第12話 脱走
逃げる獲物二匹と、狩人。前世でいうところの隠れ鬼だ。
恐らくリュカとはじめてまともに会話したであろう、あの調理場。
何ヶ所かある調理場の中でも城の端に位置するそこの、最奥の調理棚が空っぽなことを知っていた。
始まってすぐに浮かんだその場所に、エマは一直線に向かった。
戸棚の中に、体を折り畳んで隠れる。
意外にも収まりがよく、真っ暗の中、上がっていた息を落ち着けた。
かき集めたスカートの裾を握って、しめしめ、と思う。
まさかこんな狭苦しいところに隠れているなんて思わないだろう。無駄に成長したあの二人では到底入れない場所なので、中に人が入っているなんて考えに及ばないはず、という作戦である。
「ふぅ………」
一先ずこうしてしっかりと隠れることができたことに安堵の息を吐くが、どうにもソワソワと落ち着かない。膝を抱えて小さくなりながら、足先を擦り合わせた。
鬼ごっこなんて、それこそ前世ぶりである。
(ちょっと楽しい)
タッタと走るエマを見た通りすがりの役人たちは、皆一様に目を丸めていた。
淑女にふさわしい振る舞いを、と意識を高く持っていた頃だったらわからないが、今はぺこりと頭を下げるだけで急ぎ通り過ぎるようなエマである。
昔に比べて駄目になったところも多いかも、なんて、ぼんやりと思った。
「みっけ」
──ッゴツン!
「~~~~~~ッッッ!? ぅ、ぁあ~~~~………」
戸はしっかり閉め切っていたし、誰かが入ってきた気配も、近付いてくる足音も聞こえなかったのに。
突然の外光に飛び上がったエマは、見事に頭を打ち付けた。
鈍く、聞いている側も鳥肌が立つような痛々しい音が響いた。
痛みのあまり、グルグルと目が回る。
「な、なん、なんなん、なん……!?」
「ごめん、そんなに驚くとは」
前後不覚のエマの手を取り棚の外へとゆっくりと導き出したのはユーリである。
エマの方が先に出て、戸棚に隠れてから殆ど間もないというのに、どうして彼が目の前にいるのか。
──もしや、魔法か。
この隠れ鬼、そういうのもアリだったのかとエマは打ち付けた頭を撫でながら思う。
しかしそんな都合の良い魔法があっただろうか。同時にそう考え、すぐに否定に至った。
魔法とは、けして万能なものではないのだ。
そんなエマの脳内を読み取ったように、
「単純に、追いかけてきただけだよ」
「………」
「知ってる場所しか行かないだろうから、最初にかなり絞り込める。エマなりに考えて書庫は外すだろうし、足では勝てないからって早い段階で隠れるだろうなとも思った。で、キミの猶予の中で辿り着ける範囲を考えれば、簡単」
「……なるほど」
「エマってこういうところ入りそうだなって思ったら、ドンピシャだったね」
撃沈するエマにユーリは困ったような笑みを向けた。
「なんて顔してんの」
そして、まだ勝負は終わってないとエマの手を取り駆け出した。
そういえばそうだった。狩人はリュカで、ユーリは同じく逃げる側だ。
ということは、
「私まだ死んでない!」
「そうだねー。だけど同じ考えでリュカがこっちくるかもしれないから、離れようね」
「なるほど!」
「でもこうして僕が回収することも読まれてる気がするよね」
「たしかに!」
エマは裾を持ち上げ必死に足を前へ前へと動かす。
ゼハゼハと息を切らしながらも快活に返事をするエマに、ユーリは彼女には見えない角度でクスクスと笑った。
引き篭もりが久々の運動にハイになっている状態である。
ひーしんどい、と嘆いてはいるが、その声色は楽しげだった。
「ユーリに手を引かれて走ると、風になったみたいに速いね!」
一人で走るのとは全然違うとはしゃぐエマに、ユーリはほんの少し足が縺れそうになったのを悟られないように立て直した。
ぐっと息を止めてから、「ぶはぁ」と一気に吐き出して、
「余裕ありそうだから、速度上げるよ」
