第9話
どうしてここまで私を憎むのかどうしてもわからない。鏡にうつった自分の顔に出来た目の窪みに指をはわす
ほんのりと青みをおびたくまはどれだけ化粧を叩いて乗せても隠せない
リリーが現れたあの日から二週間ほどたった昼下がり、リオンとイザベラが嬉々として遠方から帰って来た。多くの書類をトランクケースに詰め込むとフェリクスはそのまま二人を連れて王宮に向かったがさらにその日の夜、フェリクスは帰ってくるなり衝撃的な事実を話し始めた。
「ピオニアお前の父は事故死ではなく暗殺されていた……起きてしまった事は戻らないだが真実を知る事で取り戻せる事もある」
「……覚悟は出来ております」
「…………暗殺を企てたのは伯父のジルドで実行したのはローウェルだった、そして男子がいないお前達家族にかわって伯父は辺境伯の称号を手に入れたが──」
途方にくれそうなほどに悪意にまみれた話はまるで他人の事のようで、涙も出なかった…ただただ、疑問符ばかりが頭の中に浮かんでは消えて行くフェリクスが最後にあんじてくれた言葉にも静かに頷く事しかできなかった。架空の借金は王宮に出された書類と証拠によって末梢され、ローウェルは伯を剥奪され投獄され、伯父も剥奪のもと投獄、領地は男子がない事から返還され新たな者が任につくらしい。未だに父が残した遺産の行方は知れず真相は闇の中へ…
ノエルとリリーはすっかり姿を消してしまった…ヴァンパイアは同族を家族のように感じるようでノエルを失った哀しみを押し殺すフェリクスの姿に申し訳ない気持ちで一杯になる
そして…リリーの復讐は成功した
あの日にリリーと一緒に消えたワインに巧妙に細工された毒は私をじわじわと苦しめそして最後には心臓をとめるに違いない。何度もフェリクスに何があったかを問い詰められたがこの事だけは胸に秘めておくつもりでいる。
ノエルが愛したリリー、フェリクスの友人であるノエル、私を護らなければならなかったメアリ
私があの日の事を一言、言ってしまうだけで完璧な構図が壊れてしまう、ここは私の第二の家、家族そう思っているから明かさない、死んでも。
「ピオニア様本日はいかがなさいますか?」
「イザベラさん…もう様なんて呼ばないでください私はただのメイドなんですから」
「…可愛い可愛いわたしの姉妹、お願いどうか傍にいさせてちょうだい」
痩せた身体を抱きしめてくれるイザベラの柔らかな香りにそっと目を閉じる、潔白を証明されてからフェリクスは暗示をかけるのをやめたらしくあの美しい虹彩を見る事はない
偽の関係から切り離されピオニアはフェリクスに言われる前に本来自分がいるべき部屋へと戻ってきている。
毎日、違う薬を飲まされてはいるけど効果は出ていない、フェリクスにも薬を用意することをやめてほしいと懇願したが難しい顔をされただけで終わっている。
それでなくとも身体は日々に弱まり、今では掃除もままならない働けないメイドなど疫病神だ
いつも優しい笑みをたたえているリオンもまったく部屋からでれなくなった私を見るのがつらいのか今ではあまり部屋を訪れる事もなくなってしまっていた
「今日は…刺繍をしようと思っているんです」
「そうなのね、ではわたしもレース編みをここでしようかしら」
あっというまに糸が入れたカゴをもってくると、ベッド脇の椅子に腰かけぱちりとウインクして見せる。恐るべき早さで手を動かしていくのを横目に一針一針進めて行くひどく疲れやすい身体が悲鳴をあげても弱音は吐かない。ここの住人は恐るべき聴覚をもっていると知ったから。
あと少し、これが完成したらフェリクスに渡したい。言霊に乗せて“愛”を伝える事は出来ないけれどこのハンカチーフに“愛”をのせることはできる、これが汚れて使い物にならなくなるまでは忘れないでいてくれたら嬉しい
翌朝、日差しがすっかり中庭の雪を溶かしてしまうと、久しぶりにリオンがピオニアの身体をかかえてガセボへ連れ出してくれた、ぽかぽかと気持ちの良い日差しとそよ風にそっと目を閉じる
「……まだ生きていたのピオニア」
「……リリー?」
幻覚だろうと思った、そう思って見ればリリーはひどく恐ろしい顔でこちらを睨んではいたがその背後にフェリクスが立っている事で現実だと考え直した
「なんてしぶといのかしら、お前など死ねばいいのよ」
「………言え。ピオニアに何をした!」
嵐の前の静けさを体現したかのようなフェリクスにリリーは怯みもしない、怒りと憎しみを湛えた瞳はらんらんと光っている
「……死ぬのよ、リリー 私はね死ぬの…」
「だったら早く死になさいよ…憐れよね、“愛”ももらえないからヴァンパイアになることも出来ない。お前は私の家を破滅させたけれど私はそうはならない永遠に生きるのだから!」
