第2話


「どうしよう…一体どうしたら…」


しんと静まり返った雪道を歩く、新雪の上に足跡を残しているのはどうやら自分だけのようらしい。等間隔で並ぶ街灯が照らす通りは不気味なほど静かで、貴族等が所有するこの辺りでは身をよせれる宿もなく、手荷物は雪をかぶって染みを作っている。

ひどく打たれた頬を押さえながら行くあてもなく歩き続けてどれほど立っただろう、闇夜は深まるばかりでこのままでは寒さで死んでしまうのではないかと目頭が熱くなる。

ローウェルの屋敷を追い出された経緯はこうだ


屋敷に着くなり、リリーは顔を真っ赤にさせ激しく怒りだした、正直ヒステリックになるのは今回が初めてではないのでまたいつもの事が始まったとそう感じていた、屋敷に居る者ならば誰だってそう思ったに違いない

だが今回はまさか自分が怒りの対象になるとは夢にも思っていなかったわけで、突然主人に呼び出され部屋に入るなり、頬を張り倒されてしまう


「な、な…旦那様…?」

「貴様…よくもリリーに恥をかかせてくれたな!しかもよりにもよってベルフォート伯爵に物を頼むとは!」

「そ、それは誤解でございます…伯爵様は…」

「黙れ!!メイドごときが口答えをするな!!お前みたいに落ちぶれた娘を引き取ってやった恩も忘れてよくも…よくも!」


身体中が沸騰でもしたかのように怒り狂った主人は胸倉を掴むと何度も頬を打ったすえにとうとう屋敷を追い出したわけだ。


「落ちぶれた娘…かぁ…」


確かに栄光を思うままにしていた時期もあった事は確かで、その当時は辺境伯の令嬢、だったが今やその陰りは一つもない。父は戦う事に関しては素晴らしい才能を持ち合わせてはいたがそれも運があってのことで結局、災難に見舞われた父はあっけなくこの世を去ってしまった。男児に恵まれなかった母はもう数年前に死去してしまっていたため男子世襲の座は親戚へと移ってしまった。

普通の神経を持ち合わせている令嬢であったならきっと今頃心を病むか──嫁にと望む声もあったはずだが残念ながら私にはそんな物はなく、気がつけば男爵家のハウスメイドとして働かねばならなかった、父は貧拍していたのかローウェルが見せつけた借用書の額にさすがに目を回した結局無賃で働き続けた結果がこれだ…


「弓なら…負けないんだけど、いっそ男であったなら騎士を目指すって言う手もあったのに──くやしいな…」


これからの事ももちろんだが、とにかく日銭を稼ぐ事を考えなければならない今手荷物の中にあるのは代えの下着に、母の形見であるカンカチーフに父の形見である短剣

どちらも質に入れることさえ叶わない物…


「凍死が早いか飢え死にが早いか…」


街灯が照らすベンチの上の雪を払って座ってぐっしょりと濡れたブーツをはぎ取りストッキングも取り払いワンピースのポケットにつっこむ。あかぎれた指先をさすってはみたものの痺れた足にはまったく効果がないようでがっくりと背もたれによしかかった。




「なんたる不運………これも全てノエルお前のせいであるな」

「うーん…これは僕の責任なのかな?」


朝日が眩しく雪化粧した街を輝かせている、空気も澄みわたり活力に満ちた子供が朝早くにもかかわらず新雪を玉にして遊びくれている。というまったく素晴らしい日に紳士二人が呆然と見る先で、脚があらわになっているにもかかわらず屑カゴに上半身を突っ込むのは、フェリクスの記憶が違っていなければ昨日のハウスメイドに違いない…

何かを見つけては朝日に翳して目当ての物でなければ放り投げ、また屑カゴに戻るを繰り返している。言い方が悪いかもしれないが


「何故半日でハウスメイドが乞食の真似をしているのだ…」

「いや、確かにそうだけど言い方…」

「……それで、朝のコーヒーを飲むために良い店があると言っていたな、是非とも目的を果たしにいこうではないか」

「いやいやいや…あれを見て放っておける神経が羨ましいよ──ちょっと君いいかな」


止める間もなくハウスメイドの後ろからノエルが声をかけたのがいけなかったのか、盛大に屑カゴと一緒に転がったスカートがめくれあがりあられもなくペチコートからのぞいた生脚を朝日が眩しく照らし出してしまう。


