武蔵野
唯ノ 鳥
第1話
「何処へ行けばいいのだろう」
ふとそんな言葉がでてきた
固く閉じた目を開けると、明るい光が飛び込む
それを拒絶するように視界はぼんやり歪む
歪みが元に戻らなければいいのに
そんな言葉が浮かんでは消える
どうしてここにいるのだろう
なにも思い出せない
上体を起こすとシャツが濡れていることに気付く
手を背中へと伸ばす
ヌルっとした感触が手を伝い、それは土だと脳が教える
「はぁ」
大きな溜息が下向く口から溶けて地面に落ちる
少しだけ顔を上げる
周りには細い木々がお互いを邪魔しないように距離を取り、空を目指す
細い枝が抱える新緑の葉はそこだけがきれいな絵画のようで
溜息がでる
溜息は悪くない
体のポジティブじゃない部分を削って空気で割ったのが溜息
そう習ったのはどこでだろう
なにも思い出せない
なにか続きがあった気はする
まぁ、どうでもいいや
吐いた息を補うように大きく空気を吸う
また吐く
次に吸う
湿っぽい味がする空気は少しずつ体に浸み込んで、穢れた体を浄化する
そんな気がして幾度と繰り返す
背中が寒くなってきた
ゴロリと上体を倒し、背中についた土を地面へ返す
見上げた空にはうろこのような雲が浮いている
雲はどうやって生まれるのだろうか
とおくとおく空の彼方からやってくるのか
小さな雲がひそかに集まるのか
常に存在してるのか
誰も知らない
誰も知らないことはたくさんある
できることなら全てを知りたい
すると、声が聞こえる
「君は君以外の何も知ることはないの」
誰かも知らない声
ただその声を思い出す
それだけで
胸がはちきれそうに暴れる
暴れまわる心臓の熱は血に溶け、巡り、焦す
なぜ何も思い出せない
少しかすれ気味なのによく通る声
差し込んだ鍵では回らない扉の前で途方に暮れる
ずれた思考に焦る体は言うことを聞かない
吐き気に眩み、制御不能な浮遊感
暗くなっていく世界に、涙が止まらない
いっそのこともう
そう思ったその時に
「だから私の声は君にあげる」
青く輝く風が吹き抜けた
風となった彼女の声はあまりにも綺麗で
混沌とした意識を吹き飛ばし
体はその重さを取り戻す
湿りきった土の匂いに鳥のさえずり
さっきまで感じなかったものを思い出す
彼女のことはなにも思い出せない
それでも彼女がくれた声は覚えてる
立ち上がり大きく伸びをする
軋み痛むからだも今は心地がよい
錆びついた足で前へと踏み出す
風の生まれる場所を探して
武蔵野 唯ノ 鳥 @tadanomeityou
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