第2話 三人の娘

 山間やまあいのあぜ道に家畜が引くほろ馬車を連れて一人の娘が歩いている。肩までかかる髪は銀色で、瞳は翡翠ひすいと遜色のない深緑。垂れかかる前髪の左側だけを髪留めで上げ、左右対称の眉は絵でかかれたように細く滑らかで、同性からでも目を引かれるだろう美貌の持ち主だ。 

 すでに日は正午を過ぎて西の空に傾きつつあった。おそらくは午後二時を過ぎたあたり。辺りから聞こえるのは風によって揺れる葉のざわめきと鳥のさえずりだけで、急ぐでもゆっくりでもなく歩く銀髪の娘の前に、さらに歳の若い二人の娘が走りながら戻ってきた。


「ツアねえ! 谷の間に村が見えたわ! 遠くからでしか確認していないけどギルドの斡旋所もあるみたい!」


 はしゃぎぎみで報告する一人は、身なりの整った出で立ちだった。銀髪の娘とは正反対に黄金の色をした髪を一つに結い、その背にはライフルを背負っている。


「スキーネ様。あまり期待を持ちすぎるとまた肩透かしの目に合いますよ。ここはまだ東の果てにあることをお忘れなく」


 そう言ってブロンドの娘をたしなめるのは戻ってきたもう一人の娘だ。腰まで届く長い黒髪には赤いメッシュが入っており、その長い髪をまとめるために、背中全体を覆うような大きな蝶結びをした紐がわれてある。蝶結びの紐は、髪の中央で一旦結ばれ、さらに長く垂れ下がった紐も腰あたりの部分の髪をもう一つ縛っていた。そしてこの黒髪メッシュの娘は、腰に二丁のトンファーをぶら下げている。


 銀髪、ブロンド、黒髪メッシュ。それぞれ異なった色の頭髪をしているが、共通しているのは三人ともシャツに長ズボンに革靴、それに防弾ケープという猟師の格好をした十代の娘ということだ。


「もう、ルッカは慎重ね。あなたにもう少し笑顔と楽観主義が加われば大抵の男は掴んで放さなくなるわよ。ねえツア姐! 先に村へ行って斡旋所でクエストを見てきてもいい?」


 スキーネと呼ばれたブロンド娘が、三人の中で一番の年長である銀髪の娘に上目遣いで尋ねた。


「いいよ。ただクエスト申請は宿を取ってからしよう。場合によってはあの村を離れて野宿が必要な仕事があるかもしれないからな。先に仕事内容を把握しておけば宿賃の交渉もしやすい」


 しかしスキーネは納得できないのか、もじもじと手を動かしながら要求する。


「でも、もしかしたら斡旋所に行ったとき人気のクエスト案件が締め切り間近かもしれないわ。寝食代、銃弾付きの仕事があれば有無を言わず取りたいでしょう?」


 引き続き上目遣いで自分を見てくるスキーネに銀髪の娘は仕方ないと苦笑する。


「わかった。いい仕事があれば申請しておいてくれ。代表者の名もスキーネの名前を使っていい」


「やった! ありがとうツア姐! そうと決まればグズグズしてられないわ。行くわよルッカ!」


 言うが早いがスキーネは小走りで坂道を下りていく。あとに取り残された黒髪メッシュのルッカは心配そうに銀髪の娘を見上げた。


「ツアム様、いいんですか? スキーネ様のことですから危険度が高く、手持ちの銃弾を撃ち尽くすような苛烈なクエストを申請しかねませんが…」


「この時期の田舎には危険な仕事はないと思う。でも万一、スキーネの命に関わるようなクエストがあったときは、あたしが行くまで引き伸ばしておいてくれ。宿を取ったらあたしもすぐに斡旋所へ向かう」


「はい」


 ルッカはツアムと呼んだ女性に軽くお辞儀をすると、スキーネの後を追って駆け出した。


 山の谷間にある村は小さな農村だった。点在する家々の間に野菜や小麦といった畑が広がり、村の北側に流れる小川から引く井戸の数から察するに人口は百人少しといったところだ。


「見えたわ。ほら、あの看板にギルドのマークもある。私の言った通りやっぱり斡旋所じゃない」


 勝ち誇ったようにスキーネが隣を歩くルッカを見た。「良かったですね」とルッカも追従する。スキーネは待ちきれないとばかりに髪を揺らして歩き進んだ。


「さあ、私の冒険心を満たすクエストはあるかしら。もうお年寄りの代わりの山菜取りや田舎貴族の家の留守番なんて飽き飽きしたのよ。久しぶりに愛銃を撃ちたいわ。ね、ルッカも思うでしょう?」


「一昨日の晩に見事な羽鹿はねじかを仕留めたじゃありませんか」


「ち、ち、ち。夕食のための狩りとクエストじゃ達成感と充実度が全然違うのよ。さあ来たわ。一体どんなクエストがあるのかしら」


 村の中央にある一際大きな建物の前に立つと、スキーネは意気揚々と扉を開けた。


 ギルドからのクエストを引き受けて生計を立てる鉄砲撃ち、通称ギルダーは、猟師や軍人とは一線を画す職業だ。そこは自分の腕の良し悪しによって金と名誉が如実に得られる広くて高き競合の世界。銃を全く撃たないクエストを専門に引き受ける者も含めると万を超す人数がひしめく裾野の大きい業界だけに、クエスト斡旋所はどこもかしこも人だかりが消えることはない。

