第5話 世界
ユーリ・シア・ウィレニア。
大国の王子。その身を持ってして至上の品格を示す立派な少年。才色兼備とはまさに彼のことで、エマはユーリを前にして、なんだか居心地の悪さを感じる。
『お姫様』そんなものに拘っていたのは、周りよりも優れていたい、なんて強欲な感情からだった。
ある種それは劣等感の裏返しで、あれもこれもと与えられても満たされなかったエマには、心の奥底に『自分は蔑まれる生き物なのだろうか』という恐怖心があった。
魔女、それは災厄の一種として語られ、近年では魔術害悪的な女性を貶す言葉として用いられることもある。
かつて膨大な魔力を所有し、悪魔と契約を結び、人を騙し、陥れ、禁忌を犯し続けた少女がいた。
少女は愛らしい容姿と鈴の音のような声で人々を欺き、町を渡り歩いては騒動を引き起こした。
最後には赤子を攫い、森の中へと姿をくらました┄┄なんて話は、誰もが子供の頃に聞かされるお伽噺である。
しかしどの時代でも、これらに似通ったような事件がポツリポツリと起きるので『魔女はいる』そう信じているものも少なくない。
悪事を働いた女性を魔女だと晒し、処刑する風習は王都にさえまだ残っている。
エマは生まれた時から、自分の本質を理解していた。
本能的にわかるのだ、人と自分との違いが。
それを埋めたかった。だが、そのやり方を間違えていた。
「エマ様?」
突如悶々とし始めたエマをユーリは不思議そうに見つめる。
視線が合わさり、
(この人の婚約者って、荷が重くないか)
と、思ったエマは途端に胃が痛くなってきた。
「お嬢様、顔色が優れません。もしや本当に体調が…?」
心配そうに覗き込まれ、エマは大丈夫だと返した。
十歳児が精神性の胃痛だなんて、哀れな話である。
「本当に、大丈夫ですか?」
「はい、全然、何ともありません」
「そうですか? 熱がぶり返したのでは──」
そう言って、ユーリの小さな手が首に触れた。
┄┄その時、エマの体は戦慄した。
一瞬にして大量の汗が吹き出し滝のように流れる。
「いだだだだだだだ!!!!!」
「エマ様!?」
叫びながら逃げるようにベッドにダイブしたエマは、シーツに全身を包めて叫んだ。
「お腹がとても痛いです!!!!!」
「「ええ!?」」
「だ、大丈夫ですか!?」
とニーア。
「大丈夫だけどちょっと一人になりたいので今日はもうお開きでお願いします!!!」
再度叫ぶエマに、
「今日はフェリクスと共に来ているのですが、彼に診てもらってはいかがでしょうか」
そうユーリが提案する。
フェリクス、それは殿下付き家庭教師の名だが、それを聞いてエマはシーツの中で更にダラダラと汗を流した。
「そ、そこまでではございませんので!」
「ですが┄┄」
「大丈夫ですから!」
早く帰ってくれ、そう叫びたかった。
代わりにニーアの名を呼び、ユーリを送るように指示する。
エマの尋常じゃない覇気を感じたニーアは素直に頷き、ユーリの背を押しながら部屋を後にした。
ユーリは最後に「お加減が良くなったらまた王宮に来てください」と言葉を残した。
「ハァ……ハァ……」
誰もいなくなった部屋で、エマの荒々しい呼吸音だけが響いた。
弾けんばかりに脈打つ心臓を抑え、蹲る。
とんでもないことを思い出してしまった。
前世の記憶から引っ張り出されてきたのは、とあるゲームの記憶。とくにこれといった趣味がないという後輩社員に向けて、先輩からの贈り物、別名布教品として届いた、乙女ゲーム。
進められるままに熱心にやり込み、数多の男を攻略した。
その攻略対象の王子の名前は、ユーリ・シア・ウィレニア。
同じく攻略対象の、王子の従者、リュカ・フレロ。上等級魔法士兼王子の家庭教師、フェリクス・サースティン。
一致、一致、一致……。
王国、王都、隣接する施設、教育機関、それらの名も、すべて一致している。
そして今、ベッドで縮こまり震えあがっているのは、
「私……悪役なんだ………」
このゲームで発生する問題のすべての元凶となる魔女、エマ・ルソーネその人である。
◆
乙女ゲーム『MAGIC and LOVE STUDY』通称『MLS』の売れ行きは正直言って微妙だった。
不評だった項目はいくつかある。
まずキャラクターの癖が強く、攻略難易度が無駄に高いこと。
