第8話 甘い香りと
「じゃあ、先輩のところに行こうか」
「???」
突然そう言ってエマの手を取り立ち上がらせたユーリは、辺りの使用人たちに、
「調理場に行ってきます。付添は無用です。各々他の仕事についてください」
と端的に声を掛けてから、スイと彼らの横を通り抜けた。
引き止める声も聞かずに、エマの手を引いて小走りに広い廊下を駆けていく。
前を走るふわりとした手触りの良さそうな金の髪が、窓から差し込む光によってキラキラと輝いていた。
エマは手を引かれるままにユーリに着いて行くしかなく、足が縺れないように必死になる。
「──と、失礼しました」
そんなエマの様子に気付き、ユーリは速度を緩めた。
エマの隣に並び、今度はエスコートするように手を引く。
「女性は大変ですね。ですが今日のドレスも一段と美しい」
走りづらくしていたからだろう、そんなことを言われエマはギョッとした。
「そ、そういうのどこで覚えるの……」
「兄だね」
「えぇ……」
どんな気障兄弟だ、とツッコみたくなる。
相手は十歳児で、おそらく嘘でも簡単に気障なことが言えてしまう人間だ。そうとわかっているが、前世は極東の島国で生まれ育ったエマである。普通に照れた。
ニターっと笑っているユーリには白けさせられたが、貴重な体験に心の中で合掌する。
「ところで、先輩って?」
「会うまでのお楽しみ」
ユーリの言う『お楽しみ』が本当に楽しいものだとは到底思えず、エマは若干の不安を抱えたまま歩く。
王宮の廊下は横にも広いが天井も高く、施された装飾は溜め息が出るほどに美しい。
幼いながらそれなりに豪奢なものを目にしてきているエマだが、王宮にくるといつもその驕りがしぼんでいくように感じていた。
広大なセレス城は一日掛けても回り切れるかどうか怪しく、エマが足を運んだことがあるのは庭園と、城門からそこに至る道のみ。今ユーリと歩いている城内の奥は、エマにとって未開の地だった。
通りかかる者たちはユーリを見るなり身を正して頭を下げる。
エマは改めて、この人は王子様なんだ、という気持ちと、絶対婚約解消したい、という胃の痛みを感じた。
しかしユーリは人と出くわすのが億劫のようで、やたらと角を曲がりながら潜むように進んだ。
お陰でエマは目的地に着く頃にはバテ気味になっていた。
辿り着いた調理場からは、扉の外にまで焼き菓子のいい香りが漂っていた。
そっと扉が開かれ、甘い香りが強くなる。中に入り、静かに扉を閉めてから辺りを見回せば、立派で、綺麗に扱われている調理台や水場が見える。様々な調理器具が掛け並べられていて、エマはもの珍しく見入った。
だが、奥にある窯の前に立ち、焼き加減を伺っている見知った赤髪を見つけ「げ」と思う。
勿論、庭園での事故以来、顔を合わせていない。
エマは即座に踵を返そうとしたが、ユーリにがっしりと腕を掴まれ阻まれてしまう。
「リュカが今作ってるの、キミへのお詫びの品」
「え?」
とっておきの秘密を教えるみたいに嬉しそうに言うユーリ。
その言葉に戸惑っている間に、そのまま腕を引かれてリュカの方へと連れていかれ、
「リュカー、お腹空いたから来ちゃったよ」
「はぁ……ちゃんと持ってくから調理場まで来るの止めてくださいって前にも……ゲッ…!」
面倒そうに振り返ったリュカはエマを見るなり、先程エマがリュカを見つけた時と同じような反応をした。
当然その反応に良い気がするわけもなく、エマは冷たい無表情でリュカを見る。
あの日のことがどうこうではなく、そもそも仲が良くないのだからこうなるのも仕方がない。
「どーも」
「え、あ、ああ……はい、どーも……」
当て付けのようにいつものリュカの挨拶を真似たエマに、リュカも戸惑いながら返す。
エマはスッと視線を横に外してから、足音も立てずにユーリの背に隠れた。
「あらら」
「……なんで連れてきちゃったんですか」
「だって遅いから」
「悪意を感じますよ、ユーリ」
「善意でしかないよー」
二人の軽いやり取りにエマは小さく「この人は敬語……」と呟いた。
