第7話


「だ…大丈夫です何でもありません」

「…………」

「気になさらずに、何でもありませんので」


じりじりと近づく影から身を隠すようにさらに茂みに身体をこすりつける


「ピオニア」

「………どうぞお戻りください!」

「誰にも見つからずにここから出してやろう、さあ」

「……っ…」


精一杯に労わる指がピオニアの濡れた口を掬い、もう片方の手で頭を抱きこまれると堰を切ったように涙が出てきてしまう、知られてしまった!ローウェルに借金があることを絶対に知られたくなかったのに…!殴られて当然の生活を送っていた事も全て…!

母や父を失った時でさえこんなに絶望を感じた事なかった…きっとまたフェリクスは私を助けようと考える…


「もうっ…ここには居たくない…!」


まるで台風の中心にいるかのように風が吹き荒れたかと思った次の瞬間には見た事もない部屋の中でピオニアは蹲っていた、毛足の長い絨毯に手をついたまま辺りを見回せばアンティーク家具が部屋を彩っている。開きっぱなしになってるバルコニーは冷風でカーテンがばさばさと音を立てて揺れている。


「こ…ここは…?」

「私の私室だ」

「!」


はっとして暗がりに目を凝らすとフェリクスはカウチに腰をおろしてこちらを見ている

その目は暗闇と同化していてよく見えない震える足は立ちあがろうと言う意思を拒否させていて、ピオニアは部屋中に漂う冷気に身震いする。


「いつのまに…私、気を失ったのですか…?」

「お前はここから去る事は許されない」

「何が起きて…私、私は舞踏会でローウェル様に…」

「これから一切外の者との接触を禁ずる。そしてこの城から出る事も許さない。」


口答えは一切許されない威圧とフェリクスが纏う雰囲気にますますピオニアの身体が震えたのをフェリクスは弱った獲物を見るかのように小首をかしげる


「何故泣く」

「………お願いです、ここには居られませんこれ以上ご主人様の」

「逃げられるものか………お前はただの“人間”で私はヴァンパイアなのだからな」


きらめいたのは藍色の中に浮かぶ金の虹彩だったかもしれない、ヴァンパイアその意味を聞く間もなく何かに吸い込まれるように意識を手放した



「メアリ、イザベラ。」

「「はい、フェリクス様」」


美しいハーモニーを奏でる二人の返事にフェリクスは床に倒れたままのピオニアを静かに見つめたままに指示を出す


「着替えを、あと汚れた衣服は燃やしてしまえ。臭ってかなわん」

「「はい、フェリクス様」」

「リオン、ローウェルを徹底的に洗え」

「はい、おおせのままに」


まだ時計の針は9時40分を射しており、舞踏会は突然消えたベルフォートの面々に気付いてもいないだろう。今すぐに引き返してあの男の心臓を取り出してやりたい

旋風のようにピオニアを着替えさせるとイザベラはピオニアを横抱きにしてフェリクスの前に膝まづく


「フェリクス様、ピオニアはどういたしますか?」

「事が終わるまで城から出すな。私の寝室へ──」

「はい。もしご許可を頂ければ今すぐに消してまいりたいのですが」

「ならん、少なくとも今はな。」


心底残念そうに眉を下げたイザベラはフェリクスの言葉にうなずくと、音もなくピオニアを寝室へと運んでいくメアリは汚れた衣服をさっそく外の焼却炉に放り投げている。

リオンの気配が遠くに消えた事を確認すると、フェリクスはまるでそこだけ時が止まったかのように微動だにせず頭を回転させていく


戦争が激しかったころ、辺境伯が乱立した時があったが徐々に数は減り、ここ最近ではこの国で12家になっている。ピオニアは父は辺境伯で事故死したと言っていた、そこにも疑惑が残る私の耳に不幸に会って死んだ辺境伯の噂がはいってこなかったことだ。

そしてとってかわって現れた伯父。

追い出された辺境伯の娘

ローウェル

借金

リオンが戻れば点と点が線でつながるはずだ。



頭に霞がかかったよう…ぼんやりとベッドから起きあがろうとして身体に違和感を感じるけれど…何が変なのかわからない


「私、こんなベッドだったかしら?」

「ピオニア様お目覚めですか?昨日はずいぶんはしゃいでらっしゃいましたからお疲れになったのでしょう」

「はしゃいで…」


メアリは全ての窓のカーテンを引いて部屋全てに朝日を迎え入れると


「もう旦那様は下でお待ちですよ、早く着替えなくては」

「………旦那様?」

「まあ嫌ですわ、本当にお疲れだったのですね」


クローゼットからドレスを取り出しているイザベラがそう言ってほほ笑む、のろのろとベッドから立ちあがるとメアリが用意した洗面で顔を清め、導かれるままにドレッサーに座れば鏡に映った自分を見て幾分はっきりしてきたような気がする