「おはよう」「おはようございます」その選択肢の差でバッドエンドを迎えてしまうような理不尽さに、多くのユーザーが「は?」となった。
次に、無駄に強要されるミニゲーム。魔蟲を打ち落としたり、凶暴化した野犬から逃げたり、豆の選別や魔法生物の歯磨きなどをやらされたりもする。
どれも変に難しく、「意味が分からない」という意見が多く寄せられた。
ハートフルなタイトルと違って、ダークファンタジー寄りな本編に、解像度の高いグロテスクな虫表現などもあり、どこを目指しているんだと言いたくなるようなゲームである。
ただ、一部のコアなファンからは絶賛されていて、ゲーム経験のない一般女性の手元にまで回ってくる、なんてことも稀にはあるようだ。
◆
「いらない……」
エマはテーブルに広がる豪勢な晩餐に向けて、言葉を落とした。
食堂はシンと静まり、かのわがままお嬢様が舞い戻ったのかと誰もが息を呑んだ。そして、
「折角用意してくれたのに、ごめんなさい」
付け足された言葉に、一斉に脱力した。
「エマ、どうしたの? まだお腹痛い?」
「うん……今日はもう寝るね、これ明日食べる」
しょぼしょぼと言い残して食堂を去る。
ついて来ようとした父親やニーアのことも拒否した。
しばらくは一人で考えたかった。
ここは前世でやった乙女ゲームの世界、しかしエマにとってはれっきとした現実で、寧ろ前世の世界の方が夢物語の舞台のように思える。
ただエマは、変な世界に転生してしまった、と悩んでいるのではなく、自分が物語の中の悪役令嬢だということに多大なるショックを受けていた。
物語はエマが十六歳になり、魔法研究機関【ワーズ】の研究室に入ったところから始まる。
魔法学園で、魔力を持つ貴族の中でも特に優秀だと判断された特待生だけが進める研究機関。そこに突如魔力に目覚めたヒロインが推薦されてやってきて、立派な魔法士となるべく奮闘する┄┄そんな内容なのだが、勿論嫌というほど紆余曲折ある。
主にエマがヒロインに対して犯罪級の嫌がらせばかり仕掛けるのだ。
気味が悪いのは、ゲーム序盤のチュートリアルでヒロインを導くのがエマだということ。
その後は特に目立った出番はなく、その間もヒロインの周りでは事件が絶えないのだが、蓋を開ければ全てエマが絡んでいるという姑息ぶりである。
エマに利用され命を落とすものや、最後まで操られていたことに気付いてもらえない悪役までいる。
裏では苦しむ人間をクスクスと嘲笑い、表では王子の婚約者として慎ましやかに過ごす。家ではわがまま放題の冷徹お嬢様。ちなみに外で徹底されるようになった分、屋敷での癇癪は酷くなっている模様。
そんなエマの最後は無慈悲にも、オールデスエンドである。
見事にどのルートでも死亡。遅いか早いかくらいの差しかない。
エマの記憶があのタイミングで蘇ったのも、死に方の一つにユーリの手で首を刎ねられるというものがあったからだ。
その他にも、バラエティに富んだ死に方が用意されている。
中でも特に多いのは焼死だった。
断片的にしか覚えていないエマも、このことだけは記憶にあった。
当時は気にならなかった悪役の死だが、今となってはわけが違う。
エマは頭を押さえながら蹲る。
酷い絶望感に、この事実を思い出してから何度か吐いている。
それはもう絶不調であった。
エマはベッドの上でゴロゴロと転がりながら、落ち着け…落ち着け……と言い聞かせるように呟いた。
──まだ、なんとかなる。
何といってもエマはまだ十歳。物語の始まりは十六歳。
悪いことをしなければいいんだ、簡単なことだ。
今の自分は、自分を省みることができるんだから。
そう思って、なんとか心を軽くする。
(ていうか、ゲーム内で全く触れられなかった私のバックボーンについて少し抗議したい……)
色々あるんだから擦れちゃっても仕方ないじゃん、と我が身可愛さに思うが、人を害することがいけないというのも、今はちゃんとわかっている。
エマは何度か深呼吸してから、大の字になって天井を見つめた。
「大丈夫…大丈夫……」
何度も何度もそう繰り返しているうちに、いつの間にか眠りについていた。
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