第6話 ほどける


 悩んでも仕方のないことは悩まないようにしよう、でも、どうにかなるものなら頑張って考えよう。


 そしてエマが辿り着いた答えは、とにかく静かに生きて死亡エンドを回避する、である。

 以前掲げた宣言と何ら変わりなかった。

 ちょっかいなど出さず、危ない種を撒かず、慎ましく生きる。


 目指せ、老衰。


 これを機に、研究所でまじめに働き、自分もちゃんとした魔法士になってみるのはどうだろう。貴族の家に生まれ、魔力も申し分ないほど持つエマが魔法学園に進むのは避けられないことだが、その後はワーズとは別の名もない小さな研究所にでも入ればいい。

 エマは名案だとうんうん頷いた。


 前世の彼女は、不評だったミニゲームがわりと好きだった。

 なんならシナリオを読むより、そちらをやり込む方に時間を費やしていたように思う。

 特に好きだったのが、ヒロインが対象に魔法のプレゼントをするシーンで、小さな夜空を瓶の中に作り出す、そんなミニゲームだった。

 星の光や夜の闇を集めて、魔法で圧縮して小瓶に詰める。瓶の中身を振りまけば小さな夜空がこぼれ出てくるのだ。

 素材が全く集まらない鬼畜使用だったが、何とかやりきった。

 達成感と喜びがあり、そして何より、憧れた。


 その憧れが今は、当たり前のように世界に、自分の中に、あるのだ。

 ありふれた『魔法』というものが突然とても神秘的なものに思えて、胸の辺りが熱くなる。


 学びたいと純粋に思う。

 勉強しよう、そして未来を更生しよう。


 こうしてエマの夢は『お姫様』から『魔法士』へと変わった。



 さて、目下の問題はユーリ殿下だ。


 エマは馬車に揺られながら悶々としていた。

 最近はこうして一人物思いにふけってばかりいるせいで、『思春期は、終わったのではなく次のステップに移ったのでは?』と屋敷では囁かれていた。

 なので皆一様に、子どもの成長を見守るスタンスに移行している。

「これを機に旦那様も過保護を卒業してください」とニーアに注意を受けたレオンも、苦渋の表情で愛娘を見守っている。

 エマはなにやら物静かな周りを不自然に思ったが、好都合なので深く考えることはせずにいる。


 それよりも考えるべきはやはりユーリの事で、一刻も早く婚約を解消せねばと気持ちが急く。

 攻略対象とは出来る限り関わりを持たない方がいいし、婚約者なんて存在はヒロインの邪魔にしかならない。大人しくしていたとしてもどんな事故が起きるかわからない。

 だが面倒なのは、「解消しましょう」「はいそうですね」とはならないことだ。

 そもそも殿下との婚姻をこちらから破棄するなんて選択は、常識的にできない。


『本当はどこにも行ってほしくないけど、いつまでもそうは言ってられないし、ユーリ殿下なら僕も安心だよ。陛下からOKもらえてほんとによかった~』


 と、エマの為にと父親が無理して取り付けた婚約である。

 ルソーネの家がどれだけ立派であろうと、母親の影響で、他の混じりっけない貴族令嬢と比べられるとエマはやはり劣る部分がある。

 ましてや王子の相手だ。些細なことでも大きな粗として持ち出され、皆、必死で足の引っ張り合いをする。


 それでもこうしてエマがユーリとの婚約を勝ち取れたのは、ひとえに父親の人望があってのことだ。

 普段は頼りなさげなレオンだが、こと仕事においては有能である。

 そんな父の顔を平気で踏みつけるような扱いばかりしてきたが、流石にこればっかりは好き勝手にできる案件ではない。


 つまり、向こうに破棄してもらうしかないのだ。


(幸か不幸か、ユーリ様は私のこと嫌ってるだろうし)


 思いながら少し虚しくなった。

 気付かすにグイグイいっていた自分自身に対して。


「エマ、少し待っててね」


 レオンの声にハッとなる。

 もう王都に着いたのか、そう思ったが、馬車の窓から見えるのは素朴な田舎の町並み。


 ユーリの来訪から暫く経ち、今日は久しぶりに王都に出向くところである。

 正直まったく行きたくないのだが、『お加減はどうですか』という儀礼的な手紙が届いてしまったので、こちらも礼儀を持って元気な姿で挨拶に向かうのだ。


 そんな道すがら。そういえば別件で町役場に用があると言っていたな、と思い出す。

 一つ息を吐いてから、エマは外を駆け回っている子どもを眺めた。

 そして、あ、と思う。


(………楽しそうにしてるけど…)


