感を煽るばかりだった。

 さよなら、俺の平穏。明日から不良のパシリ人生が始まるのか?

 いや、むしろこのことを弱みとして握れば彼女より有利な立場で……いや、できない、腕っぷしで負かされてそれまでだ……。


 自宅に着いた俺は考えるのをやめた。



 夜。

 眠りにつきかけた俺の目を覚ましたのは、夢に出てきやがった英詩子だった。

 学校一の不良が、まさかお涙頂戴必至の悲恋ストーリー映画を映画館で見ていて、しかも泣いていたのだ。そのインパクトだ、夢に出てきてもおかしくないだろう。

 

——それに、あいつもひとりで来てたような。


 スクリーンで見た彼女の横顔を思い出す、途中からまともに右側を見れていないが、どう考えてもひとりで来ていた風だった。しかも俺と同じ放課後に制服で。


 意外。

 俺の周りの人に映画好きを公言する人は少ないし、多少話が合っても毎週のように映画館に通う人はいない。

 何も自分の周りに限った話ではなく、これは国民全体に言える話だそうだ。そもそも映画館で見ないという割合も多いという統計をネットで以前見たことがある。


 英詩子に対する恐怖感と、明日から……いや、もう日付が変わっているから今日からの学校生活の不安感は変わらないけれども、不思議なことに俺の脳内会議の中には「映画の話をできる仲間が増えたじゃん」と発言する少数派が現れていた。ええい野党め、自分のリスクも考えず気軽に発言するなよ、なんて彼らを一掃してから再度俺は眠りにつこうとした。


 しかし、その後の俺は日の出までの記憶がしっかりと残っていて、結果として目の下に立派なクマをつけて朝の支度をした。



「あれ、兄ちゃん、今日はデイゲームだっけ?」


「だれがプロ野球選手だよ、俺は一端の帰宅部員だ」


 朝から回りくどいジョークを飛ばしてきたのは妹の穣。中学三年にして俺よりはるかに頭のいい、兄がこう言うのも気が引けるがまさに才女だ。

 中学の制服を身にまとい黒髪の長い髪の毛をサイドテールに束ねていた。いつものスタイルだ。

 穣は俺ほどではないが人よりは映画に詳しい。というのも、俺の部屋にあるDVDやブルーレイをしょっちゅう勝手に借りて見ているからである。

 劇場で見て何度も見たいと思った作品の円盤の購入に俺は抵抗が一切ないため、本棚には本よりもディスクの方が多く陳列されている。彼女曰く「兄ちゃんのおかげで鑑賞料金が浮いてありがたい」だそうだ。



「私、もう学校行くのと、塾があるから帰りは遅めだよ、お父さんもお母さんもいつも通り遅いから、兄ちゃん晩御飯よろしくねー」


「はいはい……」


 今年いよいよ受験を控えた穣はいやに張り切っている。そんなに勉強しなくても今の頭でも俺の通う志都美丘よりいい高校に合格するだろうに。


 穣が用意してくれた朝ごはんを食すため俺はダイニングチェアに腰かけた。

 さっとご飯食べて、さっさと俺も登校しよう。


 

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