第94話 演劇

 事件は終幕した。


 旧劇場での銃撃音は丘の下にいた人たちに聞かれていた為、ナナトたちが旧劇場を出たタイミングで馬に乗った憲兵隊が駆けつけてきた。ナナトたちは事情を説明してデシラを病院へ、クインリーを新劇場へ送り、旧劇場内で痺れて動けなくなっていた三人のストーカーたちとホーパーが雇ったならず者たちは全員拘束、逮捕となった。


 大女優、クインリー・カースティが中心となったこのストーカー事件は街を騒がすニュースとなり、翌朝には真相を記事にしようと大勢の記者たちが新劇場へ詰め掛けたものの、劇団の支配人バエントは、予定通り翌日に劇を上演するためとして事件の概略を述べるにとどめ、クインリー本人への質問は劇の上演後に時間を設けると約束して記者たちを返した。 


 それ以外にもバエントはクインリーの控室で本人を直接叱責し、二度とこんな真似はしないよう約束を取り付けた、と他の劇団スタッフに説明したのだが、ナナトが見ていたところ、控室から出てきたバエントは憤りよりも困惑の色が濃く、“まったく懲りた様子がない”“埋め合わせとして舞台の上で最高の演技を披露してもらわなければ”とぶつぶつ独り言を呟きながら去っていったので、クインリーさんからあまり反省の弁が聞き出せなかったんだな、と察して思わず笑った。


 ナナトたちはクインリーの口添えもあって名誉回復したので解雇は帳消しとなり、当初の依頼通り残り一日のクインリー護衛を勤めた。さらに嬉しいことに上演日の当日、観客席の最も後ろで簡易的に席を設けてもらい、“ルシーデの旅”の鑑賞を許可された。本来であれば、数か月も前から満席なために観ることは決して叶わなかったということもあって、特にルッカの感激ぶりは、これ以上嬉しいことが今後の人生であるのだろうかと心配になったほどだ。


 新劇場への移転後、初めての公演となる“ルシーデの旅”は、大成功に終わった。


 クインリーは稽古のときと違い、衣装だけでなく髪型や化粧も役として施していたので、ナナトたちが見た同じ場面でも印象が全く異なり、稀代の女優という評判に一点の疑問も浮かばない名演を披露する。


 終盤ではルッカとスキーネが堪えきれず涙し、ツアムさんですら目が潤んだほどだ。上演終了後、舞台上で役者が揃って観客席に手を振ると、観客は総立ちとなって万雷の拍手を送った。


 舞台を鑑賞しに来た街の市長やこの新劇場建設に出費した投資家たちへの挨拶、クインリーによるストーカー事件の記者会見などが次々と終わり、スケジュールを全て消化した頃合いになって、ナナトたちはクインリーの控室へ訪れた。驚いたことにリスの獣人デシラも同室していて、しきりにタペストリーの貼られた壁を観察している。


「ねえ、覗き穴ってどこ?」


「もう埋めたわ。当然でしょう? 隠し部屋も作業員たちに閉ざしてもらったから入ることはできないわよ」


「なんだ残念」


 デシラは入室したナナトたちに気付くと、一人一人にお礼を言って抱きしめ始めた。ナナトが旧劇場で会ったときより顔色が幾分良くなっていて、毛並みも綺麗になっている。回復は順調のようだ。


「本当にありがとう。あなたたちへの恩は生涯忘れないから」


 呼吸が苦しくなるほど強く抱きしめられているナナトの横で、ルッカがツアムに勝ち誇ってみせた。


「ほら、男との逢瀬おうせなんかじゃかったでしょう?」


「それはそうだが、なんでルッカが得意げになっているんだ?」


 続いて五人は、クインリーにそれぞれ相対する。

 明日は先延ばしにしていた憲兵隊によるクインリーの事情聴取が控えてあるので、会えるのは今夜が最後だ。最初にツアムが前へ出た。


「素晴らしい劇でした」


「ありがとう。あなたの銃の腕前も見事だったわ。街の曲芸で見せたら、ひと財産作れるかもよ?」


「あんげば、聞いていた評判以上に最高だすた。今夜ことば一生忘れません!」


「ありがとう。ご両親にもよろしくね」


「こう言ったらなんだけど、あなたにストーカーができた理由がよくわかりました。舞台上で誰よりも輝いていたんですもの。またヴァンドリアへ上演する機会があったら必ず特等席で見ますから」


「そのときはまた楽屋まで会いに来て」


「う~ん。俺はどうもこの劇の良さがわからなかったな。やっぱり最後はハッピーエンドがいい」


「笑顔で終わる劇もたくさんあるのよ? あなたが好きになる劇もきっとあるわ」


 ポピルが下がると、不評をあらわにしたことに対してスキーネとルッカが詰め寄って責めた。最後にナナトがクインリーの前に立つ。


「どうだったかしら? 私の劇」


「…凄かったよ」


 ナナトは何やら言おうかどうか迷っている様子だったが、ポピルたちの喧騒を見てそっとクインリーに耳打ちした。


「でも、橋でルッカの真似をしたときの方が上手かったと思う」


「あら。なかなか言うじゃない」


 クインリーは笑ってみせた。


「みんな、どうもありがとう。またこの街へ来たときはぜひ劇を観に来てね」


「旅の幸運を祈っているわ」


 クインリーとデシラに別れを告げ、五人は新劇場を後にした。

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