第13話 賑わう町の片隅で
ガラスの向こうから見ているだけではわからなかった本物の喧騒、ありとあらゆるものが混ざり合った匂い、空気、人々の暮らしの形、表情、声、熱、直に伝わってくるそれらに、エマは胸を高鳴らせた。
その胸は、困惑や不安、戸惑いなども抱えていたが、それ以上の関心があった。
「お祭りみたいだね……!」
「そう? 祝祭日はもっと凄いよ」
王都は人口が多いからね、と進行方向を向いたまま話すユーリを、隣から横目で見やる。
外套のフードに隠れて、いつもの木漏れ日のような髪が見えない。
元々修練後にこんなものを肩に羽織っていた時点で、外に出る気は満々だったんだなと思った。しかし、
「やっぱりお忍び、なんだよね……?」
「そんなに大それたことでもないよ。護衛付けないで外出すると怒られるけど、変に目立って気持ち悪いからついつい勝手に抜け出しちゃうのは、今に始まったことじゃないんだ」
なんてことない顔で言うユーリを、エマはジッと見上げた。
するとやっとこちらを向いたユーリが軽く首を傾げる。
「どしたの?」
「……だって、フード」
「ああ、これ?」
これはねー、と軽い調子で話すユーリは襟元を両手で掴んで引き寄せながら、
「町の人に顔だけで地位がバレるほどの露出はしてないんだけど、なんでか妙に見られてる気はするんだよね。で、普通に嫌だから、視線除け」
エマは納得した。
王族とは関係なく、この男は目立つのだ。
顔立ちは勿論のこと、なんたってカラーリングまでピカイチなのだから。
「ユーリってキラキラだもんね」
自分の、なんて思っていた感情は甚だ思い出せない上に抹消したいが、宝石のようだと感じるのは今でも変わらない。
キラキラの、きっと誰からも愛されている宝石。
改めて釣り合わなさに、婚約者、なんて肩書きが恥ずかしくなってくる。
今はもう婚約者というより友人の方がずっとしっくり来るようになったし、キラキラには同じくキラキラなヒロインがお似合いである。
キラキラ。自分には一生縁のないであろう擬音を脳内で何度も繰り返す。
「それ褒めてるの?」
「もちろん」
「そう。独特な褒め言葉をありがとう」
いまいちピンと来ていない風なユーリである。
「ユーリの髪は陽の光みたいだから、一緒にいてくれたら私、書庫に引き篭もってても光合成できるかもしれないね」
「………」
「簡易太陽的な」
「……人を勝手に引き篭もり用グッズにするのは止めてくださーい」
「いひゃいいひゃい」
ぐい~っと頬を引っ張られ、解放される頃にはヒリヒリになっていた。
エマ的には褒めていたつもりなのに、こんな仕打ちを受けるのは遺憾である。
ぶー垂れながら頬を撫で、切り替えて町並みに目を向けた。
出店に並ぶ果物の鮮やかな色彩や、仕立て屋の見事な洋服が飾られたショーウィンドウ。可愛らしい花屋に、レモネードの屋台。
水路の橋の近くにはギターを鳴らし歌を歌っている者もいる。
見ているだけでエマの気持ちは晴れやかになってくる。
しかし、キョロキョロと忙しなく瞳を輝かせているエマと違い、ユーリは真剣な声で、
「──エマも、似たようなの買う?」
「ん?」
きょとんと見つめれば、ユーリが自身の外套を軽く摘まんだので「え」と思う。
「いらないよ。ユーリはともかく、私は地味だし」
全くもって必要ない。そうケロリと言ったエマはユーリが言葉を発するよりも先に「お腹空いた」と胃の辺りを摩った。
ふぅ、と一息吐いてからユーリは再びエマの手をしっかりと握って歩き出した。
◆
「ここでおとなしく待ってるんだよ」
水路近くの階段の影で、そう念を押すように言われ、素直に頷く。
意外と心配性なんだなぁ、なんてことを考えながら、エマはユーリに「了解です」と親指を立ててみせた。
離れる時に一度だけでなく二度もこちらを振り返ってくるので、さっさと行けの意を込めてエマはヒラヒラと手を振った。
例えば物語のヒロインだったなら、心配してもしきれないくらいの扱いは妥当だが、自分はそうではない。
寧ろ逆なので、こういう時に妙な目に巻き込まれることもないのだ。
(本来は巻き込む側だからなぁ)
しみじみと思うエマである。
そのままぼーっと立ち尽くしていれば、空腹を刺激する芳ばしい香りが漂ってきた。
パッと顔を上げ、隠す事なく期待の眼差しを向ける。
「いい匂い!」
嬉しそうに駆け寄るエマの視線は、ユーリの持つ紙袋に釘付けだ。
温かい湯気が中から立ち上っている。
「ちゃんと待ててたね」
