ヴァンパイアの抱く花
波華 悠人
第1話
もし、今愛する恋人でも夫婦でもいい、居たとしてお互いに尊重しあいいつまでも一緒に居たいと思える中だろうか?もしこれに当てはまらないとしたらこれ以上不幸な事はないだろう
私の屋敷のメイド頭などいい例で、可愛い愛娘が社交デビューをはたし良い結婚相手を見つたら出来そこないの夫とは離縁してやると豪語しているし
またある所の令嬢は女癖の悪い婚約相手に辟易しつつも愛するがゆえに別れる事が出来ないでいる。
となれば私を作りだした女が言っていた通り、出会った二人が今世で例え不幸、幸せであったとしても死に別れたのちも離れる事は出来ない、というとんでもない話が真実に思えてくる。しかし、私は恵まれているらしくそういった事柄に縛られることなく生を謳歌しているといっていい。
目の前に山のように積まれた書類が私の生活の全てだと言わざるを終えないとしてもだ。
夜食にと用意されたまま放置されているカトラリーに乗った、カット細工が美しいガラスに注がれた赤い液体の匂いにも悩まされる事はほとんどないむろん生きている者から直接飲むとなればまたそれは別の話だがもうすでに二世紀以上存在していると、語り継がれるように血を飲まなければ死ぬだとか銀の杭、十字架、日の光…苦手ではあるが無理な事等は無い。
手元の書類を熟考し末文にサインを書き込む。
「なあそろそろ行かないか?」
「…私は忙しい、行くなら一人で行けと言っているだろう」
「今やベルフォート伯爵様のご趣味は財産を増やす事だけらしいな」
口端をいやみったらしく上げた男は、仕立てのいいスーツに純白のクラヴァットを自慢げに直しながら立ちあがる、金茶の髪は一部の隙もなくなでつけられブルーの目はアーモンド形、彫刻も真っ青な美しい美貌を引きたてるようにシルクハットをかぶるとステッィキをうでにかけ、おもむろにコートハンガーから取り上げた上着を投げてよこす
「何故あんなくだらない物を見に行かねばいけないのだ、ノエルお前はあんなものばかりみているから未だに」
「それ以上のお小言は待たせてある馬車に乗ってからにしてもらおう」
懐中時計を懐から出して確かめると、眉間にしわを寄せ、今度はハットを投げてよこす
「すっかり遅れてしまっている、お前のおかげでリリーのご機嫌を損ねたら責任をとってもらうぞ」
「勝手に私の予定を入れたお前が悪いとは思わないのか?」
「フェリクス=ベルフォート=ロード=イーヴァ 今すぐ立ち上がれでなければ屈辱的ではあるがお前を抱いて運ばねばならなくなる」
「……わかった、今回だけだからな…」
片手でフィフスを制して重い腰をあげ馬車へ向かう、二階から降りてきた主を出迎えたバトラーは黒のお仕着せを見事に着こなし、優雅に腰を折る
「フェリクス様迎えの馬車がお待ちです」
「私が呼んだわけではない、このノエルが勝手にしたことだ」
もっていたスティッキでノエルを小突いて見せるればおどけたように肩を上げたノエルは
「お前のご主人様をあの恐ろしい金を生み出す部屋から一時的ではあるが解放してやろうと思ってね」
「それはそれはでは今夜はお楽しみになられるということですね」
「ああもちろんさ、さあ行こう我が友よ」
「…まったくオペラなど消えてなくなればいい、いっそ破壊してやろうか」
覚悟を決めてシルクハットをかぶるとバトラーはすかさずマフラーを肩にかける
「今宵は雪が舞っておりますので、どうか道中お気をつけてくださいませ」
「我等にそんな心配は不要だ」
「ですが──御者は人間でございますので」
目をぐるりと回すと重たい足を馬車へと乗り込ませた。
「まったく君というやつはどうして永遠とした生をあんな無駄の事に費やそうというのか、オペラは人間が作り出した中でも誇れる一つだと思うが」
「むしろ飽きもせずに通えるお前が羨ましくなるほどだよ──それでまさかリリーというのは食事にするのではないだろうな」
「おいおい…やめてくれ。彼女は純粋に愛する人間さ、僕もすでに吸血欲は去って等しい」
「ならばいいが……」
金糸雀色の真っ直ぐに伸びた髪をゆったりと黒地のベルベットで結びつまらなさそうに外を眺める齢200歳を超える男を見てノエルは続ける
「そろそろ君も伴侶を見つけてはどうだろう?一人きりの生はつまらないだろう?」
「いや、まったく不思議とそうは思わない。むしろそうして財産を女に浪費されたり、生涯をとじた仲間もいたノエルお前もそうなりたいと思っているのだとしたら友人として忠告する、やめておけせめて同族を相手にしたほうがいい」
「同族にだって!わかってるだろう我々は同族に愛を感じない」
大きく揺れて止まった馬車に、フェリクスは杖で天版をいらただしげに叩けば外側からドアが開かれれ、一気に冷たい外気と煌々とした灯りに包まれ思わず目を細める。
「ああ、よかったまだリリーは到着していないようだ。乱暴な御者には感謝しないとな」
「…品のない劇場だ」
ごてごてと飾り立てた劇場のレッドカーペットの上で見上げれば、屋上から垂れさがる幕に今宵の演目が書かれている。どこぞで読んだことのある小説をもとに演じられるらしい
次々と劇場に呑まれていく人達の視線は、出入り口に立つフェリクスとノエルに注がれている扇で顔半分を隠しながら流し眼を送る令嬢までいるがノエルはどこふく風でフェリクスに至っては彫像のように美しい顔に不機嫌とかいてあるようなものだ。
一等豪華な馬車が停車すれば、いそいそとノエルは駆け寄り、誰よりも早くドアを自ら開ける姿はまるで御者か召使
「リリー!ああ今日もなんて美しいんだ、月も霞んでしまうよ」
「…まぁノエル様…一体何人の方に同じ事をおっしゃったのかしら?」
「君だけさ」
夜間にふさわしく深紅のドレスの胸元は最大限に引き下ろされまろやかな肩には計算尽くされた遅れ毛がかかっているコルセットで引きしめられた細腰をノエルが抱けばリリーはうっとりと身を寄せる。
「紹介しよう、こちらは僕の古い友人でフェリクス=ベルフォート、フェリクスこちらの麗しいレディはリリー=ローウェルだ」
「ローウェル男爵のお噂はかねがね窺っております、お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ…イーヴァ領を治めるベルフォート伯爵様にこうして会えるなんて…もうっノエルってば教えてくれていたらよいのに」
「驚かそうと思ったのさ、どうやら成功したようだね さぁ劇が始まってしまう急ごう」
「お嬢様…どうぞこちらをお身体を冷やしてはいけませんので」
レッドカーペットの手前でおずおずと声をかけたハウスメイドが真っ白なショールを差し出す。
「まぁ…でもそんなものを羽織ったらせっかくのドレスが野暮ったくなってしまうわ」
「大奥様からのご指示ですので、どうか……」
「貴方が黙っていてくれたらいいのよ、ね?」
可愛らしく頭を傾けるとノエルと共に劇場の光の中へ消えて行ってしまう、それを見てハウスメイドがこっそり溜息を吐くのを見逃すはずもなく
「…私でよければ預かろう。彼女の手にあればお前も咎めをもらうこともないだろう」
「え…いえ…伯爵様にそんな事はさせられません」
「いいからよこしなさい」
それでも中々こちらへ来ないハウスメイドに苛立ちを覚えるが、はっとしこちらからハウスメイドに近寄り、腕に抱いていたショールを取り上げる。
「…申し訳ない事をした。久しぶりに外へ出たので気が回らなかったのだ許せ」
「とんでもございません…でも助かりました、わたくしではそのカーペットを踏む事は許されませんので」
深々と腰を折ると、ハウスメイドは馬車の方へと戻っていった。
ノエルのボックス席を訪ね自らリリーにショールを渡すと、ほのかに顔を赤らめてはいたが侯爵からの指示には逆らえない事を良く理解しているのか受け取るのを確認し、自分のボックス席へ向かう、ほどなくしてオペラは幕を上げたが
「…やはり陳腐だな」
男女の馴れ初め、ちょっとした刺激に事件、そして最後は愛を歌って終わる。
これくらいならば書斎で不可解な古書を読み解くほうが有意義であるのは間違いない。
最近のお気に入りは東洋から取り寄せた奇怪な文字が羅列する古書で、どうやら人道的な行いについて語られているらしく、西洋とは見解が大きく異なるそれには大変興味がそそられている
頭の中でそれを開いて読んで行く。
「知識のみが渇望を支配する」
恍惚とした時間を過ごせば、いつのまにかオペラは終わっていたらしく劇場は拍手によって埋め尽くされていたやっとのことで解放される、帰宅したならばやるべき事は山のようにある、足早に劇場を出るが、そうだ連れがいた事を失念していた…ノエルを待たなければならない…ステッィキの上に重ねた両手をトントンと叩いている間に、主を迎えるために多くの馬車が停留所に列を作っており、それぞれの前にはバトラーやハウスメイドが息を白くして主の帰りを待っている。
「リリー君を連れ去りたい気分だが…今宵はあきらめることにするよ」
「私も離れがたいですわ」
甘ったるい話し声にうんざりだと目を回す
「ノエル帰るぞ」
「いっそ僕の屋敷に来るかい?責任はすべて僕がとるよ」
「まあ…ノエル様」
雲行きが怪しくなってきた…ノエルの悪い癖が出てきたこれ以上は茶番に付き合ってられない
「失礼、リリー嬢まさか未婚の女性にこのような誘いをするとは我が友人はどうやら貴方の美しさに頭をどうかしてしまったらしい。
今宵は私の顔に免じて寛容な許しを頂きたい──貴方も気をつけてお帰りになりなさい」
「…もちろんですわ、ベルフォート伯爵様…ではごきげんよう」
言葉に中に自分も諭されたと理解したのかリリーは踵を返し馬車へと向かいだす、隣に居たノエルは胡乱な眼差しでフェリクスを睨むと
「邪魔したなまったく…今どき婚前喪失などどこのご令嬢でもしているさ」
「だったら私の目の届かぬ所で誘惑してくれ」
「リリー馬車まで送るよ」
駆けだしたノエルはさらりとリリーの腰を抱くと目の前にまで迫った馬車まで付き添う、中々馬車に乗り込まないリリーの傍らで身体を小さく震わすハウスメイドに思わず目を細くさせる。
薄手のお仕着せに質素なケープを羽織っただけの身体は遠目に見ても細すぎる、キャップに詰め込んだせいで顔全体が外気に触れ、寒さのせいか青白い。先程ショールを奪った時に見た手もひどく荒れており、男爵家の財政状況を疑ってしまうがリリーを見る限りはそうではない事が窺い知れる。
「まったく悪い癖だな…盲目的になってしまうのは昔からだが」
まだリリーを離さないノエルに溜息を零した。
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