第7話 友人(仮)


「体調が良くなったから、と伺っていましたが…」


 まだどこか優れないのですか、と首を傾げたユーリに、エマはふるふると首を横に振った。


「いえ、もう万全です」


 少し疲れているだけで、という言葉は飲み込んで、今日一番気張らねばならない『今』に、心の中で気合を入れた。


 とはいえ、どう切り出したものか。


 エマとユーリはいつものように王宮庭園のガゼボで、遠巻きに使用人を数人並べて、人一人分くらいの間を開けて隣り合っていた。

 いつもと違うのは、彼の斜め後ろにリュカの姿がないことだ。


「本当に?」


 何故だが疑り深く体調を伺ってくるユーリ。

 顔を覗き込まれ、上目遣いで見つめられると酷いご尊顔に目がチカチカしてしまう。

 十歳児らしい丸っこい瞳がパチリと瞬いた──その隙に、エマは彼との間にもう一人分くらいの距離を取った。

 スッと音もなく遠のいたエマに、ユーリはポカンとする。


「ご心配には及びません」

「……そうですか」

「ユーリ様、読書はしないんですか」

「はい。今日は話でもしましょう」


 そんな返答に、エマは膝の上で指先を絡めながら小さく頷いた。視線も膝に落としたままユーリの顔を見れずにいる。足先をユラユラと揺らして落ち着きがない。


「エマ様が、何か話したいことがあるようなので」

「!」


 弾かれるように顔を上げれば、ニコニコ笑顔を浮かべるユーリがいた。

 何か面白いことを言ってくるのか、といった顔である。

 エマは生唾を飲んだ。失礼のないように、上手く言えるだろうか。


 グルグルと考えた後、最後は「ええいままよ!」であった。


「さ、差し出がましいようですが……! ユーリ様は、私との婚約を考え直した方が、いいかと……思い、ます………」


 勢いづいていたつもりが語尾を弱らせていくエマに、ユーリはまた呆け顔を返した。

 そんなのも絵になるなと、頭の隅で考えながら、


「そもそも、親同士が勝手に決めたことですし、私たち二人から声を上げれば、婚約解消はスムーズかと…」


 思うんです、という語尾は最終的には消えていた。


「……随分急ですね。なんでまた……ああ、やはりこの間のことが」

「いえ、そういうわけでなく」

「他に、気になるお相手が出来たのですか?」

「ブッ!! ち、違います…!」

「では依然おっしゃっていた『革命』とやらの影響でしょうか」


 馬鹿にされている、と思った。十歳児に。

 顔色一つ変えず、寧ろいつもより遥かに愉快そうに話す少年に、エマは無駄にドギマギさせられている。

 この少年こそ、前世の記憶持ち、強くてニューゲーム、そんな人なのではないかと疑いたくなるほどに大人びている。

 エマが急いでおばあさんになったとしても、彼の精神を追い越せないかもしれない。

 そう思わせるほどの雰囲気があった。


 同時に、王子様って大変なのかなあ、なんて素朴な疑問まで浮かんだ。だって、普通に生きていてはこうはならない。


「……純粋に、私には務まらないと思ったんです」


 ──今まさに、追い打ちをかけるように思わされているところです。


 思えば、こうしてユーリと会話らしい会話をしたのは初めてだった。そうして浮き彫りになる釣り合わなさ。

 そういえばゲームでも、出来過ぎる、そんな設定があった覚えがある。

 そうだ、設定。性格設定を思い出そう。


(えーっと…えーっと……)