私のことまで犬扱いか、とムッとしたエマだが、この男は食い下がるより流すのが良いのだと数年で学んだので、聞かなかったことにした。いまは腹を満たすことだけを考えるのだ。
階段に二人で座り込む。
ニーアが見たら「いけませんお嬢様!」と怒るだろう。最近は腑抜けたエマを律する役目ばかり担っている彼女である。地面に座り込んで物を食べる、なんて悲鳴を上げられてしまう。
でも知られないところでこうしてこっそりやるのが、堪らないのだ。
今日はユーリに買って来てもらってしまったが、次は自分だけで町を回ってみるのもいいかもしれない。
「はい。熱いよ」
そう言って渡されたのは、楕円型の一見するとパンと思えるキツネ色の食べ物。
よく見ると衣が立っていて、揚げパンかな、と思いながらエマはフゥフゥと冷ましてから齧り付いた。
思っていたよりも遥かにもっちりとした生地に、中には挽き肉と、数種の野菜、キノコ類を刻んでスパイスを効かせて炒めた甘辛い具がぎっしりと詰まっている。
あつあつもちもち、こってり美味しい。
ハフハフと口の中の熱を逃しながら食べ進め、
「おいひぃ……!!!」
心底感動しているエマに、「こっちは生地の中にクルミと蜂蜜が入ってて、シナモンが掛かってる」と追い討ちをかけるユーリに、エマはボフボフと興奮のオーラを爆発させた。
「ふぉっひもふぁへふぁい」
「ゆっくりね〜」
呆れ笑いを浮かべながらもユーリも大きく一口。
もぐもぐ……もぐもぐ……
緩い空気が二人の間で流れる中、ふとエマは思い出す。
今自分たちは対決中だということを。
空を見れば、日暮れに近い霞んだ青さが広がっていた。
タイムリミットまであと数刻もないだろう。
上手くいけばこのまま美味しい思いをしているだけで、勝負に勝ててしまうのでは。
「これ、私たちの勝ちなんじゃ──」
嬉々と言いかけて、止まる。
結局ズルして勝ってしまう、と思った。
だったらいっそ、
「引き分けって事にしたいなぁ……」
「いんや、俺の勝ちですねー」
背後から掛けられた声に、驚いて振り返れば、にんまりと笑うリュカがいた。
「な………!」
瞳を瞬かせ驚くエマに、ユーリは「だから心配ないって言ったでしょ」と見つかることをわかっていたように言った。しかも、リュカの分、と先程のモチパンを渡してまでいる。
何だろうこの一人奔走していたような気持ちは……と、エマは虚しくなった。
「流石に苦労しましたけど。ユーリの格好からして城下に行くつもりなのは予想できましたから」
「…………」
「リュカのよく効く鼻にエマがもう引いちゃってるよ」
「鼻じゃなくて勘って言ってもらえませんかね……」
リュカは「ていうかアンタらになんかあったら俺の首が飛ぶんですからね」と草臥れた様子で二人よりも数段上に座り込んだ。
その言葉にエマは「ら?」と思う。
表情から言いたいことを読み取ったのか、リュカは視線を外しながら「ここまで来たら子守に一人も二人も変わりませんから」と言う。
「エマも匂い覚えられちゃったってことだね」
「だからその言い回しはやめてくださいって」
やいのやいの言う男二人の端で、
「じゃあ今度からは迷ってもリュカが見つけてくれるのかぁ」
と、エマはぼんやりと呟いた。
わりと頼もしいかもしれない、なんて思った。
リュカ数秒瞳を丸めてから、
「……まぁ、必要があれば見つけてやりますよ。ユーリのついでに」
と、ぶっきらぼうに言う。
これも前世の知識からわかっていたことだが、リュカはなかなか面倒見のよい性格である。
それが友人にレベルアップしたおかげで自分にも発揮されるようになり、エマは純粋に「有難いな〜」なんて思っている。
同時に、バチバチと火花を散らしていた過去が申し訳なくなる。
「──私も、二人が困ったら助けるよ」
有難がってるばかりではいけないので、と鼻を鳴らせば、二人はキョトンと呆けた。
そして、、
「ありがとね」
「どーもっす」
「ぬぁっ!」
撫でこ撫でこ。
親戚の子どもにヨシヨシと接するような、慈愛に満ちた表情を浮かべる二人。エマは思わず手を払って勢いよく立ち上がった。
何故みんなしてこうも子供扱いをしてくるのか。
精神年齢的には上なんだぞ、と叫びたくなる。
──やはり少しは必要なのだろうか、悪役オーラというものは……
ついつい、そんなことまで考えてしまうのだった。
とにもかくにも、試合には負けたが勝負には勝った、そんな気になれるほど、初の城下町散策はエマにとって楽しいものとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます