天守の空から
@shibachu
「なあ、大手門のとこから天守閣まで競争したの、覚えてる?」
「もちろん覚えてるで」
天守閣横の手すりに寄りかかったまま、松の陰に立っているサトルに訊ねた。
「あれって、どっちが勝ったっけ?」
「忘れたんか? 俺が先に着いたやろ」
そうだったかな、どうもはっきりと覚えていない。
「もう二十年以上も昔のことやからな」
記憶を掘り起こすのをあきらめた僕は、本丸からの眺望に目をやった。
海には真っ白なもやがかかり、塩飽諸島の山のうねりが影濃く突き出ている。うす明るい灰色の空が、ひどく近くまで迫っていた。どこに続いているのか、瀬戸大橋はもやのなかに伸びている。ぐるりと見回せば、城下の町も閉ざされており、山影だけがぼんやりと浮かび上がっているのだ。
サトルと会う日は、いつも匣のなかにいる気分にさせられる。
「もう、一人で先行かんとってよ」
ようやく登ってきたソラに、肩をバシンと叩かれた。
「ごめん、ごめん。なんか急に、子供の頃のこと思い出して」
「あんたは今でも子供じゃわ」
唇を尖らせた彼女は僕らの前を通り過ぎ、北西の姫櫓跡まで歩いていく。
「おばちゃんになったやろ」
こっそり声をかけると、サトルはかぶりを振った。
「相変わらず、きれいやな」
お前こそ変わらないよ。本当に変わっていない。遠くを眺める彼女と、それを見つめる僕ら。この構図は、学生時代からのものだ。
二の丸の桜は一枚残らず葉を落とし、つぼみを固く閉ざしている。本丸からの帰り道、桜並木と呼ぶにはあまりに短い距離を、僕とソラは並んで歩いた。
「いつ東京戻るんやったっけ?」
「今日のうちに帰る。どっかでうどん食べてから」
腕時計を気にしながら答えた彼女の頭の上で、冬枯れたしだれ桜の枝が揺れている。
突如として、僕の脳内に子供の時の映像が流れ出した。そうだ。あの時、ちょうどこの木の下に彼女がいたのだ。
天守閣まで競争するにあたり、審判役を彼女にお願いした。ソラが大手門をくぐってから、百を数えて僕らはスタートする。
急勾配の見返り坂を登り切るまで、僕らは互角だった。それを、サトルの奴は二の丸に続く道を曲がらず真っ直ぐ駆け抜けたのだ。あわてて戻ってきたがもう遅い。僕は勝利を確信し、二の丸跡に突入する。ゴールの天守閣が目に入ったと同時に、桜の木の下を歩くソラの姿も目に入った。
「え? ちょっと、何やってんの?」
立ち止まった僕を、サトルが全速力で抜き去っていったのだ。
「どしたん? 変な顔して」
ソラが僕の顔を覗き込んでいる。
「いや、ほら、昔、サトルと天守閣まで競争したやんか? ソラに審判頼んで。その時のこと思い出した」
「ああ、なんかあったなあ。あれ、なんで競争する流れになったん?」
「あれなあ、もう今やから言うけど、サトルとの間で、勝った方がソラと結婚する、ってなって……」
「もう、なにそれ? そんなん言いながら、告りもようせんかったくせに」
そう言ってけらけらと笑う左の薬指には、鈍く光る指輪がある。僕らの勝負は二人そろって完敗だ。
商店街でうどんを食べたあと、駅の改札口で彼女と別れた。
「じゃあね、サトルのお母さんにもよろしく言うといて」
階段を上がるソラの後ろ姿を、僕はサトルの分まで見送る。
ひんやりと湿った空気が漂う日に、僕は決まってお城に登る。今度登る時は、サトルと二人して、もやの向こうに消える列車を眺めるのだろう。
(了)
天守の空から @shibachu
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