「…………」

「…えっと……」


しばらく脚、いやハウスメイドは静止していたが状況にやっと頭が追いついたのかもぞもぞと屑カゴから出てくるとすくりと立ち上がりワンピースを手早く直し、まるで何事もなかったのように足早に去って行ってしまう。


「いやいやいや!ちょっとまって!

フェリクスも待て!」

「確か店はこっちだったな」


腕をひっぱられながらもハウスメイドを追いかけるとちょうど角を曲がったあたりで捕まえる事が出来たノエルが今度は慎重に声をかける。


「すまないね、さっきは急に声をかけたせいで──脚がその」

「いえ。お気になさらず何もございませんでしたので、では失礼致します」

「君は確か──リリーのところのハウスメイドだろう?なぜこんな場所にいるのかな?」

「……それは、ハウスメイドでなくなったからですが…とにかく何でもございませんので」


何なの!もう…!

やっと繁華街に出れて人通りが少ないうちに食料を探していた所に現れるなんて…!


しかもこの二人の毒になりそうなほど美しい容姿に囲まれるなんて、ほらもうすごく目立ってしまってるじゃない、これだけ顔が知れてしまったら塵漁り…いえ食料探しがしにくくなってしまうわ


「ハウスメイドでなくなったとはどういう…?まさかお金がなくてあんな、あの」

「いいえ!もう…もう…いい加減にしてくれません!?私忙しいんです」

「ノエルもういい加減にしておいたらどうだ。この娘は何も好き好んで塵を漁っていたわけではない、金がないゆえ仕方なく脚をさらしてでもそうするしかなかったのだ」

「フェリクスお前にその言葉そのまま返すよ、よくもレディを前にそうはっきり言うんだ

デリケートって言う言葉を辞書で調べて頭に入れたほうがいいぞ」

「………………」


もういい加減ついていけないわ!好き放題言って…そもそも誰のせいでこうなったと思ってるのよ!

よほど言葉になって出そうになるのを持ち前の忍耐で持ちこたえて見せる。そうよそもそもこの人は私を助けようとしてショールを届けて下さったのだから怒るよりもお礼を言ってしかるべきだわ


「オブラートに包めば何でも許されるのか、なるほど。では屑塵があなたを引きたてていますねとでも言えば良かったのか……」

「……これはこれは…伯爵様にそういってもらえて光栄ですわ……だけど貴方がショールを持っていかなければわたしはまだハウスメイドとしてもっと輝いていたでしょうね!

失礼!」


鼻息荒く、二人を両手で裂いて間を突き抜けると足早に路地を曲がって目的もないまま進む、きっと呆れたに違いないと思うけれどいい加減我慢できなくなってしまった…お父様にもよくその短気を直しなさいと言われていたのに…!

随分進んでから手荷物を持っていない事に気付いた、何て事…あのクズ入れの所に置きっぱなししてきてしまったなんて…両親の形見を忘れる子供なんて聞いたこともないわ

でも今すぐに戻ればまたあの二人に遭遇してしまいそうだし一体どうしたら…

三時間ほど頭を抱えたあげくに、遠回りをして元の場所に戻ってきたけれどそこには手荷物はすでに無く、きっと中身も確認せずに誰かが持って行ってしまったのだと後悔が押し寄せる


「…いいえ、こんなことで悩んでなんかいられないわ、進むのみよっ」


パン屋、菓子屋、雑貨屋、魚屋、肉屋、レストラン、アンティーク店、洋品店、靴磨き、洗濯店

全ての店にあきらか不審な人間を雇う気はないらしく気がつけば日はすっかり沈み、ここだけは最後までと思っていた店の前に立っている。

自身を金に代える仕事……さぁ自分にその勇気があるかと何度も自答するけれども結局働ける場所もなく、しかも本当に身一つになってしまった私が生きていけるとしたらもうここしかない