「……そうだわ、私は旦那様と結婚したんだったわね…」

「ええそうです、さあ急ぎましょう」


灰銀色の髪をゆるく編みこみそれをくるりと巻いて纏めると、クリーム色のドレスを着せられていく、肩部分はすこし膨らみそのこからは腕にそって袖が続き、鎖骨がほんのすこし覗くデザインのドレスは緩やかに曲線を描いて床に裾を落としている


「…なんだか、頬が赤いみたい…」

「昨日はよっていらっしゃいましたのでその名残でしょう、あとで氷をおもちしますね」

「………そうね」


一階へ降りる階段を一段、また一段と降りて行くのにすら足元がおぼつかない気がして手すりから手が離せないでいる、前と後ろで辛抱強く見守ってくれている二人には悪い事をしてしまった


「……そういえば、私以前にこの手すりを磨いた覚えが……?」

「………」

「ねぇ、イザベラ私……」


黙ったまま静止したイザベラを見る、蝋人形のようにピタリと動かないイザベラになんだか寒気を覚えてしまう、この奇妙な感覚もどこかで経験した覚えがするのは何故なんだろう


「ピオニア」


階下のホールからこちらをじっと見据えるその人は金糸雀の髪をきれいに束ねていて、城のチュニックにそれを引きたてるように着た紺のベスト姿に見惚れてしまう、さらになめらかな声で呼ばれれば自然と頬に熱が集まってしまう


「旦那様…おはようございます遅れてしまったようですみません──今もなんだかぼうっとしていて…私、」

「ピオニア」


いつの間にか距離を縮めていたフェリクスはそっとピオニアの両頬を包むと視線がからむように上向きにさせる、フェリクスの藍色の目を見ていると不安だった心が晴れて行く


「朝食の時間だ」

「そう、でしたね…ごめんなさい」


手を引かれて向かった先は、温室で白いクロスがかけられたテーブルには可愛らしいバスケットにパンが詰め込まれており、おはようございますピオニア様 と椅子を引いてくれたリオンが皿に温かいスープを注いでくれる。茹でたエッグは見事にスライスされておりサラダに乗せられたそこにはオレンジ色のソースがかかっている、一口食べて


「…っ」

「どうした?」

「…いつのまに切ったのかしら…すみません傷に少ししみて驚いただけです」

「……無理をしなくていい食べれそうな物をつまめばいいのだから」

「ありがとうございます」


静かな朝食の時間を終えてはて、自分は今までこの他の時間をどうやって過ごしていたのかと思う、ただぼんやりと温室から見える中庭を見つめている間も誰一人として動かずにピオニアの様子を見つめている



暗示はほどよくピオニアの意識を改ざんさせている、つじつまの合わない所には触れないように蓋をし曖昧にさせておく。そうでなくては元に戻した時にひどく混乱させてしまうからだ、ただこの暗示は頻繁にかけなおさなくてはいけない力加減が微妙な所が難点だ…


ぼんやりと中庭を見つめるピオニアの一挙一動に全員が目を光らせている等知りもしないだろう、昨日ローウェルに叩かれた頬は少し腫れていて切れた傷口が痛々しい


「ノエルの足取りはつかめたか?」

「いえ、残念ながら…わたしの足では追いつけませんでした今頃は国境をこえているかもしれません」

「……まさに予想外の男だ…まさかリリーを連れて行くとはな」

「それほどまでに愛していらっしゃったのでしょう」


空気が震えるだけの会話を進める


「国境まで離れてしまえば同士にしたかどうか察知できない。そこも計算しているかもしれないな」

「おそらくは」

「リリーが同士になったとしてどうされるおつもりですか、リリーがピオニアにしてきた事を思えばそのままというわけにはまいりません」

「リオン…まさに問題はそこだ。我等は同士を殺さない。血の掟を破る事は赦されないのだからな」

「その役目是非わたしに、ピオニアはわたしの姉妹ですもの。」

「よせ、イザベラ私は屋敷の誰も犠牲にするつもりはない……第一お前がそうしたと知ったらピオニアが悲しむだけだ」


おもむろに席を立ったピオニアが温室の花々を一輪づつ指でなぞり愛でて行く、広い温室の中に消えて行く姿を全員が見守る


「ローウェルはどうしている?娘が消えてさぞかし混乱しているのではないか?」

「どうやらノエルと駆け落ちでもしたのではないかと内密に捜索をかけているようです、ただ──男爵家は相当に資金繰りに困っている様子でした。二年前に多額の投資をしていますが失敗に終わっています」