“愛”ももらえない……
「可愛そうなリリー…本当にノエル様を“愛”していたのに失ってしまったのね
でも私は失わないわ
永遠を生きる事は出来なくても“愛”を貫く事が出来るもの」
わなわなと震えた身体にあわせてリリーの髪が逆立っていくのをフェリクスが地面に押しつけて留めるそれでもリリーは
「助かりたい?ピオニアでも残念ねあの毒の解毒剤も治療法もないのよ
お前を殺すためにジルドが調合したものだもの」
「………さようならリリー、もう会う事はないわ…」
無駄だ、彼等は金と地位のために殺しただけなのだわ。それが誰だったかは問題じゃないたまたま私達だったというだけ。事が覆った事が許せないだから毒を盛ったそれだけ
大それた理由があるわけじゃない、道端に転がっていた石を蹴って転がすのと同じくらいの理由しかない、私は死ぬ だから大切な時間を一分一秒でも無駄にしたくない
見た事がないほど美しい顔を歪ませたフェリクスを見つめる
あの眉間のしわをほぐしてあげられたらよかったのに、ガゼボから立ちあがる事も出来ない
「…………二度と我等の前に現れるなリリー、もし破れば誰かがお前を殺すその時止める者は誰もいない」
歪んだ腕を振り払って起きあがるとリリーは旋風をともなって消えた、リリーは苛烈な性格で確かに私を殺したけれど、きっとノエル様を想う気持ちは本物だった、だから私が憎かったに違いない…
「ピオニア」
「………丁度よかったです、これを渡す事が出来ます」
ガゼボの階段を登ってピオニアの足元に跪いたフェリクスにポケットにいつでも渡せるようにと忍ばせておいたそれをフェリクスの手に乗せると綺麗な指がそれを広げて行く
「何の許可もなくイニシャルを使わせていただきました…すみません」
「私のイニシャルか……まったくいつも勝手をする。なによりその頑固さが気にいらない」
「私の家系かと思います、父もよく母の事をそう言っていましたから」
「…………………お前の鼓動が弱くなっている、きっともうすぐ…」
両膝に置かれた手を大きな手がそっと包むめば温もりが穴のあいた心をうめていってくれるようで嬉しくなる
「部屋に私の鞄があるんです」
「……?」
「そこには両親の形見が入っています、実は父の短剣はクリスタルで出来ているようなのです、もちろん鞘から抜かねばわかりませんが……それを売ってどうか私を両親の墓石に加えてはくれませんか?」
「…それがお前の望みか……」
「そうです」
「…私の“愛”はいらぬと、そう言うか」
そっとフェリクスから手をぬくと、眉間の皺をほぐすこんなに強く眉をよせたら癖がついてしまいそうでそんな事になったら美貌が霞んでしまう
「貴方から“愛”をもらったら消えてしまうのでしょう?……リリーが訪れた時晩餐会の夜にヴァンパイアになったとそう言っていました、でもあの時リリーは確かにまだノエル様を想っていました
だとしたら……ノエル様が愛を失ってしまっている事がわかったときリリーはどんなにつらかったか」
「失う、そうだお前を失う方がよほど恐ろしい!」
「……いいえ少なくとも私はそうではありません、一時でもそんなことには耐えられない…」
「親愛、敬愛は残る、そしてピオニアお前も残る!」
そんなのいらない!頭をふって答えるのを止めさせるかのように掻き抱くフェリクスの広い背中に手を回す、どうか気持ちが伝わりますように心を取り出して見せる事が出来たらいいのに、そうしたらきっときっと……
「私の目を見ろ」
両頬を包まれてもしっかりと瞼を閉じて藍色の中の虹彩を見ないようする
「暗示は卑怯ですよ…次に使ったら貴方を嫌いになると言ったのをお忘れになったんですか?」
「勝手にすればいいお前を失うよりはるかにましだ──頼む…私を残して逝くな…
愛しているんだピオニア……」
震えるフェリクスの手を伝って絹糸のような髪に触れる、そのままなめらかな頬をたどると濡れた感触にはっと目を開く、藍色の瞳からこぼれる涙があまりに綺麗で引き寄せた頬に唇を押し当てる
「愛しているピオニア…どうか答えてくれ」
唇をついばみながら何度も訴える…胸が引き裂かれそうなほどに痛む。こんなにも求められて私は幸せだわ…一生分を愛してもらえた なら彼に最後に与えてあげられるものを喜んで差し出すべきだ。“人間”としての一生分の愛を
フェリクスの首に腕を回すと強く口づけを交わす、長い間そうして熱を与えあい麻痺した唇を静かに離す
「フェリクス貴方を愛している」
瞬間強く深く口づけられ、息が止まる。身体のすみずみまで流れ込む熱に焦がされたようでフェリクスの首に背中に爪を立てるがフェリクスはひたすらにピオニアを抱き続けた。
白い天蓋のレースを柔らかな風が揺らし、室内の窓は開放されており温かい日差しが部屋全てを照らしている。飴色に光るアンティークのテーブルにはシラーの花が揺れ優しい香りを漂わせ部屋の主である男を慰めていた。
金糸雀の絹髪が風で揺れて同じ色合いの睫毛にまとわりついてもまるで彫像のように固まって動かないその藍色の瞳が見つめるのは、ベッドの中心で眠り続ける女だ。
灰銀色の髪は幾重にも重なったクッションに広がり、長い睫毛が陶磁器のような白い頬に影をつくっている。少しつんとした唇は潤いを湛え結ばれている。記憶に残る煌めくアメジストの瞳は見る事が無くなって久しい。
「ピオニア」
何度同じようして語りかけただろう、鼓動も吐息も弱っていた何もかもが修復されピオニアはこの世で何よりも完璧になったというのに目覚めは来ない。
昏々と眠り続けるピオニアは拒絶をあらわしているようで胸が締め付けられる
何よりも気持ちが失われる事を恐れていたピオニア、安心させたやりたいと思うが声は届かないまま時だけが無情に過ぎて行く
「フェリクス様そろそろお時間です」
「……ああ」
ヴァンパイアとなったピオニアに心配は無用だと頭は理解しているが離れがたい心がぎりぎりまで出立を留まらせていたが、こればかりは行かなければならないと己を叱咤して立ちあがる。
「まったく煩わしいな」
「そんな事をおっしゃらず、事は済んでいるのですからあとは確認作業だけです」
「わかっている」
王宮からの呼び出しの内容を想えば致し方ない、リオンをともなって馬車へ乗りこむ
「では、やはりあの短剣に隠されていたのですね」
「ああ、クリスタルで出来ていると聞いた時にそうではないかと思ったがまさにそこに遺産継承の証が隠されていた──まさにあの謎解きは私に有意義な時間を与えてくれた一つだな」
「確かに長年生きてきた中でも中々の刺激に満ちていた時期でもあります」
すっかり春の日差しに包まれた街を一頭馬車が走りぬけて行けば、街を行き交う人々は賑わいを見せ、春を彩るように着飾った娘たちが街を華やかにさせている。
脈々と続く“人間”の営みを眩しく感じつつも王宮の門をくぐった、王宮内にある財務局を訪ねれば、豊かな白髭に丸い黒ぶち眼鏡の老人が杖をつきながらフェリクスと握手をかわす
「貴方はかの有名な“ベルダンント辺境伯”によくにていらっしゃる──さあどうぞお掛けになってください」
「そうか?曾祖父は肖像画でしか見た事がないが自分ではわからないものだな」
「お若いころに御亡くなりになられましたからな、まだわたくしめも幼いころです」
案内された個室のソファに腰をおろし、ステッィキを撫でれば老獪はベルベット生地に包まれた短剣をテーブルに置く
「遺産は確かめられたので?」
「ええ、ベルフォート伯。確かに貴方のおっしゃった通りの場所に、まさかガルデン領の中でも最南端たる古城の湖畔に沈められていたとは夢にもおもいますまいな」
そうだその奇怪な謎が解けた時の感動はいいあらわせないだろう。ガルデン領 最南端古城はフェリクスがまだこの地に根付く以前より一世紀ほど前に構えられた。国を統治すべき王が建てた物だ、すなわち現国王の始祖に当たる人間の城ということになる
ほどなくして主要都市に居住を移したものの只一人そこを守るべく残った者こそがピオニアの先祖で確かに王家の血を引く王弟だ、まだ国が安定とは程遠く憂いた王弟は隠し財産を築きあげる、それは特定の人物にだけ口伝のみで継承されいつしかおとぎ話となり古城は捨て置かれるようになってしまう。
財宝のありかを隠した短剣のみが真実を語り、これを受け継いだピオニアに父もおそらくはこれに価値があるとは見出していなかったのに違いない。
「ではその遺産はピオニアに引き継がれるわけですね」
「ええ、もちろんです。国王陛下もご先祖の軌跡を知りえた事に感謝していらっしゃいました、もちろん親戚…詳しく言えば姪にあたるピオニア様の現状にも心を砕いておられました」
「当の本人であるピオニア嬢はまだ体調がすぐれずにいるので、手続きはそちらにお任せしたい。時が来れば拝謁に登城しようと考えているが」
「もちろんです、こちらもピオニア様のこれまでの事を鑑みればお倒れになっても仕方のないこと……最後にピオニア様の署名が必要ですが、そこまでの手続きは責任を持って致しましょう」
「感謝する」
短剣は持ち帰ってどうかピオニアの側においてやってほしいという旨を交わし、城を後にすればすでに日が落ちかけ全てを紫色に染めているそれがピオニアの瞳を思い出させ帰路を急ぐ。
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