 たしか、紅茶が好きで…

 あとは──そうだ。


「何を今更」


 サディスト。

 そう、簡潔に書かれていたんだった。


「大丈夫ですよ。そこまで求めてないから」

「へ……?」

「元々、王族の婚姻なんて形だけのようなものだし」

「えっと……」

「縁談が面倒だから、僕としてはこのままの関係を続けていきたいところなんだけど」


 ──革命とやらのおかげで、エマお嬢様がとても僕好みになられましたし。

 そんな言葉には絶句するしかなかった。

 エマのあんぐり顔を眺めながら、「可愛い顔もできたんだね」と、言い出すので、もう恐怖でしかない。


「以前から、どことなく虐めたくなるオーラを放ってたけど、今の方が俄然いいね」

「ま、ままま、待って、ください!!」

「うん。なに?」


 あんまり大きい声出したら使用人たちに聞こえるよ、と注意を受けたので、エマは慌てながらも声を潜め、


「ちょ、まっ……え、なんか、ふ、雰囲気が……」

「当然、キミと同じで、社交場やキッチリしなくちゃいけない場での自分と、本来の自分は必然的に分かれてるよ。僕の人生は殆ど、キッチリモードでいることばかりだけど」


 そうだ。その本来の彼を見抜くことで、ヒロインとユーリの仲は縮まって……なんて、今更思い出しても遅い。

 新しいおもちゃを見つけたような顔をしているユーリに、エマは自分の体から血の気が引いていくのを感じた。


 本来の予定では、婚約解消の方へと上手く話がまとまって、国王陛下にユーリから進言してもらうつもりでいたのだ。

 ちゃんと伝えれさえすれば、親はどうあれ、ユーリには通じると思っていた。


「と、とにかく、今一度婚約の件を考え直していただきたく……!」

「うーん。じゃあ御父上にでも相談したら? 親同士が決めたんだし、解消も親同士に決めさせればいいよ」


 流石に、カチンと来た。

 イライライラーの再発である。


「ふざけないでください! あなたとこうして話して、もっと婚約解消の必要性を感じました!」

「どうどう」

「誰でもいいというなら私以外の誰かを適当に選んでください…! 簡単でしょう…!」


 エマが大きな声を出したことにより、使用人たちが何事かという顔をこちらに向けた。

 その為、エマは渾身の作り笑みを浮かべて潜め声で言う。


「それに、殿下はきっとこの先、私との婚約を取り消したくなる日が来るはずです」


 なんたって、ヒロインが登場するんだから。


 ユーリはエマの言葉に吹き出すように笑ってから「それ自信持って言うことじゃなくない?」と心底可笑しそうに言う。その表情は、年相応に少年らしい笑みだった。


「じゃあ、そうなる時まではこのままでいてよ」

「え゛!?」

「絶対破棄したくなる日が来るんでしょ?」


 ならいいよね、とユーリは澄ました顔でカップを傾けた。

 優雅に紅茶を一口喉に通してから、


「それに、あなただって公爵令嬢として無駄な縁談話が尽きないでしょ。相応の日が来るまでの虫除けとでも思ってくれたらいいよ」


 確かにあることはある、らしいが、エマはまだ社交界デビューを果たしておらず面倒ごとは知らないので、彼の高貴なるお悩みに同調することはできない。

 それに、王国第二王子を虫除け扱い出来るほどのイカれたメンタルは持ち合わせていない。


「む、無理です、無理無理無理……」

「あなたにはもう僕の性格は掴めていると思うけど、」


 嫌がられると余計そうしたくなるんだよね、といい笑顔で言ったユーリに、エマは心の中で「終わった」と思った。

 まさかこんな展開になるとは。


 こうなってしまったらもう、大人しく彼がヒロインと出会うのを待つしかない。そしてその後、速攻で円満解消する。

 それまでこのサディストの婚約者として出来る限り関わり合いを薄くして……と、そこまで考えて、気付く。

 自分は何をしなかったとしても、魔女という理由で処刑される可能性があることを。

 実りを阻む虫を何の感情も無く殺すのと同じように、ただ異物を取り除くように、魔女という存在は消殺対象なのだ。


 もしも問答無用で首を刎ねられるような事態に陥った時、王子の婚約者、という地位は役に立つのではないか。

 そうでなくとも、王子と良い関係を築いておけば、命を守る盾になるのでは。

 しかしこの考えは、紙一重でもある。

 ユーリ本人に殺される可能性を知っているからだ。


 それに──


「エマ様って面倒だから、エマって呼んでもいい?」


 こんな風に気軽に話されると、以前よりも妙に情が湧いてしまう。


(十歳にしてすでに残念なほどのドSだけど……)


 エマは、利用する為だけに関わるなんて器用なことは多分自分には出来ないと思った。


「はあ……いいですよ……ていうか、自由すぎです殿下……」

「あなたは以前より遠退いた呼び方になってるね。お嬢様言葉は前より砕けてるけど」


 あれはもう小っ恥ずかしいからやらないと決めたのだ。


「じゃあ敬語禁止ね。王子命令」

「え!? やです!!」

「オトナがいない時だけでいいから」

「…………」


 苦々しいの表情を浮かべるエマに、ユーリは見飽きたほどの綺麗な笑顔を向ける。エマにはもうそれが真っ黒な笑みにしか見えなくなっていた。


「…………では、その件を飲む代わりに、私からも一つ」

「婚約破棄以外なら」


 わかってますよ! と心の中で乱暴に返してから、


「表向きは仕方ないとして。しかし婚約者というのは、私にはどうもピンと来ないので……まずは、その…友人から、なんていかがでしょうか……?」


 婚約はどうせ無くなるだろうが、友情なら無くならない。

 これだったらいくらか気楽な上、もしもの時の効果だって少しは期待できる。

 だが些か不敬だろうか、と不安になるエマである。平凡化したエマには、これまでこの王子にキャッキャと付きまとっていた自分がもう思い出せなくなっていた。

 理性が無い時の方が気楽なことが多かった、と思う。


 返答がないことに冷や汗が止まらなかった。

 ユーリはじっと見つめてくるだけで何も言ってくれず、エマは逃げ出したい気持ちに駆られた。胃が痛い。


「友人、ねえ……」


 そう小さく呟いたユーリに、エマは引き攣った笑みにダラダラと滝の汗を流した。


「そもそも、エマにはいるの? 友人」

「え」


 そう言われれば、悲しいことに一人もいなかった。


「いません……だから、殿下がなってくれたら、殿下が私の、はじめての友人です」


 エマは素直に答えた。

 ユーリはまた揶揄うように笑って「それは光栄だ」と言う。

 ということは、と期待の眼差しを向けるエマだが、


「じゃあ、見習いからはじめよう」

「はい?」

「魔法士もそうでしょ? まずはみんな、見習いから」

「は、はあ……」

「それに習って、エマは僕の友人見習いってことで」


 なにそれ。めんどくさ。

 口を付いて出そうになったが、エマはぐっと堪えた。

 流石はかの癖ありゲーム『MLS』の攻略対象である。

 簡単には友達にもしてもらえない。


 しかしゲームではもう少しマイルドだった気がする。登場時から今よりはもう少し擦れているが、ここまで捻くれたSは発揮してこなかったような。

 年齢のせいか。はたまた、エマが舐められているせいか。両方か。


(あ、ヒロインが特別だからか)


 そりゃあ、扱いが違うのは頷ける、と一人納得するエマ。


「じゃあ僕の友人見習いエマ。改めてよろしくね」

「……はい」

「…………………」

「うっ……わ、わかったよ…」

「堅苦しい敬称で呼んだら返事しないから」


 ズガン、とエマは衝撃を受けた。敬称禁止…ということは、


「名前で呼んでね、エマ」

「ユ、ユーリ様」

「………………」

「ぅ……ユ、ユー……ユー……………んぁーーー!」

「あはは」


 本当に、とんでもないことになってしまった。

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