「二年前、なるほど」

「同じ時をして南方領土ガルデルの辺境伯が高利貸しから金を借りています、今では領地の半分を売り払ったようです」

「話が見えてきたな。おそらくピオニアの伯父は全ての財産を受け取っていないだろう」

「ピオニアの話しですとお父上は多額の借金を背負っていたと…」

「そこだ、ピオニアは最初から騙されているのだ。もとより父に借金等なく事故も存在していない」


「フェリクス様これは何と言う花ですか?」


珍しいのかその花を撫でるとこちらに振り向き訪ねてくる、席を立ちピオニアの傍らに寄ると大きな草花の陰に隠れて咲く桃色の花を覗きこむ


「シラーだ」

「綺麗ですね……」

「ならば部屋に飾ればいい」

「駄目です、きっとここにいるほうが幸せでしょうから」

「………そうか」


茎にかけた手をおろさせると、またピオニアはぼうっと動かなくなる。何か記憶に障る事が起きたかもしれない


「もっと確かな確証が必要だ塵一つとして見逃すな」

「はいフェリクス様」


気配が消えた三人は素晴らしいスピードでそれぞれの仕事へ散っていくフェリクスは再び椅子に戻ると飽きもせずに花を見つめるピオニアをいい加減部屋へ戻るように促す


「部屋……」


ふうっと息を吐き出すと座ったばかりの腰をあげてピオニアの指を捕まえる。こちらを見上げるアメジストの目が少しばかり開かれると冷たくなった指が眉間にあてがわれる


「なんだ…?」

「不機嫌になるといつもここにしわが出来るんです、しっていました?」

「……不機嫌などではない」

「そうですか…?」


眉間を指がなぞっていくと柔らかな花の香りが鼻をくすぐる、仕事で荒れた手に思わず顔をしかめれば軽やかな笑い声をあげてピオニアが笑い、その笑顔に今度は驚かされてしまうこの瞬間にピオニアが初めて笑った事に気付き愕然とした。

出会った時から今までピオニアの笑みを見た事がなかったのだ

朗らかに笑うこの姿こそが本来のピオニアに違いない、だとしたら驚くほどに人の温情を拒絶する彼女はどこから来たのだろう

殴られ血を流しても大丈夫だと言い張ったピオニアの姿が脳裏に浮かぶ


「私の顔が面白いか」

「いえ…勘違いをさせてしまいましたか?」

「……お前を大切にしたいと……思っている、私にしてほしい事はあるか?」


顔から離れてしまいそうになったピオニアの手を掴めば頬を染めあげ恥ずかしそうに俯いてしまう、これは自分がかけた暗示のせいだ…夫に従順に従うようにしむけた、その結果がまさかここまで自分を追い詰めるとは思っていなかった。


ヴァンパイアとなってからこんなにも胸が焦げ付くような思いをした事がない。ましてや

息を忘れるような口づけを交わした事も

温室のガラスに縫いとめるようにピオニアの身体を押しつけながら交わしたそれは恐ろしいほどに甘く、傷ついた口内を探れば我を忘れそうなほど芳醇で何度も角度を変えてはむさぼる

息を継ぐ合間に名を呼ばれればこれ以上奥がないほどに深くを味わった。


「……っ」

「……ピオニアお前が大切だ」

「…夢であったらずっと続いてくれたらいいのに」


夢などで終わらせてたまるものか……仄暗い心を見せないようにゆらゆらと揺れるアメジストの瞳に口づけを落とした。


フェリクスと共に夜食を終えたピオニアはメアリとイザベラに寝支度を一通り手伝ってもらうと、広いベッドに潜り込む、しばらく二人は室内で整理をしたりと動きまわっていたがやがて天蓋の幕を下ろすと灯りを消して部屋を出て行ってしまった。二人が寝てもまだあまるほどのスペースがあるベッドにきっとフェリクスは来ない……

激しい思いこみが間違いであると気付いたのは、軽くあわさった唇が深くなった時だった

どうしてフェリクスと結婚出来たなんて思い込みが出来たのだろう…恥ずかしさで毛布にこうしてくるまっていてもまだあの柔らかな感触や力強く抱きしめた腕の感触がすぐそこにあるように思える。

フェリクスが自分でそう言ったように彼は本当にヴァンパイアなのかもしれない…舞踏会からここまで一瞬で連れてきた事もそうだし、何よりもあの藍色の瞳の中にある金の虹彩をみていると頭がぼうっとしてきて次の瞬間には自分が自分でなくなっていってしまう

それすらも何か知らない“力”が働いているのだとすれば……

そうだとしても、フェリクスを想う気持ちに何の変化もない。むしろ気持ちはどんどん膨らんでいく一方で

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