💧 第8話 泡 💧



 「俺んち、今は違うとこに引っ越したんだけど、前はあいつの家の隣に住んでてさ、家族同士も仲良かったんだ」


 アヤは生田の話にずっと目が点のままだった。

 サイは、生田とサイとがそんな近しい関係だったなんてこれっぽっちも話してくれていなかった。自分に気を遣ってくれていたのだろうか?


 「小三の時にさ、家族同士でキャンプに行ったんだけど。その時、あいつの妹が川で溺れて死んだんだ。キャンプに誘ったのはうちだったからさ、気まずくなって翌年うちが引っ越して。そのあと、望月んちも海外に引っ越して行っちゃったんだよ」


 事故って?交通事故じゃなかったんだ。

 サイは自分が思い込んでいたことに呆れながら、ますますこの状況にどう対応したらよいのか分からずにいた。


 「あいつがうちの学校に来たときはびっくりしたよ。だってあいつ、アメリカの学校で飛び級して、大学まで卒業するくらいの秀才だって聞いてたからさ。何のために公立高校になんかきたのか?」


 まさか?それじゃ、定期試験の結果が良くなかったのはわざと?

 もう、何が何だか判らない。アヤはすぐにでもサイに会いに行きたかった。会って真実を聞きたかった。


 「あの、私……なんて言ったらいいのか分かんないけど」


 「待って、水嶋。ちょっとだけ時間かけて考えてほしい。多分このままだといい返事貰えないって何となく予想着くからさ。望月が心配しないように、受験勉強にも支障がないようにするし。俺、大学の方からバスケで誘われてるんだけど、受験はしなくちゃいけいないから勉強もがんばろうと思ってるし。とりあえず、答えは少し待ってていいかな?」


 確かに、どう答えるのが正解なのか今はちっとも分からない。少し時間を欲しいのはむしろアヤの方だった。


 「分かった」


 それだけ言うと、2人はカフェを出て別れた。



      💧 💧 💧



 多少パニック状態のまま家に帰ると、玄関に今度こそ望んでいたはずの訪問者が立っていた。


 (サイ……)


 サイはいつものようにふんわりとした笑顔で、アヤに気付くとこちらを向いて手を振った。

 アヤは複雑な気持ちをどうにか抑えて、いつも通りとはいかなかったが、とりあえずの笑顔を繕った。


 「久しぶり。アヤ、夏期講習終わったかな~と思って遊びに来ちゃった」


 すでに理恵が玄関から顔を出して、ニコニコしながらサイと話をしている。何かすかっり打ち解けているような感じだ。


 「さ、上がってサイちゃん」


 「はい。ありがとうございます」


 理恵は、さっき生田のために用意しようとしていた洋菓子をもう一度出そうと台所へ向かった。

 リビングでそちこち部屋の中を見ていたサイに、台所から戻ってきた理恵が洋菓子とアイスティーをテーブルに置きながら、


 「サイちゃん座って」


と、ソファに促した。


 「はい」


 サイがソファにストンと座った瞬間、

チリンッと音がした。


 「あらっ?その鈴」


 理恵が、目の前に座ったサイのバッグにぶら下がっていたハートの形をした鈴を見て、不思議そうに言った。 


 「はい?」


 サイが何のこと?と言わんばかりにキョトンとすると、理恵は、


 「いいえ、なんでもないわ。どうぞ、召し上がれ」


と、打ち消すように答えた。

 

