その7 その後

★何年か後:

戦場に、嘗て、水縹の剣士と呼ばれた男がいる。

前進、撃って、塹壕に身を隠す。

『何故、俺はここに居る。』

弾は頭上を容赦なく飛んでいく。後方で声がいくつもあがる。

『何の為に、戦っている。』    

爆弾が落ちる。味方は吹き飛び、土が頭に振ってくる。

『一体、何と戦ているんだ。』

身体を少し起こし、また前進。弾が身体を射抜く。

『ここに、義はあるのか?』

衝撃で、後ろにのけ反る。

空が見える。どこまでも青く、恐ろしほど綺麗な空だ。

『何の為に、俺は生まれてきたんだ。』

友が、にこやかに微笑む。

『俺に、人を愛することができるだろうか。

 この俺に・・・。』

太陽がキラキラと輝く。その輝きに凪子の顔が浮かぶ。

『美しい人・・・。』

凪子が優しく微笑みかける。眩いばかりの日差し。

『俺には、眩しすぎる。』

静かに目を閉じる。

「駄目じゃないですか。

 いつも、ぼうっとしてるかこんな目に会うんですよ。」

懐かしい声。薄っすらと目を開ける。

柔かな光に包まれ、少女が微笑む。

『俺は・・・誰かを・・・・』

「命は一つしかないんですから。」

『・・・愛したい。』

「大切にしてくださいね。」

『深く・・・・・』

胡蝶が舞う。柔らかな光の中、空へ向かって。

『・・・・・・きみを。』

やがて、暖かな光が全身を覆う。身体が心地よく痺れる。

とても気持がちいい。幸せに満ち満ちて。

遠くで、声が聞こえたような気がする。

「死なないでください。しっかりして、

 あなたが死ぬと、馨子が悲しみます・・・・・。」

切なくも甘く懐かしい香り漂う。

「・・・き・み・・・。」

激痛が走る。

「駄目ですよ。まだうごいちゃ。」

目の前には成長した無限丸。

「やっと目覚めましたか。

 随分と久しぶりですね。あの戦い以来ですか・・・。

 あなたのことは折に触れ聞いてます。」

病室に忍冬の鉢を飾る。

「驚きましたか?

 僕はこの体をもらったんです。

 あの人から・・・・・・・。」

昔の物語をす。

嘗ての水縹の剣士はぼんやりと話に耳を傾ける。

★無限丸のその後語る:

「僕のことは誰も知りません。

 あの時の仲間たちは、誰も・・・。」

戦いの後、無限に担がれ屋敷に戻る。

身体の自由が利かず暫く屋敷で養生。

御前様の援助経営学学ぶ。留学。

帰国後、御前様の会社に就職。

国勢とともに海外進出。

海外支社に転勤。

運ばれた負傷者の中に、見覚えのある名を見つけたという。

「あなたでした。」

その後、負傷兵を何度か見舞う。

お嬢から聞いた無限や馨・馨子のこと、

最後の戦いでの様子など話す。

「あの子たち・・・が。」

「僕は良く覚えてないんです。

 屋敷で何度か見かけただけで・・・。」

無限丸、苦しい胸の内打ち明ける。

「なのに、あの子の、彼女の面影が僕を苦しめるんです。

 この身体が、彼女を求めて・・・・。」

「あの子は綺麗だからね。」

「ええ、でもそうじゃないんです。

 屋敷の廊下ですれ違った時、ムゲンと呼ばれて、 

 その時の彼女の表情、覚えています。

 確かに綺麗な子とも思いました。

 でも、あまりにも無防備で無邪気で・・・。

 後で、ムゲンと呼ばれた意味が分かりましたが・・・。」

「ああ、よく似てる。」

「知ってるんですか? 彼を?」

「あの子たち、馨と馨子が屋敷に来る前、

 殺人鬼に襲われているのを助けたことがある。

 その後、何度か屋敷でも見かけた。

 知っているという程ではないがね。」

負傷兵は微笑ましげに話を聞く。

「気がつくと僕は、彼女の面影を追いかけているんです。

 馨子か、それとも・・・・永遠子なのか、

 この身体の記憶が僕を苦しめるんです。」

「充分悩むといい。それがさ。」

「酷い。僕がこんなに苦しんですのに。

 そんなのって・・・・。

 僕は、会って確かめたい。

 この気持ちを整理したい。

 なのに・・・・会えないんです。

 日本に帰るたび、彼らを探してるんですが、

 住所も教えらえれ、行っては見るんですが、

 どうしても見つからないんです。

 無限さんとも、もう一度話がしたい。」

悩み多き若者のに、負傷兵は優しく微笑む。

「誰にだって、いるもんだ。

 どうしたって、手の届かない人が・・・。」

「え?あなたにも・・・・?