「え、まって、むり、あー! 無理無理無理ぃ!」
城の中を駆けていく二人と出くわした者たちは皆、「ユーリ殿下はあんな風にも笑うのか」と物珍しそうに見入っていた。
◆
カツン、カツンと、歩くたびに靴底と石畳がぶつかる音が空洞内に響いた。
導かれるままに走り続けた先は、薄暗い地下通路。
城の地下の酒蔵の床。敷き詰められた煉瓦の一つに極々小さく、王家の紋章が刻まれたものがあった。そこにユーリが手を翳せば、彼の左手中指に填められた紋章の彫られた指輪が光り、更に地下へ続く隠し階段が現れた。
そうして先程、そこを降りてきたところ。
「ぁ゛ぁ゛ぁ゛~~~………」
体力を消耗しきり、腹底から這い上げて来たような声で呻くエマと、特に平常時と変わりない様子のユーリ。
二人はエマが灯した明かりの魔法で足元を照らしながら、暗い通路を突き進んでいた。
地下への階段を見るなり、これは流石にズルだ、と進もうとしなかったエマだが、
「ずっとここに潜ってたらそうなるけど、行き先はちゃんと見つけられるところだから大丈夫だよ」
と言われたので、一先ずついて行くことにした。
それに、王城の隠し通路の先がどこに繋がっているか、気にならないと言えば嘘になる。
歩くこと数分で、地上への階段が見えた。
降りて来た時と同じくして地上への鉄扉の施錠が外され、手を取られながら数刻ぶりの地上へと顔を出す。
そこは城を囲むように茂っている雑木林の中だった。
「いや、やっぱりズルだよこれ」
どう考えても城の外である。指定範囲外だ。
自分が決めておいて、もしやルールを忘れたのかとユーリを見やれば、
「僕さ、一番水路までが城の一部だと思ってるんだ」
屁理屈にもなっちゃいねえ…と唖然とした。
王都には城を中心として大きな円を描くように流れる水路が二本ある。
王城があり、それを囲む林があり、その先に城下町が広がっている。その町中を流れる一本目の水路までが城の範囲内だ、とユーリは無茶苦茶を言っているのである。
こんな馬鹿馬鹿しい広さで鬼ごっこなど、鬼が不憫にも程がある。
「リュカが可哀想だよ」
「大丈夫だよ。このくらいの方がアイツも燃えると思う」
「う、嘘だ~……」
「たまには全力で走らせてあげないとねー」
いや、本当に犬か。
エマが勝手に抱いていた印象はどうやら共通認識だったようだ。
呆気にとられるエマに構わず、ユーリは歩き出した。
ここまで来たら嫌でもわかる。この王子、城下に降りるつもりなのだと。
「さ、流石にまずいのではないでしょーか」
「いいからいいから。エマは王都を見て回ったことあるの?」
「……そういえば、ちゃんとはないかも……」
馬車で通ることはもちろんだが、その時に窓から景色を眺めるだけで自分の足で歩いたことは無かった。
まだまだ生粋の箱入り娘な自分が途端に恥ずかしくなる。
考えてみれば自分で何かを買ったことさえない。ほしい、といえば用意される、そんな豊かさをルソーネ家は持っている。
速攻で燃えカスになるアパートで、ひもじい生活を送っていた前世を思うと酷い差だ。
何だか、ウズウズしてくる。
(城下町……降りてみたい、かも、しれない……)
「賑やかで楽しいよ。町ならではの美味しいものもいっぱいあるし」
「!」
珍しくアクティブ思考に傾いているエマは、その言葉にじゅるりと生唾を飲んだ。
走ったお陰ですっかりお腹が空いているのだ。
エマの瞳に期待の色が浮かんだのを逃さず、ユーリは力強く手を引いた。
「いこっか」
ぐい、と引かれ、一歩踏み出したが最後、エマの足は躊躇いを捨て去る。
「後で一緒に怒られよう」
「うー…やだけど……いいよ……」
こうして共犯者となった二人は城下へと向かった。
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