第104話 逃げてきた男

「ひいっ!」


 地面に這いつくばっていた男は、咄嗟にルッカの後ろへ身を隠すように移動した。その後ろからツアムが歩いてくる。ツアムは地面にいる質素な男を一瞥すると、首輪の隙間、首の後ろ側に焼き印が押されていることに気が付いた。


 奴隷の印。


「女! そいつをこっちに渡せ!」


 馬に乗っていた男の一人が強い口調でルッカに命令した。奴隷の男は怯えきり、小声でしきりに助けを請うている。ツアムがルッカの前に立ち、三人の男たちを見据えて言った。


「この人はお前たちの奴隷か?」


「そうだ! ちゃんと俺たちの所有物だという印もある」


 首の後ろの焼き印のことだろう。ツアムは奴隷の男を一瞬振り返った。


「わかったらそいつを寄越せ!」


「法律を知らないみたいだな。この国ヤスピアでは奴隷の売買及び使役は禁じられている。外国の人間もその対象内だ」


「なんだと?」


 男は唾を地面に吐くと、ライフルの銃口をツアムに向けた。


「ごちゃごちゃうるせえ! いいからこっちへ渡せ!」


 男の銃口は、防弾ケープを羽織っているツアムの胸に照準を当てている。ツアムは冷静に、ゆっくりと繰り返した。


「渡す義理はない。文句があるというのならこの先のタズーロで保安官に…」


 ダン!


 馬に乗っていた男の銃が火を噴いた。胸に銃弾を浴びたツアムは後ろに尻もちをつく形で倒れ込む。


 しかし、反撃の反応は早かった。


 地面に倒れたツアムはあらかじめ想定していたかのようにすぐさま腰から拳銃を引き抜くと、馬に乗った男二人に目掛けて発射した。


 ダン! ダン!


 弾は二人の脚にそれぞれに命中した。防弾ケープの届いていない剥き出しの脚だ。撃たれた男たちは体が痺れて馬の背中へ前のめりに倒れ込み、驚いた馬が前足を上げて再び地面に四足つけると、ツアムたちから逃げるようにしてタズーロの街へ続く道を駆け出した。二人の仲間が撃たれ、それと同時に二頭とも暴走して街へ引き返してしまったため、道の真ん中に取り残された三人組のうちの一人は、慌てた様子で自分も逃げ出した馬を追い、タズーロへと走り去っていく。


「この野郎! 待て!」


 ポピルが銃を構えながら逃げていった男たち三人の後を追いかけて駆け出した。後ろではナナトがツアムに駆け寄る。


「ツアムさん! 大丈夫?」


「心配するな。致命傷じゃない」


 ツアムは上体を起こして答えたが、苦痛に顔を歪めている。片膝をつき、撃たれた箇所の防弾ケープ跡を見たスキーネは、確かに大きな傷ではないと知ってほっと安心した。


「幸い電撃弾“青”だったようね。でも危ないわよ! どうして奴らを挑発するようなことを言ったの! もし撃った弾が“赤”だったらこの至近距離じゃ死んでいたかもしれないのよ!」


「連中はそこの男を追いかけていただろう? 捕獲が目的なら使う弾は電撃弾“青”以外ありえないと考えたんだ。いきなり撃ってくるとは思わなかったが」


 ツアムは隣に立ったナナトを見上げた。


「ナナト。手を貸してくれないか? 脚が痺れてしばらく思うように動けない」


「うん」


 ナナトは前に構えていた銃を背負うと、ツアムを介抱して立ち上がらせた。そこへ奴隷の男がやって来てツアムの前に跪き、さめざめと泣き出して感謝を告げる。


「ありがとう…ありがとう…」


 心の底から安堵した様子だった。大の男が人目もはばからず泣いている様子を見て、ツアムたちはよほどこの男のいた状況が悲惨だったのだと察し、思わず黙って立ち尽くしてしまう。


 三人組を追いかけていったポピルが、怒りで表情をにじませながら戻ってきた。


「突然撃つとは卑怯な奴らだ。もし街で見かけたら殴りつけてやる。おいあんた、名前は? あいつらは一体何者なんだ?」


 ポピルの問いに、奴隷の男は涙を拭いながら振り返った。


「俺は…ディーノ…ウスターノの奴隷街でモネアという男に買われた。俺は、隙を突いて奴らから逃げ出したんだ…」


 モネアという名前を聞いてポピルの表情が固まった。そしてすぐに防弾ポンチョの裏から一枚の手配書を出し、ディーノと名乗った男の前に片膝をついて肩に手を置く。


「モネアと言ったか? そいつは…この男か?」


 ポピルが見せた手配書を、ナナトも見た。


 そこにはこれまでのクエストでもお目にかかったことのない高額の懸賞金とともに、眼鏡をかけた男の似顔絵が描かれてある。ディーノは小刻みに震えながら小さく頷いた。


「間違いない…この男だ…」


 ポピルの表情が、見たこともないほど険しいものに変わった。

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