💧 第19話 水 界 💧
そうだ、あれはサイだった。
アヤは思い出してしまった。自分は、コウだった。
(そんなことって……。私、ずっと前からサイのこと知ってた。サイは化け物だ)
アヤは首を横に振りながら後退り、くるっと振り返ると走り出した。
「アヤ!」
教室から逃げ、走っている自分があの時のコウの記憶と重なった。
あの瞬間、逃げても逃げても追いかけてくるサイが恐ろしくてたまらなかった。時折振り返ると、口の周りを血に染めたサイの姿が見えて、ゾッとしたのを思い出した。
納屋から逃げ船着き場まで来ると、出航直前の船に乗った。コウは岡から一刻も早く離れたかったのに、サイはあり得ないスピードで追いつき、とうとう船に乗り込んできてしまった。
船首まで来て追い詰められたコウは、集まってきた船の男たちとサイとの攻防を見ながら震えていた。そうして、誰かがコウにぶつかってきて船から落ちる瞬間、このまま死んでもいいと思った。
着物が船底にひっかかり取れなくなった時も、考えたことは父の死。この先、自分の力だけで商売を続けてゆくのは難しいということ。母も死に、後ろ盾であったはずの両替商の娘もいない。多分生きていくにも苦労するだろうし、その上このサイの存在。この先、あの化け物をどうしたらよいのか、考えるのも嫌だった。
息が苦しくなってもがいてはみたが、それも一瞬のこと。このまま死んでしまえばこの先の苦労はない。
サイに追いかけられ続けるよりはましに思えて、結局コウは『生』を諦めたのだった。
自分の吐く息が大きな泡となって、次々に水面に浮かんでいくのを見ながらなぜかホッとした。海中で漂う身に安堵した。
しかし、『生』を諦めてしまったそのツケは、今になってその代償を払わなければならないものになってしまった。
走っているものの、やはりサイは速かった。
アヤのすぐ後ろで足音が聞こえる。
「待ってアヤ!何もしない。何もしないから止まって!」
言われなくても、アヤが走って逃げた場所は体育館の奥の倉庫。
走りながら、アヤはもう逃げても仕方がないと思った。一度は死んでもいいと思った命だ。サイに何をされても、前世で父や母や許嫁を失ったのは全て自分がサイを愛したせいだし、もう自分だけが逃げ回っても何にもならない。
アヤは誰もいない、誰にも見られない場所を探して走っていたのだった。
倉庫の前まで来て立ち止ると、扉を開け振り返って言った。
「サイ、入って」
倉庫に入って扉を閉めると、二人は向かい合った。
アヤは今まで話さなければいけないと思っていた全てを、ここではっきりさせるつもりでいた。
走ってきて弾んでいる息を整え、少し落ち着くのを待ってアヤは口を開いた。
「サイ……、私の前世はコウなんだね」
サイは首を縦に振った。
「もう思い出さないのかと思ってた。それでもよかったけど……、アヤ、私を化け物だと思ってるでしょ?私はね、人魚なの」
アヤは眉間にしわを寄せた。確かに普段のサイが人魚だと言われれば、この美しさを表現するに値するかもしれない。しかし、前世であの化け物のようなサイを見てしまった以上、そんなメルヘンチックなイメージなど全く当てはめることなどできない。
「私とあなたは、三百五十年も前に出会っているの。三百五十年前、船に乗ってるあなたを海で見かけて、どうしても欲しくなったの。それで、海の魔女のところへ行って足を手に入れた」
(海の魔女?)
ますます胡散臭い話が飛び出して、アヤが目を点にしているのを尻目にしながら、サイは話を続けた。
「……童話にあるでしょ、人魚姫が足を得る代わりに声を失うって。でも、実際は違う。確かに足は得たけど、決して海を捨てたわけじゃない。だって私たち人魚にとっては海が一番ですもの。足を得るために大事な尾ひれを差し出して、代わりに人間を思うままに操る『声』を貰うのよ。相思相愛になれなければ、もちろん泡になって消えてしまう。最初はコウもこの声で操って、私を愛するように仕向けようと思ってたの。でも、そんなことしなくても、コウはすぐに私に振り向いてくれた。そのままずっと愛し続けてくれるなら、私は海を捨ててもいいと思ったくらい」
アヤは絶句した。
自分が想像だにしていなかった事を、サイがあまりにもスラスラと話すものだから、頭がなかなか理解してくれない。
「生まれ変わって、初めてアヤを見つけたのはスイミングスクール。同じところに通ってたの気付かなかったでしょ。クラスも違ったし。見つけた時は嬉しかった。縁のある者は生まれ変わっても必ず近くに存在してるって、海の魔女が言ってた通りだった。でも、なかなか友達になれるチャンスがなくて。たまたまアヤのお母さんが他の保護者に、キャンプに行くって話してたのを聞いて、自分の親や周りの人を操って私たちもあのキャンプ場に行ったのよ」
それが、レンを死に追いやるという惨事に繫がってしまった。
「レンちゃんを死なせてしまった事は、今更だけど申し訳ない気持ちでいっぱい。そのせいでお母さんも亡くなってしまったんでしょ?」
アヤがそう言うと、サイは恐ろしい事を話し出した。
「それは違う」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます