💧 第5話 水 玉 💧
「えッ?え?え?」
「さっきから、『え』しか言ってないよ。アヤ」
サイはキュッと力を入れてアヤを抱きしめると、まるでぬいぐるみにでもするようにスリスリと頬ずりしながら、
「あたしね、アヤが友達でいてくれて嬉しい」
と、言った。
そうだ、世の中の女友達というのは、結構な比率でこういうスキンシップを取るのだろう。今まで友達のいなかったアヤには、到底理解できないことなのだが。
長い人生の中で、他人と同じ時間や感覚を共有できるというのは素晴らしいことなのだ、とアヤは自分に必死に言い聞かせていた。
サイは面白がって、しばらくの間アヤに抱きついて離れなかった。なんなら背中を冷やしてもらっている間、ずっとこうしていようと決め込んで、そのまま動く気すらなかった。
「サイのおかげで自転車にぶつからなくてすんだよ。ありがと」
アヤが沈黙を恐れて、何か話さなければと必死に言葉を紡ぎだす。
サイはアヤの肩の上に顎をのせて、目を閉じながら、
「ん」
と、言った。
「私、いつもサイに助けられてばかりだね。バスの時も、自転車も、クラスでもサイがいなかったら、私はこの先もずっと一人ぼっちだったと思う」
お互いの顔が見えないせいなのかもしれないが、アヤは今まで胸につかえていた気持ちを、素直に表現することができた。
「そんなことないよ。お互い様だもん。それにアヤは自分で勝手に閉じこもってただけでしょ。あたしはきっかけを作っただけ。もっと自信もって、どんどん前に出ていいんだよ」
そんなこと、今まで誰にも言われたことない。サイの言葉は心に染みた。お互い様かどうかは別にして、自分をこんなにも認めてくれる人物が、家族以外にできたことが本当にうれしかった。
思わず目頭が熱くなって、アヤはそれ以上何も話せなくなってしまった。
「ちょっとぉ?やだ、アヤ泣いてんの?」
サイはアヤの純粋さがあまりに可愛くて、ケラケラと笑いながら頭をよしよしと撫でた。
「あたしね、アヤの猫ッ毛大好き。柔らかくてふわふわして」
そう言いながらサイが、アヤの髪の毛先をくるくる指に巻いて弄んでいると、
「ふぇっ」
と、声を立ててアヤが余計に泣き出した。
今まで大嫌いだった、言うことを聞いてくれないこの猫ッ毛を、『大好き』だと言ってくれる人が現れるなんて思ってもみなかった。
サイの言葉がいちいちアヤのストライクゾーンにハマるので、もはや涙の止めようがなかったのだった。
『箸が転んでもおかしい年頃』の女子は、良く笑いもするが、心の琴線にちょっと触れただけで良く泣きもする。
「よしよし」
サイはアヤの背中をポンポンたたいて、落ち着くまで待っていてくれた。
ひとしきり泣いて涙が止まると、
「ごめん。サイのブラウス、濡れちゃった」
と、くすんくすん言いながら謝るものだから、やっぱり可愛いくなってサイは笑った。
アヤは、涙で水玉模様に濡れたサイの背中を見ながら、
「病院行かなくて大丈夫?」
と、聞くと、
「ん〜。痛いけど、肩も動くし、たぶん打撲だと思うんだよね。でも、……アヤが心配すると悪いから、明日病院行ってから学校行くね」
と、サイは答えた。
「さて、もういいよ」
サイがそう言ってアヤから離れると、何となくアヤは自分の両手のやり場に困って、一瞬宙をフワフワと漂わせた。
ホントはもう少し、このままでいたかった。
(いい匂いだったな、サイ)
アヤは気付いていた。自分の気持ちの奥底にある、純粋ではない気持ちの正体に。
サイは自分を友達だと思っている。裏切りようもない『親友』だと思ってくれているかもしれない。でも、自分は違うのだ。明らかに……。
離した両手を寂しく思いながら、ぼんやりとアヤの部屋を見ていたら、壁一面が薄いグレーの水玉模様なのに気付いた。
「あれ?この壁紙。私の部屋のと色違いだ」
アヤの部屋の物は薄い水色なのだが、家を建てる時にアヤの母親がこだわって、わざわざイギリスから取り寄せた絶妙な色使いの、見ていると落ち着く柄だ。