「リュカのはもう癖みたいのだから。名前は無理やり慣れさせたけどね」
「私も癖で「嘘は駄目だよね」
一刀両断され、黙り込むしかなかった。
エマは目の前にある背を叩いてやりたい気分になったが、度胸が無くて腕を下ろした。
見習いから昇格する頃には、思いっきりどつけるくらいになるのだろうか。
想像するとすごい図だが、少し面白い。
「エマ、なんか変な妄想してない?」
「シテナイヨ」
「キミはバレる嘘を吐くのが趣味なのかな」
そんなエマとユーリのやり取りを前に、リュカは目を見開いた。
それに気付いたユーリは「彼女、最近革命があったらしくて」と可笑しそうに話す。
やっぱり、背中をどついてやりたい、とエマは思う。
「エマ、ちゃんと紹介するよ。僕の友人、リュカ・フレロ」
ユーリは二人を向き合せるように移動し、間に立って両掌を広げた。
「リュカ。婚約者兼友人見習いのエマだよ。二人とも仲良く、しようね」
仲良く、のところを強調するユーリに、二人は同じタイミングで視線を逸らした。
豪華な仲介役である。それでも、友達の友達は友達、なんて簡単にはいかない。
そんな二人を眺め、ユーリは肩を落として息を吐いた。
「リュカ」
ただ名前を呼んだだけだが、目が冴えるような一喝に思えた。
自分が呼ばれたわけでもないのに、エマは思わず頭を上げる。
すると、目の前には気まずそうに首裏を撫でるリュカがいて、金色の猫目と視線が合わさる。
「えー……あん時は、すんませんでした……多分こんな謝り方じゃアンタは気に食わないと思うんで、言葉の代わりに、菓子でも用意しようと思ったんですけど」
フライングされたんで、とちらっとユーリを睨むリュカ。
慣れているのか、ユーリはそれにも笑顔を返している。
「……あの日の事はこちらにも非があるので。こちらこそ、ごめんなさい」
「おお……革命すげぇ……」
「………」
「すんません」
じっとり睨みつけるエマに、リュカが即座に謝る。
「うんうん。二人ともちゃんと謝れて偉い」
「どういう立ち位置ですかアンタ……」
呆れて嘆息するリュカ。
ふと、そういえば、と思ったエマはビビりながらキョロキョロと辺りを見回した。
「あー……キュウならいませんよ。そもそもあいつは俺が飼ってるわけじゃないんで……だから、ちゃんと見れてなかったのも、すんません」
リュカは改めて、深々と頭を下げた。
まさかこの男に頭を下げられる日が来るとは、と衝撃を受けたエマは、つられるようにぺこりと頭を下げた。
「私が警戒させてしまったのも悪いです」
「……アンタ、人に頭下げるとかできたんだ」
「あなたいつも一言余計ですね」
やっぱり何だか微妙な空気が流れるな……とお互いに思ったところで、「これで一件落着だ」とその空気を取っ払うようにユーリが明るく言った。
一件落着。素晴らしい。これでもう何の蟠りもない。
だから、もうこの男とは関わりたくない。
エマはそんな事を思う。
リュカ・フレロ。彼には前世でも苦戦させられたのだ。
ユーリの従者兼友人で、魔力は少ないが登場人物一、武に長けている。
没落貴族の一人息子で今では天涯孤独。
『ゴミ溜め出身です』と低い自己評価を持っていて、過去ユーリに拾われ七歳から王宮に入っているが、未だに一部からは煙たがられている。
しかし卑屈になることもなく、寧ろ飄々としている神経の太い人物である。鈍感とも言えるほどに。
生い立ちがエピソードにがっつり関係していたので、よく覚えていた。
今はまだ可愛らしさを残した金のつり目だが、数年経てば目だけで人を殺せるような鋭さを持つ。
そのせいで周りから避けられ、自分にはユーリさえいればいいと思っていたリュカは、ある日ヒロインと出会うのだ。
瞳に臆することなく優しく接してくれる彼女に、リュカはどんどん惹かれていく。
しかし簡単にはいかないのが『MLS』である。
リュカルートではヒロインとユーリは良き友人関係であるというのに、何故だか二人の関係を勝手に勘違いするのだ。
