第10話

エントランスホールでリオンにコートとハットを押しつけると、ピオニアが待つ寝室へと急ぐ

失わるはずの渇望は日に日に強くなるばかりで、ベッドのピオニアを確認しそっと頬を手の甲でなぞりやっと息をつく事が出来る。何もかも安心だお前を煩わす事は何もないだから早く目覚めてくれ──

時計が深夜0時を知らせる音でやっとフェリクスはベッドから立ちあがり隣の自室に持ち込んだ書類を処理し始める、領地に関する事項では一切手を抜かないノエルが言ったように金を稼ぐためにやっているわけではないのはフェリクスの事を知る者であったならすぐにわかる。齢200歳…などと語ってはいるものの“人間”として生を受けたのはまだ世界がばらばらで農具にやっと鉄器が使われるようになったころだ。

ただそれを誰かに語って聞かす趣味は持ち合わせていないので話が追いつける程度の年齢に任せている

生まれた赤子が一人立ちするのを見守るように国が大きくなる様を見守って来たフェリクスは愛国心が強いように思える。要は領民が大切なのだ。



なんと便利な身体になったものなんだろう…疲れも痛みも遠いどこかに捨てて来てしまったようだわ…


耳だけで追うフェリクスの影がいつものように隣室に移ってまもなく、そっと瞼を持ち上げる。

気温の感じ方はかわっていないけれど、それが苦に感じる事はないもう冷たくなった手をこすり合わせる事もしなくていいし着る者に構う事もない

フェリクスと最後に交わした口づけから10日目誰かに呼ばれたような気がして目を覚ましてから今日で二週間、フェリクスの気配を追う事がすっかり習慣となっている

深く吐きだされる溜息や少し険を帯びた言葉が聞こえるたびに心が痛む


失わるはずではなかったの…?


それとも失われるのはもっと先なのかもしれない、どんなに求めても受けれ入れられないとわかっているのがこんなにも辛いと思わなかった、けれども自分で決めた事なのだから弱音を吐くわけにはいかない、この気持ちが消えてなくなったら起きあがろうと決めている。そうしたらフェリクスも両手をあげて受け入れてくれるに違いないから

それが親愛でも敬愛でもかまわない

もう少しこの痛みと付き合う他はないだろうともう一度静かに瞼をおろした。



「ピオニア、今朝は温室に珍しい花が咲いた見に行こう」


もちろん答えは返ってこない、ただこうしているどこかで聞こえてくれている事を願わずにはいられない

横抱きにしたピオニアを温室まで運び、膝にのせたまま椅子に座ると柔らかな灰銀の髪を梳かす。


「東洋から取り寄せた蕾がやっと開花した、牡丹という品種でまさに“王者の花”だ」


力なく頭をフェリクスの胸に寄りかからせたピオニアの頭や頬を撫でる、美しい寝顔に吸い込まれてしまいそうになるのをぐっと堪える。


「覚えているだろうか、お前の名には“美しい妖精”という意味があると言った事を。

確かに両親も生まれたお前を見てそう感じたに違いないな、お前が生まれ育つのを見てみたかった。

きっと驚きに満ち満ちていただろう」


私が木に登っているのを見たらきっとひどく怒ったでしょうね…眉間に大きな皺を作って


「活発な令嬢だっただろうな……」


ええ、目も当てられないくらいに。弓を引いてウサギを追いかけていたと言ったらどんな顔になってしまうのかしら


「デビュタントの姿に皆釘づけになっただろうな」


いいえ、残念ながら衣装は用意していたけれど丁度父が亡くなった年だったから社交デビューは果たせなかったの


フェリクスの優しい指に手にうっとりとしながら過ごす時間は宝物のように降り積もっていく

もう、大丈夫かもしれない…この記憶がきっと私を強く保ってくれるに違いない。私はどうやらヴァンパイアとしては失敗作だったらしいと思う。それか彼に対する執着が強すぎたのかも

けれどこんななり損ないが居てもいいかもしれないし、きっとおかしな伝説になるに違いないだろう明るい終わり方の方が性にあっている、木登りやウサギを追いかけていた頃に戻ってフェリクスを驚かすのもいいかもしれない


「フェリクス様、たまにはいいかと思いご用意いたしました」

「…………そうだな」


温室が見渡せる一等いい場所に設置された椅子にピオニアを座らせると、それより離れた場所に用意されたテーブルに向かうリオンが用意したそれを口に運ぶ


「………上達したほうがいいな」

「そうですか?ピオニア様が用意してくれた物と遜色ないかと思いますが」

「飲んだ事があるような口ぶりだな」

「ええ、よく頂きました。仕事合間などに頂くレモネードは格別でしたよ」


さも自慢するような口ぶりのリオンに睨みを利かせる、私には一度しか振る舞われた事が無いしかもイザベラのついでといった感じでだ

まったく腹正しい…目覚めたら一言言ってやらねばなるまい、視線をピオニアに移す。

白の寝間着はほっそりとした足首まで伸び、手の甲までゆったりと覆う袖からのぞく指先は肘掛そっと置かれている。胸元以上に伸びた髪は陽光に照らされてちらちらと輝いている、少し俯き加減で眠る姿は名が示す通り妖精そのものだった

濃い睫毛が作り出す影がふと形を変え、薄く開かれたそこにあるアメジストにフェリクスは動きを止める。今少しでも動いてしまったら待ち望んだ瞬間が壊れてしまいそうだったからだ。

ゆっくりと確実に開いていくそれを息を止めて待つ開花しきった花のように光り輝くそれを何度か瞬かせたピオニアは素足の感触を確かめるように立ちあがった。



大きく開いた目に映る世界はあまりにも美しかった、宙に舞った塵に光がてらてらと反射していて温室の花は零れそうなほどに多彩で色の洪水に意識が奪われてしまう、温室に敷かれた淡い色調のタイルをそっと踏みしめれば懐かしい感触に思わず笑みが浮かぶ

身体はすごく軽い、すこしでも飛び跳ねたらどこまでもいけそうな気がするほどで両手をあげてきらきらと光る塵を捕まえて見るけれど手には何も残されていない、不思議に思い次の塵を追いかける


「……ピオニア…」


はっとして今も胸を焦がす声の持ち主を振り返ると険しい顔をしたフェリクスがこちらの様子をじっと窺っている。ガゼボで最後に見た美しい姿すのままで──だけれども自分を用心深く見守る目には明らかに不安が垣間見える、ちくりとした胸は放っておく今は彼を安心させてあげたいから。私の胸にあるものは親愛だと


「フェリクス様」


今出来る精一杯の笑顔を向ける


笑顔を向けられた瞬間、恐れていたように急激に何かが失われていくのがわかった

そしてそれ以上に別の何かが膨れ上がっていく強烈でもっと獰猛な……何かが。


例えば愛という物を語る上で、花をめでるように慈しむ事だというならば花を暴いて散らしてしまいたいという衝動は並行して愛と呼んでも差し支えないのではないだろうか

花が咲き虫に花粉を運ばせるために綻び誘うように、表に見える物事とその裏にある真実とはまさに表裏一体で切り離せはしない。


「まさに我が主は強靭といわざるをおえませんね」

「…………………」


リオンの言うとおりだ。が決して表には出さない。ただ今は持て余した欲求を仕事に費やす事で消化しているのだから。


「あのまま寝室に引き込もりになるかと思っていたのですが」

「その軽い口を閉めておく事を勧めるぞ」

「ピオニア様には聞こえませんよ、さすがにこれだけ小さな声ですと」

「………」


沈黙して素晴らしい勢いで書類を書きなぐる主に肩をすくめると懐中時計を確認し では休む時間ですので失礼致します とだけ簡潔に挨拶をすますとさっさとどこかへ行ってしまう。