 はずなのだが、スキーネたちが訪れたこの村の斡旋所はひどく閑散としていた。蝋の入っていないランプに埃のかぶったテーブル。中央で床を箒で掃いている背の曲がった一人の老人がいなければ、夜逃げしたあとの家のようだった。


「なにこれ…これがギルドの斡旋所?」


「ここまで静かな斡旋所はあたしも初めて見ます」


 呆然とするスキーネとルッカ。扉が開いたことによって外から風が入り、床のチリが蠢く様を見て、老人が入り口に立った二人に気付いた。


「その背中の銃…もしかしてあんたら、クエスト申請しにきたギルダーかい?」


「そうだけど…。一体この有様はどうしたの? ここはギルド公認の斡旋所でしょ?」


「その通り。正規の手続きを経てちゃんと公認、運営されておる。紛れもない斡旋所じゃ」


「それじゃこれは?」


「あいにく今は一年で最も仕事がない時期なんでな。来るのがもう半年前じゃったら農園を荒らす羽鹿はねじかを狩るクエストでここも大賑わいになる」


 老人は箒を横に立てかけると、まあ座りなされと窓際のテーブルにイスを用意した。勧められるまま、スキーネとルッカは座る。老人は頭から三角巾を取ると二人の対面に座った。スキーネがおずおずと尋ねた。


「それじゃ今、手空きのクエストはないのね?」


「ところが、あるんじゃ。例年ならばこの時期はとんとないんだがの。実を言うと先週から里山に角熊つのぐまが現れて我々は非常に困っておる」


角熊つのぐま!」


 途端にスキーネの顔がほころんだ。


「まあ話を聞いてくれ。とても力が強く、大きな熊じゃ。滅多にこの里山に下りてくることはないんだがの。去年の夏に隣山が山火事におうて食料がなくなったもんで、冬眠明けからこの辺りを縄張りにしちょる。幸いにしてまだ怪我人は出ておらんが、家畜をやられるわ、作物を荒らされるわで今では皆怖がって日中でさえ外を歩くのを躊躇うようになってしもた」


「大丈夫。任せなさい。そのクエスト私達が引き受けるわ」


 胸を張って答えるスキーネに対して老人は待ったと手をかざした。


「いや、実はもう熊退治に出発した若者がおるんじゃ」


「え」


 スキーネはあからさまに落胆する態度を見せた。


「なんだ、もう取られちゃったのか~。手空きのクエストがあるって言ったのに」


「それがじゃの、その熊退治に出かけた若者は契約書にサインしとらんのじゃ」


「ええ!」


 老人も困惑した様子で続けた。


「無論、儂はサインを勧めた。ギルダーの助けが必要なクエストを斡旋し、手数料をもらう。それが儂の仕事じゃからと言うてな。じゃがお互い報酬も内容も納得できたというのに、その若者は熊を退治したあとで報酬を受け取ると言って早々と山へ向かってしもうたんじゃ」


「どういうことそれ…」


 スキーネは当惑顔で横のルッカを見た。ルッカも小首をかしげる。


「ギルドの契約を知らない田舎者か、あるいは相当なお人好しか。契約を交わしていない状態でクエストをこなしても報酬を支払う義理は発生しませんからね。あとからタダ働きさせられたと騒いだところで取り合ってくれる裁判所はどこの国にもありません」


「儂だって悪人ではない。熊を退治してくれれば約束通り支払いはするつもりじゃ。そこであんたら二人に折り入って頼みがあるんじゃが、山へ行って若者の具合を見てきてもらえんじゃろうか」


 スキーネとルッカは顔を見合わせた。


「口約束とはいえ、契約を交わした以上、このクエストは若者に任せたつもりじゃ。じゃがあんたらと共同で熊を退治してもろうても儂らは一向に構わん。ただ共同となると報酬の取り分や仕事の分担などが出てくるからの。そもそもその若者が共同クエストを受諾するかどうかも話し合ってみなければわからん。直接、熊を退治する必要はない。弾を一発も撃たず、熊の姿さえ見ずに帰ってきてもらっても結構じゃ。ただ若者の様子を見てきて欲しい。引き受けてくれれば一泊の宿代ぐらいの代金を出そう。どうじゃ?」


 不思議そうにルッカが質問する。


「随分とその人が気になるようですね?」


 うむ、と老人は腕を組んで言った。


「なにせとしがあんたらよりさらに下に見えたぐらいじゃったからの。若者というよりは子供…少年じゃな。十一、二歳といったところか。それがリボルバーの形をした見慣れないライフルを手に山へ出かけていったんじゃ。さすがに熊の餌食になってしまっては儂も寝覚めが悪くなると思ってな…」

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