思い切ってドアを叩けば、見るからに悩ましげな格好をした女性が顔をのぞかせる、しばらく値踏みするように下から上まで見ていた女性は


「裏へまわりなさい、こっちはお客さんが潜る扉なの」

「は……はい」


裏口は表と違って小さいランプがドアの居場所をしらせるだけで、途端に勇気がしぼんでいくのがわかるすぐに走って逃げたくなるがそうしたところで生きて行く当てはないない


「迷わなかった?」

「はい…」


ドアをノックすると先程の女性が室内に入れてくれる、煙草をふかした女性からは甘い匂いが漂っている


「わたしはサラ、あなたは?みたところ…訳ありって感じね、ここがどういう場所かわかって来たんでしょ?覚悟はあるの?」


矢継ぎ早に聞かれたけれど、どの質問もYESと答えれる物ばかりだったので素直にこくりと頷けば、ふうっと肺の煙を吐き、煙草をガラス容器に押しつけて消す。


「いいわよ女はいつだって不足しているの、雇ってあげるでも──まずは身体検査ね」

「えっ」

「じっとしていないさい──少し肉が足りていないようだけど、ま、そこはおいおいね…

あら胸はそこそこあるじゃない。

肌艶は最悪、でもきめ細かいわ磨けば玉のようになるはずよ、髪はめずらしい灰銀色…

目はアメジスト色、顔立ちは一等ね。なかなかいい素材よぉ人気が出るわねきっと」


身体を触られるのは同じ女性でも抵抗があるが褒められたのは何年かぶりなので嬉しい気もする


「けれども。あなた気付いてる?すごく汚れているわよ、まずは湯船ね」


とろみのある湯にゆったりと浸かる


「湯船なんて…いつぶりだったかしら…」

「あら、やだそんなに入っていなかったの?」


広い浴槽の淵に座ってソープを泡立てるサラは、それを灰銀色の髪に塗りたくっている

自分で出来るからと断ったのだがまだ営業前で暇だからというわけで親切にも入浴を手伝ってくれている


「あの、まだ働いてもいないのにこんな事を聞いて良いのか悩むのですが…」

「いいのよなぁに?」

「お給金をあの…しばらくでよいので日払いで頂けませんか?」

「いいわよ、お金ないんでしょ?そういう子たくさんいるから大丈夫よ」

「そう…なんですね」


たくさんいる、という言葉が胸に痛い。平和そうに見える世界でも隅においやられて苦しい思いをする少女がいる事が悲しい


「ねぇ、あなたって処女?」

「!?」

「あら、まあそうなの、だったら最初の相手はなるべく男前にしてあげるわ。最初から猿みたいなのにあたったら可愛そうだもの」

「最初の…相手…」


湯船に顔を半分沈めてそういった事を見も知らない人としなければならない現実に湯の熱さなど吹きとんでしまう、小刻みに震える身体をなんとか落ちつかそうとしていると下層からサラを呼ぶ声がする


「サーラー!」

「なーーにぃ?」

「おきゃくがねーしつこいのよぉー降りて来てくれない?」

「はーい!──やぁね、たまに居るのよ待ちきれないってやつがね、そろそろいいでしょ着替えておいてちょうだいねカゴに用意してあるから」

「サーーーラーーー!」

「はいはい!」


慌ただしくバスタブを出ていったサラを見送ると、しぼんだ勇気を叩き起こす


「ぐじぐじしたって始まらないわ、そうよ!きっとあっという間に終わるわよ!

そう、ちょちょいのちょいよね」


カゴから持ち上げた薄布に卒倒しそうになる


「控えめに言ったとしてもこれは……そう例えるなら悪魔的」


薄桃色のネグリジェには幾重にも同色のレースが縫い付けてあり丈はかろうじて尻が隠れるほどしかなく実に蠱惑的である


「お母様お父様…本当にごめんなさい…こんな事をする娘なんてきっと悲しむわよね…

でも生きるためよ仕方ないの」

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