強靭だと……当たり前だ飢えた狼でもあるまいし、いくらピオニアの笑顔が雷に打たれたような衝撃を与えたとしても飛びつくような真似などしない、するわけがない。

実際あの場にリオンがいなければどうなっていたかなど考えたくもない。

イザベラやメアリと歓談しているのかたまに聞こえてくるピオニアの朗らかな笑い声でさえ熱くなってくる自身を押さえておくのは相当な忍耐力が必要だ。

何がともあれ自分がこんなにも凶暴な存在だと知られてはならない、暫く彼女とは適切な距離を保つ必要がある。

そんな日々が数日過ぎ、そろそろ王宮へピオニアを連れて行かねばと考えていると控えめにノックしたピオニアに入室を許可する


「実はガルデンに帰ろうと思っております」

「…………………何?」

「ガルデンの南端に私の祖先が築いた城があるとおっしゃっていましたでしょう?そこで静かに暮らしたいと思っているんです」


昼下がりに執務室を訪れたピオニアはにこにこと述べると、浮足立っているのかそわそわと手を組んでみたり解してみたりと忙しそうにしている。


「これから永い生が待っているんですもの、なるべく“人間”と関わらずに生きていける場所にはうってつけですし……」

「そうかなるほど…何でも言ってみろ何か不満があるのだろう」


羽ペンを放り出すと机に両手を組んで先を促す


「不満だなんてとんでもありません、フェリクス様には命を救っていただいた恩があるばかりで感謝の気持ちで一杯なのですから」

「ならば話は終わりだ」

「そんな…ヴァンパイアは自由だとお聞きしました、なら私にも自由が許されるはずです」

「………お前は私を苛ただせる事にかけては優秀だな」


机を回ってピオニアの手を掴もうとしたが空を掴んだだけで、すでに壁際に避けたピオニアを横目で見ればピオニアは本能的にフェリクスを遠ざけようとしている


「聡いな」

「私から逃げたいのだろうやってみるがいい」


力の差は歴然だし、逃げるつもりもない…ただ日増しに強くなっていくだけの想いに気付かれる前に去ってしまいたかっただけなのに壁に囲まれた中で見上げたフェリクスの視線が“人間”であったころに感じた熱をもっているようで……

ふいに近づいたフェリクスの戸惑うようにだけどしっかりと重ねられた唇がふるりと震えた


「お前はいつも私からの物はいらないと言う──舞踏会の夜も助ける手を拒んだな。その前は娼館、その前は」

「……屑カゴを暴いていた時」

「……………どうしたら離れないと約束してくれるんだピオニア、お前が必要だと愛していると言った言葉はもうお前の中にはないのか」


ざわりとつま先から毛の先まで走る何かが衝動的にフェリクスの頬を引き寄せもう一度合わせればフェリクスは藍色の瞳を驚愕に開かせた、その瞳を見つめながらうっすらと開いた口に自ら舌を忍ばせれば甘い愉悦が身体中を侵していく。

この美しいヴァンパイアは私の──ものだわ。


「………怖い私は…本当に以前のままですか?」

「望め全てうけとめてやる」


壁から手をおろしピオニアから身体を離したフェリクスは決闘でも挑むように鋭い眼差しを向けてきた。顔に一筋かかった金糸雀の髪から覗く上目使いの瞳が壮絶な色香を纏っている。はだけたシャツから顕わになった鎖骨や喉は筋張り無駄のない腰回りからすらりと伸びる脚は黒色のスラックスで包まれている。


手を伸ばしてそっと指先で鎖骨をなでる

感じた事が無いほどに目の前のヴァンパイアがほしいと訴える自分が首をもたげる

これは私が望んでいる愛ではないかもしれない…もっと穏やかで凪いでいるはずだもの

ぐっと指を織り込んで握れば


「どうしたいらないのか?」


フェリクスが上目づかいにこちらを睨んでいる

ほしい、あの金糸雀のなめらかな髪一筋だって自分の物したい 藍色の目を取り出して一日中眺めていたい


「迷うな来い!」


稲妻のように叫んだフェリクスの胸に飛び込んだ瞬間何もかもが満たされていく




ベッドに沈めた身体を揺さぶるたびに美しい音色を奏でるピオニアを容赦なく責め立て

しなる首筋に歯形を残してやれば一層に肌が染まるたびに愉悦でどうにかなりそうになる。

何度昇りつけても果ては見えない

やっと手に入れた永遠に私の物だ

最奥を目指せば一際美しく鳴くピオニアを見下ろす、自身から落ちる汗がピオニアのなめらかな肌を滑り落ちた。




「おやイザベラこんなところで会うとは奇遇ですね」

「ここまで来れば平気ですもの」

「まぁしかし、心を休めるには打ってつけではあります」


二人が居並ぶ場所は教会の鐘が吊り下げられた屋根の上で鋭く切り取られた月が綺麗み見える。ずっと向こう街向こうのベルフォートの住まいを見つめる


「皆はどこへ行ったのかしら?」

「各々休める場所へ、ですかね。あれは毒ですから」

「そうかしら素晴らしい愛の歌だわ、いつかわたしにも運命の相手があらわれてくれたらきっと同じ道を選ぶわ」

「…まだわたしには理解できそうもないですね、あと一世紀もしたらそう思えるかもしれませんが」


リオンとイザベラそれに姿が見えない同士もきっとどこかで主の幸せを祝福しているに違いない、ヴァンパイアに起こった奇跡がいつか奇跡でなくなることを祈りながら。

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ヴァンパイアの抱く花 波華 悠人 @namihana

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