アヤはその水玉が、まるで水の中にいるようで大好きだった。
そして、こんな自分とサイとの間に、小さくても共通点あったことがとても嬉しかった。
「そうなの?へぇ〜。今度アヤの部屋見てみたい」
「こんなに広くないけど、今度必ず来てね。……それにしても、サイの家大きいね。ビックリしちゃった」
アヤがついでにと、思っていたことを口にだすと、
「親が建てたものだし……」
と、何故か急にサイが口籠った。
少し沈黙しおかしな空気になって、アヤは目が泳いでしまう。
たまたま目に止まった壁掛け時計を見ると、ちょうど七時を指していた。
「おうちの人、何時に帰ってくるの?」
アヤが何げなく聞くと、サイはどうでもいいというようにさらっと答えた。
「パパは海外にいるのよ。この家には今、私一人」
「え?お母さんも?」
「ママは死んじゃったから」
「……ごめん。知らなくて」
余計に気まづい雰囲気になってしまった。
「いいよ。別に、ついでに言うと、あたし妹がいたんだよね。双子の妹」
そう言うと、机の上に置いてあったフォトフレームを持ってきて、アヤの目の前に差し出した。
それは家族写真で、父親と、母親と、十歳位の、まるで見分けがつかないくらいそっくりの双子の女の子が写っていた。
一人はニコニコと笑顔なのに対し、もう一人は全く表情がない。アヤにはそれがとても不自然に思えて仕方がなかった。
「これ、サイ?」
アヤは、これでもかというくらいの笑顔で写っている女の子を指さして言った。
「うん。それでこの子はレン、妹。これ撮ったの八歳の誕生日だったんだけど。この後すぐに事故でね。ママはショックで、病気になっちゃって。後を追うみたいに……」
(八歳だったんだ。今も大人っぽいけど、前からだったんだね)
なんてことを思いながら、ふとサイの方を見ると、普段は見せない暗い表情をしていた。
いつも明るくて、美人で、スタイルもよくて、人気者で、家だってこんなに大きくて、誰でも羨むくらいの物を持っている。そんなサイにも、人生の暗い部分はあるんだ。
アヤが何となく何も言えなくなっていると、
「なによ~!暗くなんないでよ~。もう十年も前のことだよ。今は思い出」
さっきはサイからだったけれど、今度はアヤがサイを抱きしめた。
「なんか、私サイのこと誤解してた」
「え?どんなふうに?」
「……いいの。もういいの」
よく意味はわからなかったが、サイにはそんなことどうでもよかった。今アヤの方から抱きしめられていることに、充実した気持ちを感じていたからだ。
「いつも、一人なの?ごはんとかどうしてるの?」
「ん~、食べるのは1人かな?でも2日に1度家政婦さんが来てくれて、ごはんとか、お弁当とか作り置きしてくれてるから」
それでも、十八歳の女の子が、ほぼ一人でごはんを食べているなんて寂しすぎる。
アヤはなんだか切なくなって、思わずギュッと抱きしめてしまった。
「いたっ」
「ごめんっ!」
そうだ、ケガしてた。慌ててアヤはサイを離した。そして二人で顔を見合わせて笑った。
「遅くなちゃったね。家まで送っていきたいけど、背中もこんなだし、目の前バス停だから、大丈夫だよね」
「うん。大丈夫。明日、無理しないでね。病院行ったら、LI◯Eして」
サイは、ニコニコしながらアヤを見送った。
家の二階の窓からバス停が見えた。
アヤがこっちを向いて、一生懸命手を振っているのが見える。サイも右手を振った。
バスが来て、アヤの小さな体を飲み込んで走り去るのを、サイはうっとりとした表情で見届けた。
「……もうちょっとかな?」
サイがそう呟きなぎら、片方の口角だけをあげて笑うのを、まだ明るい夏の夜空に、うっすらと輝く月だけが見ていた。
つづく
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