 誰ですか? 僕の知ってる人?

 教えて下さいよ。」

「・・・・・・・。」

負傷兵はその腕に抱いた遠い記憶を思い出す。

「だから、一層、美しんんだ。」

誰を思ってか恍惚した思い出に浸る。

「・・・・あなたも、そんな表情するのですね。」

「あっ・・・あ~、いやね、

 忍冬の匂いがともてみ心地いいからね。

 ありがとう、大切にするよ。」

無限丸帰国の日、別れを告げに訪れる。

「僕は一旦帰国します。

 きっと御前様はあなたの力になってくれます。

 人に頼ることは恥でも何でもないですから。

 退院したらお屋敷に行ってくださいね。」

負傷兵はぼんやりと聞いている。

「僕は一度、あの後、無限さんに会ったんです。

 お屋敷に、荷物を取りに来たんです。

 この身体を帰そうと思い、

 僕は這うようにして行ったけど、

 もう既に日が経ってしまって、

 この身体には入れないと言われました。

「・・・・・。」

「僕はこうして今生きているけど、

 そう長くは生きられない。

 ・・・・・仕方ないですよ、

 何百年と保存されてきた身体ですから、

 見た目は若くても中身は相当です。ハハ。」

「え?」

「喘息でたまに発作がおきるし、

 突然、身体が動かなくなることもあるんです。

 でも、僕は生きている。

 僕の知らなかったこと、

 世の中の動き、人々の生活、世界が広いこと、

 まだまだ知りたいことが沢山ある。

 多くの人たちに会ってみたい。

 行きたいところも沢山ある。

 したいことも山ほどある。

 僕は、生きます。最後まで。

 この身体がねをあげるまで。

 とことん生きていきますよ。」

無機質な負傷兵の身体が脈打つのを感じる。

「だからあなたも・・・・生きてください。

 絶対、絶対行って下さいね、お屋敷に。」

★思いもよらぬ知らせ:

何年経った事だろう、

無限丸の身体喘息の発作に苦しむ。

愈々、身体の自由がきかなくなる。

肺は硬く、身体は重く、

最早、医療のなすすべなし。

診療所から屋敷の寮へ移される。

青年は譫言で無限の名を呼ぶ。

お嬢、以前より馨の家を探すも見付らない。

焦り、半ば狂乱状態。

青年、看護人の目を盗み屋敷を抜け出す。

最後の力を振り絞り、無限探す。

近くの公園で倒れる青年、書生みつける。

虫の息。家へと運ぼうとするも,

惨めな姿がみせたくないと拒否。

お屋敷へ連れて帰ってくれと頼む。

お嬢そこに遭遇。

書生の瞬間移動の術でお屋敷に帰る。

敷地内護符張り巡らし人には分からじ。

郵便なら届くと言うも何度出しても戻るとのこと。

日没頃公園にいれば書生迎えに来ると約束し、

電話番号教える。

書生帰宅し確認した処ポストにも封印有り。苦笑。

翌日、お嬢、日没、公園に待つ。

薄明りの公園に不審者あり。絡まれる。

書生、現れ不審者退散。

家に連れて行く。皆と対面。

青年、そう長くない旨話し、頼まれた手紙渡す。

お嬢帰る。

手紙は当り障りのない挨拶から始まり、

今までの経歴や生きてこれたことについての謝礼有り。

また、これから生きていくには戸籍が必要なこと、

自分にはこんなことしか恩返しができないことを述べ、

婚姻届け同封。

悩む馨子。

社会と少しでも繋がって生きていくか、

闇の住民となって生きるか・・・・。

馨は雑誌『数学』の読者間ではちょっとした有名人。

馨子は以前写真館のモデルやレコードを出す等するも、

履歴書云々と年齢等隠しどおせず今は家に籠っている。

無限は、馨と馨子の名で証券取引。

稼いだ資金で不動産購入、資産増やしに勤しむ。

書生は、たまに馨子をモデルにして美人画を描いている。

確かに、これから何年、何十年、何百年といきていかなきゃなんない。

考えただけでも気が遠くなる。

世の中が平和になり社会制度が発達すればするほど、

このままではいられないのは確か。

特に馨子は、また、活躍したいと淡い夢を見る。

ただ、結婚となると、何か踏み切れない。

自分を売り飛ばすようで・・・・。

馨は書類上のことだけだと言うが。

馨子はお屋敷に行くことを決意する。

★再会:

皆連れだってお屋敷に行くも無限丸面会拒絶。

特に無限にこのような姿は見せたくないと言う。

痺れ切らした馨子病室に乗込む。

そこに、ゼイゼイと痩せ細った無限丸横たわる。

馨子愕然。思わす駆け寄り頬に手掛ける。

馨子の突然の登場に驚も、

青年、甘く清らな香りに包まれ、

緩やかに僅かだが苦痛が和らぐ。

そして、馨子の以前としての少女の姿に歯痒さ感ず。

一方、青年やつれたと言え端正な顔立ち。

幼顔の面影がそこはかとなく偲ばれる。

「こんなに窶れてしまって。」

青年、ただ某っと馨子の顔を見詰るばかり。

とても切なく、寧ろ、悲し気に。

無限後方より覗き見怖くなる。

自分の死を見せられるようで。

雁字搦めに締め付けられたような何か重苦しく、

じりじりと引き摺り込まれていく感じ。

その行く先は・・・・・・。

「無限さんにはこんな姿みせたくなかった・・・。

 折角もらった身体なのに。」

「いや、僕の方こそ・・・・

 ぼろぼろの骨董品、押し付けたりして・・・。」

青年、目を閉じゆっくりと深く呼吸す。

荒かった息が僅かに深くなる。

そんな様子を馨子見入る。

「僕たち、御前様に挨拶に行こう。」

馨、印を結び呪文唱える。

ふうと吹き馨が身体を後退すると、

すうと馨子の身体と分離した。

「馨子は残して行こう。」

無限、青年と馨子の姿に目を見張り、

なかなか動こうとしない。

「馨子には癒しの効果があるからね。」

「あ、うん。」

無限不安になる。

馨子は病める者への慈愛の思いだろうが、

果たして、あの青年はどうであろうか。

歩く中、馨がぽろっと無限に漏らした。

「ごめん。こんな機会しか言えないから、

 馨子がいたら言えないから。」

「え?」

「僕のエゴだ。馨子を引き留めたのは。

 君に申し訳ないと思ってる。

 あの苦しみから逃れたかった。

 でも、一番は、独りになる勇気がなかった。」

「あああ、うん。」

「怖かったんだ、僕・・・・。」

書生、ぐさっと胸痛し。

「若しもあの時、馨子を引き留めなかったら、

 若しも、魂は生まれ変わるとしたら、

 そう思うと、申し訳なくって。」

「でも、坊ちゃんあの時は、」

手元が狂って・・・・とは死んでも言えない。

「でも、いつかきっと、君に返すよ。

 馨子を、君に。」

「う、うん。」

成人した御前様と再会。

大人になり風格もでカリスマ性増す。

それだけ年月が経ったのだと実感する。

軽い挨拶をかわし、無限と話があると言い、

お嬢に馨を懐かしの祈禱所に案内するよう言う。

書生を応接間に残し御前様と無限は部屋を出る。

馨お屋敷の中を歩きつつそこはかとなく昔を偲ぶ。

無限執務室に通される。

子ども達の明るい声が聞こえてるく。

「わたしのこどもたちだ。賑やかですまないね。」

窓からも子どもたちの遊ぶ様子が伺える。

「妹はまだ一人でね。

 誰か心に思う人でもいるのだろうか。」

隊員には企業への移籍や退職金や年金の支給。

亡くなった者には遺族年金支給との事。

「君たち、随分探したよ。」

無限、ならば証券でくれと要求。

お金のことで生活に困ることはないし、

発展するばかりの世の中、

企業の成長を見守りたいと株式証券要求。

「そうだね、それに、

 君たちには特別な支援が必要だしね。

 困ったことがあったらいつでも言って。

 できるだけのことはするよ。」

特に思い入れの無い書生。

応接間でお手伝いさんと談話。

事務的な手続きも終わり、無限、祈禱所へ向かう。

様々な思い出が蘇る。

誰ともなしに歴代の御前様の顔が浮かぶ。

とても遠く、過去が幻の如く思える。

そして、最早、お屋敷には自分の居場所がない。

もう必要のない余所者であることを実感。

何百年とともに生きてきた血脈。

閉ざされたお屋敷という空間。

解き放たれた。

空を見上げればどこまでも青い空。

無限は視界に広がる空の青さに震える。

祈禱所は静寂に満ち、馨は目を閉じ座して、

お嬢が慎ましく控える。

無限が邪魔をしないよう入ったつもりが馨は目を開ける。

「僕たちの今後を話してきた。

 毎年証券でもらうことにしたよ。

 業績が良ければ配当は高くなるし、

 いよいよとなれば売ればいい。」

「まぁ!」

「僕は期待してる。彼の手腕に。」

自分も影となり支えてきた会社だ。

やはり、無限には少なからず未練がある。

「うん。君がそうしたならそれでいい。」

静寂から一片和やかな雰囲気になる。

「ね、見て。あの棒っきれ。まだある。」

馨以前の無限の人型指す。

見渡せば懐かしいものであふれている。

「そうだ、御守様は?」

「両親や姉たち、御先祖様と祀ってあります。」

馨は見たいと思う。可能の父が乗移った人形だけに。

「見せてもらえる?」

「え?ええ。」

お嬢少し渋るも陰から御守様人形を持ってくる。

「あの後、髪が抜けましてね。

 顔も・・・・・・。」

「呪いが解けたんだ。」

「ええ。兄も病むことがなくなりましたし。」

「燃やすといい。祈祷して。」

「え?!御守様を?」

馨は簡単に燃やせと言うもお嬢は顔が強張る。

馨にとっては陰陽師の道具でしかなく、

役目が終われば燃やすに限る。

しかし、お嬢にしてみれば・・・・。

「長年この屋敷の人々と歩んできた人形だ。

 この屋敷の人々を見守って来たんだ。

 馨、別に焼かなくたって・・・・。」

「だって無限、この人形は、」

と言いかけるも無限言うなと目で合図。

お嬢、不安げに御守様人形抱きかかえる。

無限は屋敷の人々が代々大切に扱ってきたことを知っている。

「奴が滅びて神通力も無くなったけど、

 屋敷の人々の思いが込められてるからね。

 役目が終わったから、

 『はいさいなら』て焼くのはどうだろ?」

「う~ん。ぼくは・・・やっぱり・・・、

 なにか障りが・・・・あったら・・と・・・」

無限、お嬢の腕の人形覗き込む。

どことなしか馨の面影に似ている。

「この人形は、あなたが大切してくれればいい。

 きっと、あなたを助けてくれる。」

無限はそう言いぐずる馨を連れ出す。

★青年馨子に別れ告げる:

