💧 第3話 水中花 💧

 時々サイは、じっとアヤのことを見ていることがあった。


 あのバスでのことを覚えているのだろうか?だとしたら、お礼を言わなければいけないのではないか?そういえば、ハンカチも返さないといけない。


 いろいろなことがアヤの頭をよぎったが、今や人気者の彼女に、自分のような人間が話しかけていいものかどうかわからず、視線を逸らす日々が続いた。



      💧 💧 💧



 一週間が経ったある日、しばらく晴天が続き乾燥した大地に、その日は朝から潤いの雨が降ってた。


 二限目の始まる前、理科実験室へ移動しようとしていた時。アヤが教科書を揃えようとして、机の中に手を入れていると、ふと机の端に誰かが立っているのが見えた。

 

 「水嶋さん」

 

 声を掛けられてふと見上げた視線の先には、ふんわりと優しい笑顔を見せるサイがいた。

 アヤの席は窓際で、窓の手前に立つサイを下から見ていると、ガラスに打ち付ける雨に溶け込んで、まるで水中に咲いた一輪の花のようだった。

 あまりにキレイなものだから、一瞬見惚れて返事に詰まった。


 「・・・は、はい?」


 「いつも一人だね」


 ?


 「一緒に、実験室行こ」


 どういうわけだろう。

 それでも、アヤは少し嬉しかった。

人気者のサイが、クラスでも目立たない自分に声をかけてくれて、一緒に行動しようと誘ってくれた。


 (今日こそは、あの日のお礼を言おう)


 アヤは教科書を胸に抱えると、照れくさそうに口元を緩ませながら立ち上がった。


 実験室までの道のりを、アヤはサイの後ろにくっつくように歩いていた。すると、目の前のサイが急に立ち止って、後ろ向きのまま一歩斜め後ろに下がった。

 そしてアヤの右横に立つと、アヤの顔を横から少し覗き込むように身をかがめた。


 「なんで、後ろ?」


 「えっ?」


 「友達じゃん。並んで歩こうよ」


 アヤの身長は百五十六センチ。百七十センチほどの高さから、そのきれいな顔に見下ろされると、よけいに照れくさくなった。

 多分いま、自分の顔は真っ赤なトマトのようになっているだろう。

 胸がドキドキする。それでもどうにか、あの日のお礼を言わなければと思っているのに、なかなかタイミングがつかめない。

 一度大きく息を吐いて、アヤは口を開いた。


 「あの……、あの時は、ありがとう」


 サイは、少し首をかしげて考え、思い出したように、


 「あ~、バス?」


と、言った。

 アヤが、コクコクとうなずくと、サイはアヤの頭にポンッと手を置いた。


「覚えてたんだ。忘れてるのかと思ってた。いいえ、どういたしまして」


 それからサイはアヤの肩に手をまわして、ぎゅっと引き寄せるとそのまま並んで歩き出した。

 サイにしてみたら、ただの友達に対する気軽なスキンシップなのだと理解はしているが。


 アヤは、自分の心臓の音を聞かれやしないかと、よけいに緊張して浅くしか呼吸ができなかった。


 実験室に入ると、クラスメイトがざわついた。それはそうだろう。人気者のサイが、クラスにいるのかどうかもわからないような、目立たないアヤと肩を組んで歩いて来たのだ。


 サイは、自分のことを手招きする女子のところまで歩いていくと、あたふたしているアヤを隣に座らせた。

 そこは、クラスの目立つ子ばかりが集まったグループ。皆、怪訝そうな表情をしていたが、


 「アヤのことはね、この学校に来る前から知ってるんだ」


と、言うサイの一言で、アヤはその日からそのグループの一員になった。



       💧 💧 💧



 本当は、人づきあいが苦手だ。でも、サイの好意は無にできない。アヤは、今までほとんどコミュニケーションをとったことのないクラスメイトと、毎日必死に会話をつなげようと努力した。

 

 「アヤって、頭いいよね~。勉強できるってどんな感じ?」


 グループの一人、麻衣マイが聞いてきた。確かに麻衣は成績の良い方ではないと知っている。しかし、アヤは自身の頭の良さをひけらかしたりするような性格ではない。


 「友達いないから、勉強しかすることなかっただけ。別に好きなわけじゃないし」


と、多少自虐的に話をすることが楽な気がして仕方がなかった。それでも、あまり上手い言い方ではない。


 すると、その場にいたサイはアヤの頭をくるくると撫でながら、 


 「かりたい。かりたい」


と、ふざけた調子で皆の笑いを誘った。


 「そ~だよね!サイ、こんなパーフェクトなビジュアルなのに。この前のテストやばかったもんね~。惜しいよね~」


 「これで、成績までよかったら嫌味でしょーが!」


 わざと長い髪をかき上げながら言い、再び笑わせる。いつもその場の空気を上手くコントロールする、その手腕には脱帽するアヤだった。


 そして、なぜかグループの中でも自分をまるで親友のように扱ってくれることを、嬉しく、ありがたく思っていた。皆に受け入れられているのは、サイのおかげに違いなかったからだった。

 

 その日の帰り道、サイはアヤを自分の家に誘った。

 それは、グループのメンバーが皆、それぞれの帰路についた後だった。


 「アヤ、今日これからヒマ?もしよかったら、ウチに寄ってかない?」


 他の誰にもそんな誘いをしないのに。


 アヤは単純に嬉しかった。今までの人生で友達の家に遊びに行ったことなど数えるほどしかない。それも、大概『宿題を一緒にしよう』だの、『勉強教えて』という理由でしか行ったことがないのだ。


 「う、うん。でも、いいの?急にお邪魔して。おうちの人迷惑じゃない?」


 「大丈夫。誰もいないから。じゃ、決まり!コンビニ寄って、お菓子買ってから行こ」


 サイは白い歯を見せながら嬉しそうに笑った。それからアヤと腕を組み、自宅へ続く道を早足で歩き出した。


 

             つづく




 

 

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