 どうにも危なっかしい。

 興奮状態で気付いていないのだろうが、体力が尽きかけのようで足元が覚束ない。

 小さな子どもにはありがちだが、あのままでは──そう思っている内に、自身の足に引っ掛かり見事に転んだ。

 べしゃりと音が聞こえるような見事な転び方だった。

 痛いと泣く声がこちらにまで聞こえてくる。


 今日はニーアを連れていないので、エマは一人馬車から抜け出し、子どものもとへと向かった。

 一直線で向かってくるエマに気付いた子どもたちは、ギョッと瞳を開き、オロオロと慌てはじめる。そんな反応に気まずくなるが、それでもエマは怪我をした少年に近づき、膝を付いた。


 怯えた表情の少年と目が合い、エマは少し考えてからきゅっと口角を上げてみせた。

 無表情の時のエマは人形を思わせるような冷たさがある。それでいてこれまではずっと仏頂面だったのだから、それはもう嫌な子どもだっただろう。

 馬鹿みたいに振りまく愛想があったなら、こうして普段から少しでも笑っていたらよかったのだ。

 まあ上手くできているかはわからないけれど、と思いながら「見せて」と声を掛けた。


 おずおずと、膝をこちらに向ける。生傷なんて耐えない活発そうな少年だ。


(この傷も放っておけば勝手に治るんだろうけど──)


 エマは少年の膝に手をかざし、


「《治癒ヒール》」


 自分でも笑ってしまうくらいの掠れ声で唱えた。

 些細な傷なので、自然治癒力を少し活性化させてやるだけでみるみると塞がる。


 いつの間にか群がって来ていた人々が「おおー…」と声を漏らした。

 貴族以外で、魔力を持ち生まれてくる者は殆どいない。

 だから魔法自体が珍しいのだろう、すごいすごいとはしゃぎ出した子どもたちに、ムズムズと居心地の悪くなったエマは、


「終わり…です」


 そう言って立ち上がり、足早に去る。

 背中に「ありがとう」と声を掛けられ、ピリピリと指先が震えた。

 軽く振り向いて目も合わせないまま頷いて、馬車へと小走りで戻った。


「あの……!」


 馬車に戻りホッとしながら扉を閉めようとした時、今度は線の細い少女の声が掛けられ「今度は何だ」と、どうにも疲れ果ててしまったエマはのそりと扉から顔を出す。


 そこにいたのは、随分前に草原であった少女だった。

 名前はルーシーと言ったか。

 あの後色々あったせいで殆ど忘れかけていた少女のことを思い出す。


「あの…あ、あの時は……えっと……」


 どもる少女が何を言いたいかはすぐに分かった。

 しかし、こんな小さな子に先にそれを言わせるわけにはいかない。


「あの時は、ごめんなさい」


 口を付いて出たのは、あの頃絶対に言えなかった言葉。


「え…!? あ…わ、わたし、こそ、もうしわけありませんでした……」


 少女と視線が交わるが、どういう顔が最適かわからなかったのでとりあえず微笑んでおく。子どもと接するときは笑顔の方が、きっといい、はず。

 ぽっぽっと顔を赤らめたルーシーに、どういう作用があったのかはエマにはわからないが、泣かれていないならいい。


 思えば前世では、上にも下にも年齢が離れた兄妹がたくさんいた。下の子には、ずっと笑って接して──というか、幸せで勝手に笑っていたような気がする。


 今だって沢山恵まれてきたのに、自分はどうして……そう思った時、ふと町の人々の顔が目に入り、『豊か』だと思った。

 そして、自分は恵まれていることに気付けないほど、周りを見ていなかったのだと知った。


「あの……キリのことも、おゆるしくださいますか…?」


 ああ、と口にしながら、あの泥団子の少年か、と頭の中に顔を浮かべる。


「はい。もう気にしてません」


 エマの言葉を聞いたルーシーは心底ほっとしたような顔をして、深々と頭を下げてから立ち去った。

 その背を見届けてから、今度こそ扉を閉めて深く腰掛け息を吐いた。


「はー……」

「エマ」

「んぎゃっ!!!」


 素っ頓狂な声を上げて飛び上がったエマの斜め前には、良い笑顔を浮かべたレオンがいた。

 この父親、どれだけ存在感が薄いんだ。

 絶句したエマが、パクパクと魚のように口だけを動かしていれば、レオンは何も言わずに今度は綻ぶような笑みを浮かべてエマの頭を撫でた。


 当然、エマはそれをすぐに払いのけ、壁にめり込む勢いで椅子の端に寄ったままそっぽを向いて、馬車は王都への道をまた走り出した。

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