青年馨子の生まれ持つ力に癒される。

初めて御屋敷で会った時の思い出を重ねる。

無防備で無垢な少女のままの馨子。

「僕は随分くたびれてしまった。

 重ねた年以上にね。」

死ぬにはまだ若い青年。

馨子はしみじみと無限丸を見詰る。

自分たちの重ねた年月を実感す。

そして大人になった無限を想像する。

大人になった無限の顔。

大人になった無限の手。

大人になった無限の身体つき。

全てが尊く、それが今、正に、消えようとしている。

自分達には到底得ることのできなものが。

「泣かないで。

 お願いだから、泣かないで。

 僕は、今、清々しい気持ちで満たされているのだから。」

馨子の艶やかな髪が指の間を通る。

「君はそのままがいい。

 少なくとも、僕の中では。」

馨子の柔らかな頬。

馨子の暖かかな涙。

「僕は、多分、あの時、戸惑っていたんだ。

 こんな呑気な奴がいるんなんてって。」

青年僅かに顔を綻ばす。

「随分な仏頂面だったね。」

馨子は一寸考え出会った時を思い出す。

「そして、困惑していたんだ。

 何か、分からないものが湧いてきて。」

青年は馨子の瞳のずっと奥を見詰る。

微熱のせいか、それは熱っぽく、

それでいて、なにか透かすような真直ぐな眼差しで。

「嗚呼、今ならわかるよ。

 人は、それでいいんだって。

 だから、尚更、君はそれがいいんだ。」

馨子は不思議そうに無限丸を見詰る。

「そして、僕もだ。」

馨子の暖かな笑みに青年を縛る全てが解けていく。

「いい匂いだ。」

青年は目を閉じ深く息をする。

馨と無限が病室に入ってくる。

「馨子、僕たちは帰るけど・・・」

馨は残りたければ残ってもいいという。

馨子は後ろ髪の惹かれる思い。

無限は、馨子を残して行くのが怖かった。

「ありがとう、無限さん。」

「うん。」

「そして、・・・・・さようなら。」

無限は何も言えなくなった。

「疲れたでしょう。」

馨子が青年の傍らに寄り添う。

「今日はとても気分がいい。

 人生の中で初めてかもしれない。

 こんなに清々しい気分になれたのは。

微笑もうとするも力なく、

「僕はもう大丈夫。」

寧ろ自分に言い聞かせるよう青年は言う。

「ありがとう、馨子さん。

 じゃ・・・・・。」

馨子は精一杯の笑顔で耐えらなく部屋を出る。

「彼をこの世に留めることができるとしたら・・・」

涙とともに馨子の口からこぼれる。

お嬢、次の日青年と馨子の婚姻届けを出しに行く。

★無限丸の最後:

青年の部屋に微かに残る忍冬の香り。

最早、そんな香りさえ本当はないのかもしれない。

脳内で作り出した幻かもしれない。

生への唯一の足掻きだろうか。

その香りの愈々消え入るが如く青年の意識遠のく。

暗がりの中、一瞬、光が咲く。

と、同時に、忍冬の香りが鮮やかに蘇る。

「どうだい、気分は?」

眩しく差す日差しに朝が来たのを知る。 

聞き覚えのある声。

薄っすらと目を開ける。

そこにはかつて水縹の剣士と呼ばれた男がいる。

「君がくれた忍冬だ。

 うちの温室に植えたんだ。」

ほんの僅か、青年命が繋がった気がする。

「来てくれたんですね。」

この空間だけは時がゆっくりと流れ行く。

「会いたかった。」

「そうか、俺もだ。」

長い沈黙さえも意味のある時間に思える。

「僕、彼女に会いました。

 ・・・・・・無限さんにもね。」

「そうか。」

途切れ途切れに出る言葉。

「僕は無限さんを憎みました。

 発作が起こるたび、身体が動かなくなる度、

 あの時、死んでいたら、

 そのまま、僕を放っといてくれてたら、

 こんな苦しみはしないですんだのにって。」

「うん。」

「あの時、死なせてくれてたら・・・・。」

負傷の見舞いにきた時とは随分と違う印象に戸惑うも、

「今、君は、こうしていなかっただろうね。」

と静かに応える。

「ええ、僕は随分と苦しみました。

 無限という影に。」

鬱々とした間が支配する。

「いえ、影は僕の方だ。」

「・・・・・、」

「僕、馨子さんを連れだそうとしたんだ。

 あのまま・・・・、

 彼女の魂の居場所を僕は探って、

 そのまま、彼女を道連れに・・・・、

 無限さんから馨子さんを奪ってやろって、」

「えっ!?」

「僕は歳をとったのに、彼女はこどものまま。」

青年表情苦痛に歪む。

「なんで・・・・なんで・・・、」

げぼげぼとせき込む。

「きっと彼女は僕を受け入れてくれるでしょう。

 きっと、たとえ時間がかかったとしても。

 ・・・・・・でも、できなかった。」

声はか細く力なく、

「彼女は違う。」

「・・・・」

「僕には、ともに歳月を重ねる人が必要なんだ。

 ともに成長し、ともに歳をとり、

 ともに育む時間が、

 やがて、別れが訪れようとも、

 それでも、僕にはそうした人が必要なんだ。」

「そうだな。」

「それに、彼女の中には奴がいる。

 彼女といたら、僕は永遠に奴の影だ。

 彼女がそう思わなくても、僕がそう思う。」

ぜぇぜぇ。息を吸うたび雑音がする。

男は青年の言葉を静かに待つ。

「僕、無限さんのこと人を超越した存在と思っていたけど、

 そう思っていたけれど・・・・、」

長すぎる間さえ語っているよう。

「この前会った彼は・・・・・人だった。

 普通の、僕たちと同じ、人だった。」

「うん。」

男は青年の汗とも涙とも入り混じった顔を拭いてやる。

「苦しいか?」

「大丈夫。僕は、もう大丈夫、

 そう思ったけど、あなたの顔を見たら・・・・。」

ゲボゲボ激しく咳き込み、その度、身体が躍る。

指一本でさえ自分で動かすのは最早ままならないというのに。

医者が看護婦とともに注射を持って現れる。

男はなすすべなく医者が去るまで見守る。

「あまりしゃべらせないでください。」

去り際に看護婦が男を小声でたしなめる。

発作はゆっくり治まり身体の動きも静かになる。

「喋らない方がいい。少し休め。」

「・・・聞いて欲しい、僕、誰かに・・。」

「うん。俺はここに居るから、少し休め。」

話したいことは山ほどあるのに頭も口も動かない。

「だったら、話して・・・

 あなたが・・・なんでもいい。」

どうてことない話をする。

昔の仲間たちの懐かしい思い出話。

戦いの合い間のほっとした何気ないひと時。

何時しか青年は眠りに入る。

安静であるうちに看護婦清拭等処置。

その間男強制的に退室。

その間食をとったり暫し休息。

青年が馨子と婚姻したことを知らされる。

青年が目を開けてひとりでいるのは寂しかろうと、

男は看護婦が退出したのを見計らい部屋に戻る。

弱弱しく、苦し気な呼吸。

青年、人の気配を確認薄っすら目を開ける。

「ふっ、安心しろ。」

「僕は何にも知っちゃいないんだ、彼女のこと。

 目が合ったその瞬間しか・・・・。」

「うん、でも俺だって大して知っちゃいない。

 仕事の途中に出会っただけで。」

青年は嘗て無限におぶさり帰還した時、無限の境遇を聴かされた。

朦朧とした中で聞いた話は、

それは無限の話なのか、無限丸の身体の記憶なのか、

何れにしろ、自分が無限に取り込まれていくような感じがした。

「僕は、僕の記憶が欲しい。

 僕だけの記憶が・・・・。」

疲れ果てた青年に男は昔話をする。

初めて馨子たちに出会った時の話。

・・・・それから、母、凪子の話。

青年は聞き入る。

何度か咽りながら。

半ば朦朧としながらも、空気の入る僅かな場所を探し、

青年は男の話に集中した。

医者は激しい発作が起こる度注射を打ちにやってくる。

その度男は青年の生気が抜かれていく気がした。

青年の意識が怪しくなっていく。

お嬢がたまに様子をみに来る。

医者がお嬢に耳打ちする。