そもそも、自分が他人とどうこうなるつもりなどさらさら無く、ヒロインの気持ちが一切届かない。
何度「お前に言ってるんだよボケが!!」と思わされたかわからない。
そして大問題なのはエマにとって脅威的存在であること。
ルートによっては派手な出番のないこともあるエマだが、それでもせっせと悪事は働く。
「悪い事をしてないと死ぬのか?」と不思議に思うほど、あくせくと働くのだ。
そんな彼女をさくっと殺していくのがリュカである。
人知れず屋敷内で首をかき切られることもあれば、通りすがりにぶっすり殺られることもある。
物語に不必要な時は序盤に、必殺仕事人リュカの手によってこうしてあっさり死亡するのだ。
『ルソーネ公爵家のご令嬢が、お亡くなりになったそうよ』
という一文で片付けられることもある。
不必要ならわざわざ殺す必要ないだろうが、と文句を言いたいエマである。最早嫌がらせレベルだ。
「仲直りの機会をくれてありがとう。それじゃ、私そろそろ」
さっさと逃げたい。この思いに尽きるエマがユーリに向かって言えば、「まだ早いよ。リュカのお菓子も食べていきなよ」と無慈悲な言葉が返ってきた。
「あ、あとリュカにも敬語やめたら? リュカもその方がいいでしょ」
「はい。ユーリにそれで、俺に敬語ってのは気持ち悪いです」
「だよね。じゃ、そういうことで」
何でそうなる。
うー……と小さく唸るエマだが、二人は気にした様子もない。
とことん上手くいかないことばかりだ。
エマは今日初めて、自分が流されやすい性格なのだと知った。
関わりを絶つために来たのに、状況が悪化したようにしか思えない──というのに、胸が温まるような心地でいるのが、非常に不味い。
人付き合いの無かったエマにとって、こんなにも賑やかなことは生まれて初めてなのだ。
前世の、人と関わりながら過ごした幸福な記憶と重なる。
「ねえリュカ、お腹空いた」
「あー、もうすぐ焼き上がると思うんですけど」
チェリーパイ、というリュカに、エマは思わず吹き出しそうになってしまった。彼の口から「チェリーパイ」なんて可愛い響きだろう。
そういえばこの男が調理場にいる時点で違和感しかない。
まさかあの狂犬にこんな特技があったとは。
と、これまで自分が食べていた物が彼のお手製だったと知ったエマはつい、
「ふ、ふふ……」
「「???」」
「あはは」
二人揃って目を丸くするものだから尚更可笑しかった。
「そ、その顔で、お菓子作り、に、似合わな……」
くひひひ……とお腹を抑えて笑うエマに、リュカは何とも言えない気持ちになった。
いつも仏頂面か薄気味悪い愛想笑いしか向けてこなかったエマが、自分の前で爆笑しているのだから呆気にも取られる。
だが、先程の言葉は聞き捨てならない。
「……悪いかよ」
「ううん…ふふ……凄く良いと思う」
「は?」
「意外と可愛いんだね」
「はぁぁぁ!?」
めちゃくちゃ嫌そうな顔をしたリュカに、エマは褒めてるのに、と呟く。ユーリが隣で吹き出した。
「ユーリ…!」
「ごめんごめん」
「まったく……」
リュカは溜め息をついてから、窯の蓋に手を掛けた。
甘い香りと、熱が広がる。
窯の奥には火が轟々と燃え上がっているのが見えた。
途端に、エマの全身が強張る。
奥の歯が合わさり、カチリと鳴った。
手に汗が滲んで、瞬きが増える。
エマは乱れそうになる呼吸を何とか整えながら、後退り、窯から離れた。炎が見えないところにまで下がり、安堵の息を吐く。
「エマ……?」
「ぁ……なんでもない」
「……もしかしてアンタ…」
エマの一連の動きを見てユーリとリュカは揃って顔色を悪くした。
「火が駄目なの?」
近づいてそう問うユーリに、エマは「いえ」と端的に答えた。
「ちょっと熱かったから」
そう言って笑えば、二人は苦い顔をしたがそれ以上追求することはなかった。
チェリーパイは王宮料理士が作ったものではなくとも、十分すぎるほどに美味しかった。
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