💧 第4話 水 心 💧
細い道を歩いて大通りに出ると、交差点の左側にコンビニがある。
二人がちょうど角を曲がろうとした時、右側を歩いていたアヤの向こう側から、自転車が猛スピードで走って来るのが見えた。
サイは瞬時に反応して、アヤの左腕を掴むと自分の方にグッと引き寄せた。
幸い自転車は何事もなかったかのように通り過ぎたが、引き寄せたサイの方は勢いで、ブロック塀にこれでもかというくらい背中を打ち付けてしまった。
「うッ」
サイの口から思わず声が漏れた。
引き寄せられたアヤの方はというと、すっぽりとサイの腕の中に納まっていて、いったい何が起こったのかと目を見開いていた。
痛さのあまり、サイは抱きしめていた力を抜くことができず、アヤの肩に顔を埋めるようにして耐えていた。
しばらくの時間その体制でいることに違和感を感じて、アヤがようやくサイに声をかけた。
「……サイ?」
サイの腕を剥がしてゆっくりと離れると、下を向いて辛そうな表情をしている。
「サイ?!大丈夫?どこが痛いの?」
「……せ、なか」
サイは、自分の右手で左の肩あたりを掴んだ。
「家まで歩ける?」
小さく頷いたサイを、アヤが下から支えるようにして、二人はゆっくり歩きだした。
そこから5分位歩いたところに、サイの家があった。
「ここ?」
……大きい。ものすごく大きな家だ。
かつて自分の数少ない友達の中で、これほどの、まるでお屋敷と呼べるような家に住んでいた者がいただろうか?
門柱にはセキュリティ用の、暗証番号を入力するためのキーパッドがあり、サイは手慣れた様子でポチポチとそれを押した。
門は自動で開き、二人で中に入るとまた自動で閉まった。
玄関までの間に監視カメラが二台あった。
アヤはサイを支えて歩きながら、キョロキョロとあちこちに視線を巡らせた。
(サイの家ってすごいお金持ち?)
アヤはソワソワして仕方がなかった。
今まで仲のいい友達なんていなかったし、ましてや、こんなお金持ちのご令嬢などとは遭遇したこともない。
大きな両開きの玄関は鍵を持っているだけで開くらしく、目の前に立っただけでガチャッと音がした。
「入って」
サイに促され扉を押して入ると、また玄関の鍵が自動でしまった音がした。
靴を脱ぐ感じではない。土足のまま室内に入る。完璧に欧米使用だ。そして、そんな家もアヤにとっては初めてだった。
小さな声で、
「お邪魔します」
と、言った。
なぜか、全く『お邪魔します。』という言葉の似合わない家だと思った。
「誰もいないって」
肩はとても痛むのに、アヤの行動がいちいち可愛いらしくて、サイは口角をあげて微笑んだ。
アヤはそのまま、二階のサイの部屋まで支えていった。
「大丈夫?」
ベッドに座らせてはみたものの、どうしてよいかわからず、アヤがおろおろしていると。
「アヤ、背中どうなってるかわかんないから見てくれる?」
と、サイが言った。
「う、うん」
アヤは、ブラウスのボタンをひとつづつ外すと、痛さで顔を歪ませながら、ブラウスを脱いで肩の下まで下げ、サイに背中を向けた。
アヤはドキリとした。
白い肌に、まるで紫いろの紫陽花でも描いたような、こぶし大のアザができていた。
それは左肩の肩甲骨の少し上あたり、下着の線と重なるところ。何かそれは、アヤの目に美しく映って、しばらく目を離すことができなかった。
「どうなってる?」
「……むらさき」
フッと、サイが笑った。
色を聞いてるんじゃないのに。サイはアヤの発言が、どうにも可愛らしくて仕方がなかった。
「あのね、痛いのよ。色は分かったけどさ、アザが出来ちゃってんのね?」
「あっ、そうだよね。ごめん、痛い?……よね。えと、血とかは出てないけど冷やした方がいいよね、ここ」
アヤがそっとその紫陽花に触れると、
「あっ」
と、サイが声を漏らした。
「ごめ、痛かった?」
「ううん、違う。アヤの手冷たいなって思って」
夏だというのに、外気温に影響はされないのか?
そういえば、家の中は全館空調されていて、室内の温度が二十二度に設定してあった。それは暑がりのサイの基本の設定温度で、もしかするとアヤには低すぎるかも。
「もしかして寒い?」
「え?大丈夫……って言うか、サイ、ひとのこと心配してる場合じゃないよ。救急箱とかある?」
おや?急にお姉さんぶった。それもサイには可笑しくてたまらなかった。
「あ~。一階のリビングとキッチンの間にパントリーがあるんだけど、そこの一番右の棚に置いてある」
「わかった。」
まるで家の中で探検でもしているかのように、キョロキョロしながらリビングまでたどり着くと、
「パントリーって普通こんなに広いっけ?こりゃ、人ひとり住めるよ」
と、ブツブツ呟きながら、棚の上に置いてあった救急箱を持ってサイの部屋に戻った。
アヤは救急箱の中から湿布薬を取り出して、丁寧にフィルムをはがすと、サイの背中に貼ろうとした。
「あれ?」
下着の線が邪魔だ。
「サイ、下着が……」
サイは何となく気付いて、右手でブラの紐を外側にずらした。
妙に色っぽい。
サイの肩のラインは本当にきれいだった。腕の付け根にも余計な脂肪などついておらず、キュッと締まってまるでマネキン人形を見ているようだった。
ゆっくり湿布薬を貼り付ける。
「……ッ」
「痛い?」
「……冷たい」
「これ、病院とか行かなくて大丈夫かな?」
アヤが心配になってそう言うと、ブラウスを戻しながらサイがアヤの方に向き直った。
「ありがとね」
「それから、これ。悪いかなと思ったんだけど、キッチンから氷いただいてきた。救急箱の中に氷嚢があったから」
アヤは氷嚢を手に持ってサイの目の前に座ると、少しおどおどしながらサイの背中に手を回した。
(普通、後ろから冷やさないか?)
サイは、目の前でなぜか顔を赤くしながら、自分の背中に手を回しているアヤが面白くて仕方がなかった。
どうもこの子は、人と関わることに対して不器用だ。
サイは少し揶揄いたくなって、目の前のアヤの背中に両手を回して抱きついてみた。
「えッ?え?」
「この方が楽」
多分アヤは、さっきよりもっと顔を赤く染めているはずだ。
「アヤ、大好きだよ」
つづく
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