 そのあと、理恵が友人との約束があると言って出かけてしまうと、アヤはサイを自室へ招き入れた。

 アヤは少し俯いて小さく深呼吸した。

 サイが部屋の中をぐるっと見渡して、


 「ホントだ~!色違いだけど私の部屋の壁紙と一緒」


と、ニコニコしながら言う。


 けれど、そんな何気ない言葉にもどう返してよいか分からない。

 何も答えられないまま、立ち尽くしている時も、生田の言葉の一つ一つがアヤの頭の中をぐるぐると回っていた。

 するとサイは、アヤの心を見透かしたように、


 「ハジメが来たんだね。さっき、お母さんが言ってた」


と、言った。

 生田ハジメ。名前で呼ぶくらい親しい仲だったんじゃないか。そう思うだけで何か違和感を感じる。


 「ハジメから聞いたんだよね。ハジメの気持ち、アヤに伝えれなくてごめんね。受験勉強もあるし、せめて夏期講習が終わるまではと思って待ってたの」


 アヤの気持ちは余計に複雑になった。

 サイへの気持ちと、生田からの告白。

 サイは自分のことをどう思っているのだろう。

 今まで生田の気持ちを伝えることを待っていてくれた……とは?

 生田と自分が上手くいってしまってもいいのだろうか。


 アヤは二進にっち三進さっちもいかなくなると、癖が出る。

 着ているワンピースの裾をギュッと掴んで下を向く。

 サイはそんなアヤの姿を上から見下ろして、片方の肩を少しだけ上げて首をかしげると、


 「ふッ」


と、笑った。


 「アヤはどうしたいの?ハジメと付き合う?」


 そんなこと聞かれてもなにも答えられない。


 「自分の気持ちに、正直なっていいんだよ」


 正直って?私は……私は、サイが好きなのに。どう正直になれって言うのだろうか?言ってしまっていいのだろうか、それとも……。


 「私……、わたし……。生田君とは付き合えない」


 これは正直な気持ちだ。生田のことなど今まで全く意識すらしていなかった。生田はサイのことを狙っているのだと、ずっとそう思っていたのだから。

 アヤがようやくサイの顔を見上げると、サイはいつもと違う妖しい笑みを浮かべていた。

 美しいその顔に妖艶な笑みを湛えるサイを見て、アヤは背筋がゾクッとした。

 サイはすぐにいつものふんわりとした笑顔を見せると、それからアヤのベッドの上に腰を下ろした。


 チリンッ


 サイの鈴が鳴る。……いや、サイの物ではない。ミイだ。


 『ミャァ~』


 ゆっくりと体をくねらせてドアのすき間から入ってくると、いつものようにアヤのベッドに忍び込もうと近づいてきた。

 しかし、次の瞬間ミイはサイの存在に気付いて、


『シャーッ!』


と、声をあげ背中を丸め、しっぽを立て、背中の毛を逆立てて威嚇した。


 「あら、ごめんね。ここはあなたの場所だった?」


 サイが、ベッドから立ち上がりミイの方に歩いていくと、ミイは急にくるッと身をひるがえして疾風のごとく部屋から出て行ってしまった。


 「ご機嫌損ねちゃったね」


 サイは肩をすくめてアヤの方を見た。


 結局、サイへの気持ちは言えなかった。それに、生田に聞いたことを問いただすこともできなかった。


 アヤの心は水面に浮いた泡のように頼りなく、いつ弾けてしまうか分からない恐怖感でいっぱいだった。

 しかしながら、どんなにこの複雑な気持ちが晴れないとしても、それ以上に今、サイとのこの関係性を壊すことが怖かったのだ。


 夏休み中、麻衣やグループのメンバーと夏休みの思い出作りに海へ行こうと約束すると、サイは帰って行った。



      💧 💧 💧


 

 理恵が帰宅して、二人で夕食の準備をしていいる最中。


 「ね、サイちゃんの持ってた鈴。覚えてない?」


 「え?」


 「小さいとき、アレと同じ鈴、アヤも持ってたのよ」


 覚えていない。


 「……そう。やっぱり何も覚えてないのね」


 以前にも何度か、同じようなことを言われた気がする。ずっと前、小学生の頃……。

 そのたびにアヤは覚えていないと言った。


 チリンッ


 ミイが台所を横切った時、アヤの頭の中を何かが掠めていった。


 (なに?)

 

 ……手のひらに、ハートの鈴。それは、アヤ自身が握りしめている。


       

            つづく




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