「今晩が山かも知れません。

 会いたい人がいたら合わせてあげてください。」

「えぇぇ・・・。」

「親御さんとか、奥さんとか、何をしてるんだね?」

「奥さん・・・・ええ、ええ、連絡してすぐ。」

青年には聞こえないよう言うも聞きつける。

「やめて!呼ばないで、こんな姿・・・

 彼女が見たら、ああぁ、

 お腹にこどもがいるです。お腹に、僕の子がっ!」

青年必死に訴え医者驚く。

「こどもが・・・・

 僕が死んだら、彼女は耐えられない。

 彼女のお母さんみたいに・・・・、」

医者納得して退散。

尚も青年話す。

「女の子と男の子の双子が、いや、五つ子かもしれない。

 きっと可愛い、彼女に似て綺麗な子だ。

 男の子は・・・・頭のいい子だろうな。

 可愛い子だ、綺麗な、嗚呼、どんな風に育てよう。

 きっと活発なだ。真直ぐな目をした・・・・

「もうやめろ!もういいよ。分かったから、

 話すな。お願いだから・・・話さないで、」

男は譫言を言う青年を抱きしめる。

げっそりと細くひんやりとした肉体。

ぜいぜいとした呼吸が伝わる。

男尚も青年を抱きしめ僅かな温もりを探す。

「呼ばないで。

 彼女を見たら決心が揺らいでしまう。

 僕、きっと・・・・。」

青年失神。ベットに静かに寝かされる。

お嬢動揺。退出。馨子呼ぶか葛藤。

何もなく刻々と時流るる。

青年意識戻る。水与えるも最早飲み込む力無。

口湿らし咽る。

「話して・・・・何か、」

男、話す言葉見つからず。

「何か・・・、

 僕は、まだ・・・・、」

病状の悪化であろうか、死への恐怖であろうか、

著しく精神乱れる。

自分の日常を話すも2言3言で言葉詰まる。

空が赤く染まりゆく。

何処ともなく音楽が流れる。

〈とぉき~ や~まに~

「彼女の声だ。」

「え?」

男、青年の妄想と思うも、

徐々に青年の精神は落ち着いていく。

男、流れるメロディに耳傾ける。

「嗚呼、そうだね。この声、聞き覚えがある。

 あの子の声に似ている。」

良く通る声。抒情的で胸に沁みる。

緩やかな風で忍冬の香りが躍る。

深い深い心の奥の遠い遠い記憶。

「嗚呼、あの人形・・・・。」

男にふっとある記憶が蘇る。

とても鮮明に。

凪子の温もり、香り。

どうして今まで忘れていたのだろう。

そして、人形の存在。

「返してやらなきゃ・・・・。」

男は、凪子が意識を取り戻した最後の時を話し始める。

馨と馨子の人形のこと。

返しそびれてそのままなこと。

「あなたの中にいる人はあの人かと思ってた・・・。」

「え? あ、」

男ははっとし赤面す。

「いや、違う。

 愛や恋とは別の、全く別の・・・・。」

「うん。

 僕には分かるよ。」


〈遠き山に 日は落ちて

 星は空を ちりばめぬ

 今日のわざを なし終えて

 心軽く 安らえば

 風は涼し この夕べ

 いざや 楽し まどいせん


 やみに燃えし かがり火は

 ほのお今は 鎮まりぬ

 眠れ安く いこえよと

 さそうごとく 消えゆけば

 安き御手みてに 守られて

 いざや 楽し 夢を見ん〉

     『遠き山に日は落ちて』

      作詞:堀内敬三

      作曲:ドボルザーク


青年はその後昏睡状態に陥る。

極々少数の人に看取られ永眠。

享年:35歳。


お嬢、嘗て馨子はレコードを出したと知り、

馨子の声に似てると思い聞いていたレコードを思い出す。

あれこれ探しやっと見つけはしたものの

芸名の為多少の躊躇いあり。

しかし、確信を持って流したとのこと。


馨子、書生の成人馨子新婦画像完成したら見舞いに行く予定。

完成目前にして青年の死亡知らされる。


戸籍上、馨子、双子出産。

女児:永遠子。

男児:可能。

と、名付ける。


★昭和 :

戦後のある日。テレビからニュースが流れる。

書生はリビングでくつろぎ、馨は雑誌『数学』の懸賞問題を解いている。

〈今朝未明、男性が多摩蝶類研究所で死亡しているのが見つかりました。

 男性は、世界的にも有名な日本屈指の胡蝶の研究家で、

「あっ、坊ちゃん、テレビ消しましょうね。」

〈独学で学び、新種の胡蝶を発見。研究所で飼育などし、

「え?」馨顔を上げ、無限お風呂から上がる。

〈消えゆく雑木林や里山などの保護活動をし、環境問題にも

「あ、うん。」馨子転寝。

〈は、一人暮らしで、研究員が今朝、出勤し温室で

書生、テレビ消してレコードかける。

なんとなくしんみりとした雰囲気。

馨は、問題の続きを解く。

すると、ノートの上にぽたりと、字がにじむ。

右目から、一筋の涙が・・・・・。

「弔電、打ちますか?」

「うん。そうだね。お願いします。」

              おしまい。


参考資料:陰陽師と貴族社会 繁田信一著 吉川弘文館

     武士の起源を解き明かす 桃崎有一郎 ちくま新書

     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

     『遠き山に日は落ちて』作詞:堀内敬三、作曲:ドボルザーク

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