第95話 出発

 翌朝。

 

 宿屋でスキーネが荷物をまとめ、ルッカもそれを手伝っている横で、ツアムは今朝発行された朝刊を読んでいた。


「なにか事件のことが書いてある?」


 スキーネがブラシで髪を梳きながらツアムに訊いた。


「少しだけな。あの三人のストーカーはそれぞれ職を解雇されたうえ、何年か牢獄の中で過ごすらしい。一面はアトラマス軍とベネアード一派との戦争の話題で持ちきりだ。あたしたちの活躍については一行も載っていない」


「な~んだ」


 スキーネは不満そうに呟くと、ブラシと共に下着を鞄に詰めようと持ち上げた。するとそこへいきなり部屋のドアが開いてポピルが入ってくる。


「遅いぞ三人衆! 荷づくりだけで午前中を使う気か! もうファヌーの用意も万端で…」


「ノックぐらいしなさい! 乙女の部屋なのよ!」


 スキーネが急いで下着を鞄に隠すと、手近にあった枕をポピルの顔めがけて投げつけた。


 一行は宿屋を出ると、ファヌーが引くほろ馬車を引き連れて街の外へ向かった。途中、ナナトが三日前の夜、二つ目に渡った大きな橋の上を通過する。ここでクインリーが御者に変装して男声を上げたことを思い出してナナトは一人笑顔になった。


 大道芸の街を見納めるように左右を眺めながら歩いていると、ポピルが思い出しようにルッカに話しかけた。


「そういえばルッカ。もう訛りで喋らないのか?」


 ルッカはムッとした表情を見せてそっぽを向いた。


「喋りません。スキーネ様のお傍に使える者としてふさわしくありませんから」


「べつに俺はからかっているんじゃないぞ。無理して喋るよりずっといいじゃないか。生まれ故郷を大切にしている証拠だ」


「なんと言われても、もう喋りません」


「僕も、もう一度聞きたいな」


 ナナトが会話に加わった。


「ナナトまで…」


「ポピルの言う通りおかしくないよ。ちょっとでいいから故郷の言葉を教えてよ」


「あなたたち、ルッカの訛りが聞きたいの?」


 前を歩いていたスキーネが振り返って後ろ向きに歩きながらニヤニヤと笑った。


「それなら簡単よ。ルッカはね…」


「スキーネ様、十一歳」


 ルッカが短く言った。それを聞いた途端、スキーネの表情がみるみるうちに赤くなり、ルッカに詰め寄っていく。


「ルッカ! それは墓場まで持っていく秘密にするって約束したでしょ!」


「? 何の話ですか?」


 ルッカがとぼけてみせると、スキーネは顔を上気させたままプイと前を向いて歩き出した。


「何だ? 本当に何の話だ?」


 ポピルがスキーネとルッカの間まで走ってきて両者の顔を見比べた。


「スキーネ。ルッカの訛りはどうやって…」


「知らないわ」


 スキーネは振り返りもせずに言った。


「いやだってさっき…それに十一歳って…」


「知らないって言ったでしょう」


 気になったポピルは、一番前を歩いているツアムに向かって大声を上げた。


「ツアムの姐御あねご! 聞いていただろう? 十一歳って何のことだ?」


「あたしも知らないな」


 ツアムが答えたと同時に、スキーネが振り返ってポピルの胸倉を掴んだ。


「もう二度と! 二度とその話題を口にしないで」


「ええ…だって気になるし」


 スキーネは手を払い、ポピルを無視して歩き出した。ナナトも何の話なのか気になったものの、今の様子からしてスキーネたちに訊くのは躊躇われた。特にスキーネは、後ろ姿でも怒り心頭に発しているのがわかる。ポピルはなおも食い下がろうとしたが、スキーネが何も答えなくなったので渋々諦めた。

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