💧 第9話 満ち潮 💧
サイの日常は、いつでもポップである。
六月のある日。
日本の梅雨は大好きだ。
しとしとと長く続く雨は、サイにとって懐かしい場所を彷彿とさせるものだった。皮膚にまとわりつくような湿度も、生き返るような感覚を覚える。
アメリカから帰ってきて一ヶ月。月の半分以上、ずっと雨が降り続いて居心地が良い。
サイは制服の袖に手を通しながら窓の外を見た。今朝も気持ちのいい雨。
「やっぱり、日本は好き」
スマホを手に取り、お気に入りの曲を探す。
手に持っているBluetoothのスピーカーから、ノリの良い洋楽の曲が流れてくると、思わず体が動き出す。
サイは、軽やかにステップを踏んで自室のドアを開け、リビングまでの廊下をくるくると踊りながら移動した。
リビングまで来たところで、突然スマホがブーンブーンと振動しながら着信音を鳴らした。踊るのをやめてスマホの画面をじっと見る。
「……パパ」
海外にいる父親からのものだった。
「はい、もしもし」
『サイ。元気かい?』
「うん、元気よ。それにね、ようやく欲しかったものを見つけたの」
『それは良かった。それじゃ、もう戻って来られるかい?』
「そうね、手に入るまでにはまだまだ時間がかかりそうだから、やれることきちんと済ませたら一度そっちへ戻るわ」
『わかった。待ってるよ』
「うん、じゃあね」
通話を切ると、また曲の続きが流れ出す。
「さて、今日はどうしようかな?」
サイは、キッチンカウンターの上のカゴにいくつか盛られていたリンゴを一つ手に取ると、皮のままガブリと嚙りついた。
「果物って、おいしくない。でも、腸活にはいいのよね。……そろそろちゃんと食事しないとだめかな?」
リンゴを嚙りながら、スマホの画面を見て検索。
(あの制服はたしか、公立高校の制服よね……。あった、ここだ。湊第二高校)
サイは今日、編入の手続きに行くと決めた。
「ようやく見つけた。待っててね、My sweet heart♡」
サイはスマホの画面に映った制服に、チュッっとリップ音を立ててキスをすると、うれしさを隠せない様子でピョンピョン飛び跳ねるようにして玄関に向かった。
玄関を出て扉が閉まり、サイの後ろでガチャッと施錠音がする。サイは背筋をシャンと伸ばしてゆっくりと歩き出した。
スクールバッグに付けていたピンク色の鈴がチリンッと、鳴った。
💧 💧 💧
港第二高校。
屋上に上がると遠くに海を望むことができるその建物は、公立の高校ではまあまあの進学校で、スポーツも盛んだ。割と歴史の浅い学校で校舎も新しくモダンな雰囲気だ。
サイは校舎に入ると、受付の小窓から職員に声をかけた。
「こんにちは。すいません、私この学校に入りたいんですけど」
「は?」
受付の中年男性が、いったいこの子は何を言ってるのか?と言った様子でサイの顔を覗き込んだ。
サイが小窓越しに職員を手招きする。職員が小窓から顔を出すと、サイはそのキレイな顔を職員の耳元に近づけた。
小さな声で何やら囁くと、職員はうんうんと頷き小窓の中に戻っていった。
それから、職員は手慣れた様子でどこかに電話すると、サイを引き連れて校内へ入っていった。
校舎の廊下を歩いて教室の前をいくつも通り過ぎていく、ちらちらと教室の中を覗きながらサイはその人を探していた。
いくつか目の教室を覗いた時、
(いた!)
三年一組。窓際の前から三番目。長い間探していたその人は、数学の授業を真剣なまなざしで受けていた。
(やっと会えた)
サイの胸は踊った。
このままこのドアをガラリと開けて、今すぐ抱きつきたい気持ちを抑え、とりあえず職員の後ろについて校長室に向かった。
校長室のドアをノックして入ると、机で書類を整理をしていた校長が、一体誰?という顔で見ている。サイはかまわず近づいて行って、校長の耳元でなにやら囁いた。
校長は一瞬目を丸くして驚いたものの、すぐに納得したように頷くと一緒にいた職員に向かって、
「君、すぐに望月君の編入手続きをしたまえ」
と、言った。
すべては、サイの思う通りに動く。思い通りにいかないのはその人の心だけだ。
もうこれ以上は待てない。そろそろいろんなことに限界が近づいている。急がなくては。
編入手続きを終えると、惜しみながら高校を後にした。
「制服ができたらすぐ会いに行くからね。待ってて」
サイは、イヤホンを耳につけると、スマホからお気に入りの曲を流してウキウキしながら歩き出した。
つづく
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