💧 第2話 水 滴 💧

 七月を半ばも過ぎた頃、ようやく梅雨が明けた。

 

 昨夜までしとしとと降っていた雨。

 まだ、紫陽花の葉や花弁の上にキラキラと光る水滴をのせたまま、朝の景色を美しく輝かせていた。


 彩は、自室の大好きな雨の中の空間に、しばらく入ることができないのを少し残念に思いながらも、窓の外に広がる太陽の恩恵に、草花が喜んでいるのを嬉しく感じてもいた。


 (今日は髪の毛、伸ばさなくても大丈夫かな?)


 肩まである彩の猫っ毛は、雨が降るとゆるやかにウェーブしてしまうから、朝はヘアアイロンと共に鏡の前で格闘しなければならない。


 天気予報では、しばらくの間は晴れ。苦労しなくて済みそうだ。


 しかし、毎朝の登校時のバスの中は、これからの暑さだと今までよりもっと辛くなるはずだ。


 彩は何本か早いバスで、通勤ラッシュを回避して通うことにした。



       💧 💧 💧



 その日、新学期でもないのに、ましてやもうすぐ夏休みだというのに、その上受験生だというのに、転校生がやってきた。


 朝、クラスの男子生徒がワイワイと騒いでいるのを、女子生徒がかたまって、冷ややかな目で見ていた。


 登校してすぐ、カバンを置いて席に座ると、彩は机の中から読みかけの小説を出して、しおりを挟んでいるページを開いた。

 読書は好きだった。特に学校では、誰にも邪魔されない自分だけの世界に入れる、唯一の手段だ。


 彩は人づきあいが苦手だ。子供の頃は、今よりずっと友達が多かったように思う。いつのころからか、一人でいることが楽だと思うようになった。

 それから今まで、友達とか親友とかと呼べる人間はいなかった。


 ホームルームの時間になると、男子生徒たちに緊張が走った。その様子に、転校生が女子だということは、彩にも察しがついた。


 ガラガラと、扉が開く。


 男性教師の後ろから入ってきたのは、その教師とほぼ変わらない長身の、スラリとした女子生徒だった。


 男子生徒がそろって歓声を上げた。

 それもそのはずだ。長身でスタイルが良いだけでなく、背中が隠れるくらいの長いサラサラの髪に、大きな瞳、鼻筋の通った美しい顔はまるでモデルのようだった。


 黒板の前に立つと、その女子生徒は大きな声で自己紹介をした。

 

 「望月彩モチヅキサイです。よろしくお願いします!」

 

 担任が黒板に名前を書く。

 サイ、彩と同じ漢字で読み方が違う。少し親近感が湧いた。


 サイは、見た目のクールさとは違い、とても明るい印象だった。ふんわりとした優しい笑顔に、男子生徒たちの騒ぎは一層盛り上がった。

 身長の高いサイは、一番後ろの席に座るよう促されると、アヤのすぐ横を通りすぎた。

 

 チリンッ


 ふと、通り過ぎるサイの方を見ると、スクールバックにハートの鈴がついている。

 

 (あっ!)


 あの雨の日、バスから助け出してくれた。あの女子生徒に違いない。アヤは思わず、通り過ぎるサイの方を振り返って見た。すると、サイの方もじっとアヤのことを見つめていた。

 アヤはびっくりして、くるっと前に向き直った。


 紫陽花の葉の先からポトンッと落ちる水滴で、葉っぱがバウンドするような

小さな振動が、アヤの胸の真ん中で起きた。


 なぜか、ドキドキしていた。


 この胸の高鳴りはなんだろう?今まで人を見て、こんな不思議な気持ちになったことはない。アヤの鼓動はしばらくの間、早いリズムで刻まれていた。



       💧 💧 💧



 休み時間、サイはクラスメイトに囲まれて、質問攻めにあっていた。話も上手くて、その容姿でモテるであろうはずの、男子に対する態度もサバサバとしている。女子生徒にも印象が良かった。


 その日から、サイは一躍人気者になった。



             つづく

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