海の見える高台のお店

恭ちゃんのお店は駅から車で5分くらいの高台にある。


海がよく見える絶景で、きっとここが知り合いのお店じゃなくても、

帰省する度に来ているだろうと思う素敵なお店だ。



10台は停められそうな駐車場は既に満車だけれど

麻衣は慣れたように、一番奥のブルーグレーの車の前に自分の車を停めた。



「これ、恭ちゃんの車やから大丈夫!

明日香、要冷蔵のお土産とか、下ろすものないの?車、灼熱になるよ」



麻衣は中高と「おかん」ってあだ名がつくくらいしっかりした子だったけど、

それは34歳になっても変わらない。


本物の「おかん」になって、磨きがかかったくらいだ。



「おっとり」と言えばいくらか聞こえはいいが、

要はボーッとしていて要領の悪い私は、

彼女にずいぶん助けられたものだ。


田舎の女子の世界とは、げに恐ろしきかな。

一つの判断ミスがその後ずっと尾を引く。

この街から出ない限り、親になっても、学生時代の上下関係はずっと続くのだ。



好きなものを好きと言える自由があるのは、発言力のある一部の女子だけ。

そうではない他の多くの女子は、彼女たちの機嫌を損ねないよう生きていかなければならない。


好きなアイドル、好きな色、好きな雑誌、好きなお菓子、好きな人に至るまで。

幸運にも誰ともかぶらなければいいけれど、

もし誰かと同じものを挙げてしまったら最後、


「それは○○が好きだから。あなたはこれでしょ」と変更を強要されるのが常だ。




私は大学進学でこの街を出て初めて、

誰の顔色も窺わず、

自分が一番いいと思うものを好きだと公言できたし、

それが誰かと同じなら、共有するという楽しみ方を知った。



そんなややこしい世界で、麻衣は末っ子特有の要領の良さを発揮して上手く生きていた。


「そーなんやー。でも麻衣も好きやからなーごめんなー」

と、ケラケラ笑って言える強さがいつも羨ましかった。



一方私は、要領が悪く鈍臭く、いつも何かしらの面倒事に巻き込まれるタイプだった。

私が察知できていない地雷を踏みそうになっている時は、いつも麻衣が助けてくれた。


◇◆


カランカラン

ガラスのドアを押し開けると鈴が鳴る。


案の定店内は満席、お盆と言う時節柄かファミリー連れが多い。


私たちに気付いた店員が席を案内してくれる。


reservationと書かれた札が置かれている、この店で一番海がよく見える良い席だ。



「麻衣ちゃん、明日香ちゃん、いらっしゃいませ」


席に着くと、恭ちゃんの奥様の純ちゃんが、厨房から出てきてくれた。


「純ちゃん、お久しぶり。お忙しい時期なのに、こんな素敵なお席を用意してくれてありがとう。」


純ちゃんは高校の同窓生だが、彼女は数理科だったから、普通科の私たちとはほとんど交流はなかった。

いわゆる「顔と名前は知っているけれど…」な、間柄だ。



難関の数理科の成績上位の常連で、国立も狙える位置にいた彼女が、一体どういった経緯でパティシエになったのか、私は何も知らない。


けれど純ちゃんの作るお菓子は、優しくて穏やかで暖かくて。

フランスに留学した時、ホストファミリーのおばあさんが焼いてくれた、素朴だけれども、懐かしくてワクワクするあの感じの...


つまるところ最高に美味しいお菓子だ。


聡明な純ちゃんが選んだ道の正しさは、このお菓子たちが証明している。



「久しぶりに東京から帰ってきたんやし、大した事はできないけど、出来る限りのおもてなしさせてもらうわ」

穏やかな笑顔を浮かべて、仕事に戻っていく純ちゃん。



お喋りな麻衣が、純ちゃんの前で大人しくしているのは、彼女なりの気遣いなのだろうと思う。


まぁもっとも純ちゃんは、麻衣のことも高校の同級生とは思っていても、それ以上でも以下でもない気はするが。




◇◆

シェフのお勧めコースをオーダーして、前菜が届くのをお喋りしながら待っていると、

フルートグラスを持ったウェイターさんが近づいてきた。


「こちらシェフからでございます。長旅お疲れ様でございました。ノンアルコールはどちらのお客様でしょうか?」


「ノンアルコールは私でーす!そっちの呑兵衛にはアルコールたっぷりで」

麻衣が元気よく大きな声で答える。



「いくらでも飲めます!みたいな顔してるのにね」下戸には見えない麻衣だが、1滴飲むと真っ赤になる可愛いやつだ。


「う、る、さ、い、な!あんた酔っ払ったらめんどくさいから程々にしときなさいよ〜」

昔から変わらない、オーバーリアクションに、コロコロ変わる表情、そして丸くて大きな瞳。

麻衣は、いくつになっても「可愛い」と言う言葉がしっくりくる女性だ。


ウェイターは私に向かって微笑みかけた

「お料理とペアリングしたワインもご用意しておりますが、全てシェフにお任せでよろしいでしょうか?」


「もちろん!最高のマリアージュを期待してるとお伝えください」



「マリアージュ。結婚式か!」

精一杯の毒を吐く麻衣を横目に、海を眺めながらアペリティフを楽しむ。




「何、このシャンパン」


甘ったるいスパークリングは苦手だ。

余計に喉が渇くから。


炭酸が強すぎるスパークリングも苦手。

アペリティフにはならないし、お酒の味も料理の味も楽しめない。


「私、心から美味しいって思ったシャンパンって、今までそんなに出会った事ないんだよね。」


いつだったか恭ちゃんと、そんな話をしたことを思い出した。




「明日香が心から美味しいと思うシャンパン、一生懸命探してますよー」


そう言いながらオードブルを運んできたのはオーナーシェフの恭ちゃんだった。


「明日香がそれ飲んで、しげしげフルートグラス眺めてるとこ見たいなーと思ってたんよ!

原さんほんまタイミング完璧や」


「原さん?」

誰だったかと首を傾げる私に、


「さっきのウェイター」と、麻衣が解説してくれる。


「おかえり明日香。帰ってくるの久しぶりやろ?ゆっくりして行けよ!

麻衣もうちの店を選んでくれてありがとうな。

ほなまた後ほど」




これで、何度目のおかえりだろう?


そんなに良い思い出はない地元だけれど、こんな私にもこの街で「おかえり」と笑顔で迎えてくれる人が居る。


いつまでも変わらないでいてほしい。

この街も、この街の人も。

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