💧 第16話 深 海 💧


 十一月の初めに高校の文化祭が予定されている。アヤにとっては高校最後の文化祭だ。

 その日、出し物を決めるため、アヤとサイのクラスはホームルームの時間に話し合いをしていた。

 いろいろな意見が出る。謎解き脱出ゲーム、クイズ大会、お化け屋敷、カフェなど……。

 誰かが、男女逆転劇をしようと提案すると、


 「いいかも~!」


と、麻衣が声を上げた。

 それに続けと言わんばかりに、男子に女装をさせたい女子達が次々に手を挙げて賛成したものだから、男子が一斉に悲鳴を上げる。

 だが、既に女子は大盛り上がりで、結局そのまま男子の意見は聞き入れられず、出し物は男女逆転劇に決定した。


 「演目は何にする?」


 「もちろんお姫様は出なきゃね。ドレス着せよ~!」


 女子がそんな会話をしていると突然、放送室の手違いだろうか、マイクのハウリングのような音がキーンと響いた。それは結構大きな音で、一瞬皆ビックリして、耳をふさぐ者もいた。


「……人魚姫、人魚姫はどう?」


 誰かがそう言うと次々に皆賛同して、演目は『人魚姫』と言うことになった。


 そのあと、人魚姫を誰がやるのかを決めるのに、優に三十分位を費やしただろうか。男子は誰もやりたくないのだが、それはそれで結構盛り上がって、結局じゃんけんで決めて決着がつくと、次の王子役はすんなりと、サイがやることに決まった。

 背の高さと見栄えは、クラスの女子で一番だ。誰もそれに反対する者はなかったし、サイも一応嫌がる素振りはしていたが、皆がそう言うならと案外あっさりと引き受けた。


 アヤはと言うと、そもそも劇で人前に立つなんてことは、間違ってもしたくなかったものだから、自ら衣装作りを買って出た。

 


      💧 💧 💧



 それから準備が始まると、毎日がとても楽しかった。クラスの皆と、大好きな人と、一つの目標を達成するために努力することが、アヤにとってはまさに、青春の一ページであった。

 脚本は何のひねりもない『人魚姫』なのだが、男女が逆転しているというだけでなぜか面白い。

 人魚姫役の男子が、部活で鍛え上げた上半身に貝殻の胸当てをつけているのは何度見てもおかしくて、練習の際中、誰と言わずクスクスと笑っていた。

 サイの王子様役はやはりキレイで、アヤは遠目で練習を見ながらうっとりとし、ため息をついた。

 脚本を書いた女子生徒が、


 「やっぱ、盛り上げるためにはキスシーン必要でしょ」


と、言って必要のない場面を付け加えたものだから、人魚姫役の男子が嬉しそうにその場面だけを何度も練習しようする。

 それを見て皆ニヤニヤしたり、ヤジを飛ばしたりしている。

 しかし、アヤは気が気ではなかった。やはり好きな人が、たとえフリでもキスシーンだなんて、見ていてハラハラしてしかたがなかった。


 男子生徒の顔に、ゆっくりと近づいていくサイを見ていた時だった。


 (あれ?前にも見たことある。これって)


 アヤの目の前で、今のこの状況と全く違う場所の光景が交互に見える。

 そうしてとうとう、思い出してはいけないことをアヤは思い出してしまった。


(以前にも見た。サイが男性の首に……。あれは現実だった?)


 ……そうだ、現実だ。自分はずっと前、キャンプ場の時なんかよりも、もっとずっと前にサイに出会っていた。

 アヤは目を見開いてサイを見つめていた。

 持っていた裁縫道具の箱が、力の入らなくなった手からスルリと滑り落ち、大きな音を教室中に響かせて皆を驚かせた。


 「アヤ、大丈夫?」


 サイが心配そうに声をかけながらこちらに近づいて来ると、アヤはじりじりと後退った。


 「……どう、したの?」


 「わたし……わたし……」


 サイの顔を見ながら小さくふるふると首を横に振るアヤを見て、サイが何かにかに気付き小さな声で、

 

 「……コウ?」


と、聞いた。


 その記憶は、まるで水鏡のようにゆらゆらと揺らめいてはいたが、サイの問いかけに、それが自分自身の記憶なのだとアヤは確信した。

 それから、まるで深海に沈んでいくようにゆっくりと記憶の奥底へ意識を馳せた。


    

           つづく

   

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