第120話 ポピルの決断

 ポピルがじっとダーチャのアジトを窺っていると、二人の男が入口から出てきた。


 一人は先ほどスキーネを連れてきたときにライフルを担いでいた小柄な男。だがもう一人は腕の太い大柄な男ではなく、初めて見る顔だ。何やら話している様子の態度から察するに、どうも小柄な男の上司にあたる立場らしい。というのも小柄な男が指示を受けてペコペコしているからだ。


 どうする? まだ様子を見るか?


 ポピルは考えた。ナナトがここを去ってからまだ十五分ほどしか経っていない。ツアムの姐御あねごたちを連れて帰って来るにはしばらく時間がかかるだろう。あの大きな建物の中に何人いるのかはわからないが、ここに来てからというもの人の出入りはほとんどない。こうして考えている間にも、連れ去られたスキーネが中でひどい扱いを受けている可能性だってある。


 ポピルは腹をくくった。


 やおら立ち上がり、アジトに向かって歩いていく。おそらくツアムたちを待つのが正解だろう。だがスキーネの現状を心配するポピルには、もう待つことは耐えられなかった。


「本当に尾行もしちゃならねえですかい?」


 人さらいの弟分が確認のために訊き、兄貴分が頷いた。


「そうだ。おかしらの命令だ。そいつを見つけても何もするな。ただしどこへ寄ったか、誰に会っていたかは覚えておけ。いいな?」


「へい」


 命令を承諾した小柄な男は早歩きで街の中へ去っていった。兄貴分は踵を返し、金貨の枚数を数える作業を続けるべく部屋へ戻ろうとする。


 アジトの中へ入って数メートルを進んだとき、突然背後から声を掛けられた。


「動くな。両手を挙げろ」


 聞き慣れない若い声だ。兄貴分は言われた通り立ち止まり、両手を挙げる。


「ここが誰の住まいかわかっているのか? てめえ、無事じゃすまねえぞ」


「御託はいい。ダーチャという奴のところへ案内しろ」


 兄貴分は聞こえるようにため息をついた。


「いいか? これは警告だ。今引き返すなら何も聞かなかったことにしてやる。てめえは喧嘩を売る相手を間違えて…」


 バン!


 背後で銃声が鳴り響き、兄貴分の斜め横の前方の壁に穴が開いた。思わず兄貴分の息が止まる。背後に立った男はそれ以上何も言わなかった。


「…わかった。付いてこい」


 兄貴分は振り返らずに歩き出した。


 ダーチャの部屋の扉を開けると、ダーチャは机の前で往復しているところだった。入ってきた部下の顔を見やり、冷厳に尋ねる。


「ヌスタか。さっきの銃声は何だ? どうしてお前がここに…」


 ダーチャは言葉を切った。ヌスタと呼ばれた部下は両手を挙げながら部屋へ入り、その後ろから銃を構えたポピルも足を踏み入れる。ポピルはヌスタからダーチャへと銃口を向けた。ダーチャがポピルを睨みつける。


「誰だおめえ?」


「俺が誰かはどうでもいい。スキーネを解放しろ」


 ダーチャは困惑の表情を浮かべた。ヌスタは両手を挙げながら振り返り、そこで初めて自分を脅してきたのが年端もいかない青年だと気付く。


「誰だと?」


「とぼけるな。ついさっきこの建物へ拉致してきたブロンドの女性だ」


「おかしら、こいつが言ってるのは人さらい組が連れてきた女のことです。今地下牢にいます」


 ヌスタが説明し、ダーチャは得心がいった。


「ああ、そうことか。いいだろう。女を連れてどこへでも帰んな」


 ヌスタが驚愕の色を浮かべた。脅しに屈して誘拐してきた獲物をみすみす差し出すなどいつものダーチャでは絶対に考えられない判断だ。郎党を率いる長として面子めんつが立たない。


「おかしら…いいんですか?」


「今はガキに構っているどころじゃねえんだ。用が済んだら早く出ていけ」


「もう一つ」


 ポピルが一歩前へ進み出る。


「モネアは今どこにいる? 居場所を教えろ」


 ダーチャが目を細め、ヌスタはポピルに対して気色ばんだ。


「こいつ…! 図に乗るんじゃねえぞ。おかしらが女を連れて失せろって言ってるんだ。これ以上つけ上がるなら…」


「待て」


 ダーチャが制し、ポピルを見据えて尋ねた。


「そいつに会って何をする気だ?」


「拘束する。戦ってでもな」


「…私怨か?」


「お前には関係ない」


 冷静に答えたつもりだったが、ダーチャはポピルの瞳に宿る憎悪の念を容易に見抜いた。間違いない。私情を聞くつもりなどさらさらないが、このガキはモネアに復讐を考えている。


 使えるかもしれん、とダーチャは考えた。


 現状、ダーチャにとって最良な展開はやはりモネアに消えてもらうことだ。モネアが行方をくらましたとなれば、たとえモネアの後ろ盾であるベネアードとかいう奴があとから手付金を返せと部下を寄越しても、金など受け取っていないとしらを切り、モネアが横領したのではないかと返答できる。所詮は信頼など微塵もないゴロツキ集団。モネアの蒸発を否定はできず、それ以上ダーチャへの詮索は徒労だと判断して、こちらはモネアから受け取った金をまるまる儲けにできる。


 だがモネアを実力で排除するのは極めて難しく、さらには自分が敵意を向けていることも気取られたくない。すでに暗殺は一度失敗しているのだ。このうえモネアを執拗に攻撃すれば、奴らは俺が取引相手のボスにふさわしくないと考えて暗殺者を差し向けてくることだってあり得る。いくら遠い他国の人間とはいえ、あのモネアと同等かそれ以上の腕を持つ殺し屋に命を狙われるのは極力避けたい。


 だがこのガキはどうだ? モネアたちにとってこいつは俺たちとは全く関係がない第三の敵対者だ。私怨だろうがなんだろうがこのガキがモネアを倒せばそれでよし。よしんば返り討ちにあったとしても俺たちへの追及はできない。得はあっても損がない話だ。


 素早く頭を回転させたダーチャは部下に命令する。


「ヌスタ。馬を用意しろ。このガキを西の吊り橋まで案内してやれ」


「おかしら! どうして…」


「急げ」


 有無を言わさないダーチャの態度にネスタは不承不承、了解し、ポピルの横を通って部屋を出た。


「言っておくぞ、小僧」


 ダーチャとポピルの視線が交錯した。


「モネアは確かにここに来た。が、二時間ほど前に出て行った。部下に居場所を突きとめさせようと街中に放ったがすでにこの街から出ているかもしれん。奴の行先はわからんが、西からここへやって来たんだ。西へ帰ると考えるのが妥当だろう」


 ポピルは黙って聞いている。


「街を西に出るとしばらくして大きな吊り橋がある。そこを渡ればカドキア、ヴァンドリア、ウスターノの国へ続く三叉路に出るんだが、どうしたってそのつり橋を渡る必要があるんで待ち伏せするとしたらそこだ。お前をその橋まで連れていく。繰り返すが、行先がわからない以上、モネアがそこを通るとは限らないし、すでに通った可能性もある。入れ違いになったとしても二度とここへ戻ってくるんじゃねえ。理解できたか?」


「…ああ」


「結構」


 ダーチャは不気味な笑顔をポピルに向けた。


「ま、せいぜい頑張んな」

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