セピア色のアルバム

高田 まち

第1話 東京タワー

 十一月も末になると、昼と夜との温度差が大きくなる。主婦達は、陽の当たる暖かい内に日常の買い物に出かける。三時から五時まで商店街は歩行者天国となり、近くの主婦達が一斉に買い物に出る。品川区の、ある商店街は比較的安価なものが多いので、かなり遠くから足を伸ばして客が来る。

活気のある商店街だ。主婦達にとってその日の特売品だとか、学校行事など多岐にわたる情報交換の場となった。

 「高瀬さ~ん」甲高い声がした。

 声の主は史子だとすぐ分かった。人ごみの中から工藤史子を見つけるのは簡単だった。

 史子が手を振りながら、人を掻き分け歩いてきた。

 「しばらくね。お忙しかったの」雪子が聞くと、

 「まぁね!お買い物終わった?」気ぜわしく聞いた。

 「えぇ!大体ね」

 「じゃあ!一緒に帰りましょうよ」

 史子は、有無を言わせず、横道に入って行った。二人は商店街を抜けて、高台の自宅へ急いだ。

 あれもこれも安いと思い買った荷は重かった。

 坂を上りきると、史子は深呼吸をして、ためらいながら言った。

 「雪子さん、七日空いている?」

 「七日って?十二月の?」

 「そうよ、十二月七日」

 雪子が戸惑っていると、史子が遠慮がちに続けた。

 「あのね、オーストラリア公使夫人が開く忘年会があるの!行かない?」

 史子の思いがけない誘いの意味が呑み込めなかった。唐突に言い出した“公使夫人”のパーティー、戸惑っていると、雪子におかまいなしに続けた。

 「オージービーフと言ってね、オーストラリアの牛肉はとっても美味しいのよ。ローストビーフなんか天下一品よ!ねぇ、一緒に行きましょう。」

 「でも私、行っていいの?」「そりゃー行って見たいけど」どうしてそんな話が飛び出したのか、狐につままれた思いだった。

 史子の話は時々宙に飛んでいるようで分かりにくい。


 工藤史子は、英国聖公会の牧師の妻として三年ほど前にこの地に引っ越して来た。

 夫「ゆたか」、一人娘「まどか」の三人家族である。

 聖マリア教会は、小さな教会であるけれど、牧師の妻は可成り忙しい。人の出入りが多く、教区の信者を始め近隣の住人との付き合いは勿論のこと、教会の行事は盛り沢山だった。

 そんな中、子供が一人と言うことで、小学校のPTAの仕事も不本意なほど押し付けられていた。史子の性格なのか分からないけれど、来る仕事は全て受けていた。それは必ずしも好意的なものばかりではなく、むしろ、「あの人にやらせておけば良いのよ」と一部の悪意による押し付けも多かった。押し付ける方は無責任極まりない。そんな史子の窮状を見兼ねて、手を差し伸べる人達もいた。そんな一人が雪子であった。

 雪子は中学校・高等学校とミッションスクールで過ごしていたことから、特に史子には、シンパシーを感じていたので、強力な助っ人を任じていた。

 二人は自然の成り行きで親しくなり、行動を共にする事も多かった。

 その一つに「交流会」と言うのがあった。

 史子の属している、英国聖公会は東京タワーの近くに、日本人と外国人のための教会が同じ敷地にあり、様々な国際交流が行われていた。

 雪子が属していた交流会は文化交流を主とした婦人会のようなものであった。

 美術館へ行ったり、季節の行事を紹介したり、もちろん英会話教室も開かれた。けれど、一九九〇年頃は日本人会員が百人を超えていたので、それに出席しても英語を一言も話す機会もなく中心人物、特に有力な信者達が話す英語を遠くで聞いていた。それでも雪子がこの交流会に魅力を感じていたのは、港区と言う土地に集う女性達特有の雰囲気だった。港区の住民、一家族の平均収入が千二百万円と言う、日本一の金持ち区だ。そこに集まる人々の大らかさが日常を、あくせく暮らしている者にとっては、救いに感じた。しかも、ここは教会。善意の人の塊と思えた。

 誰かが「お昼どうなさる?」と聞く。その成り行きを見守っていると、誰かの提案で食事処が決まる。

 港区だからさぞ高価ではないかと思うが、そうでもない。主婦は主婦なのだ。この辺はレストランも激戦区だ。雪子の近くと、さして変わらない金額でランチが食べられる。洒落たレストランでゆったりと時間を過ごす。

 女子トークは、どこも変わらない。当時は子供の話が多かった。時代と共に話題は変わっても他愛もない話が多かった。

 港区は交通の便も悪くまた、陸の孤島でもある。だから住人の一部は車で教会に来ている。時々車三・四台、連ねて湘南まで足を延ばすこともあった。湘南へのドライブでは海岸線に沿って走り、海風が気持ち良く女性達は華やいだ。


 史子の話は宙を舞っていると思いながら、良く聞くと、驚きも有るが、土に足の着いた誠実な話でもあった。

 史子が、今回のオーストラリア公使邸のクリスマスパーティーに誘うのは日頃の感謝の気持ちであることが分かると、雪子は史子の友情に感謝した。

 「十二月七日十一時に公園の角ね」二人は約束をして別れた。

 約束の日は穏やかに晴れていた。風の冷たい朝だった。

 史子の家も、雪子の家も公園の角までは八十メートル位の距離だった。

 二人は待つのも待たせるのも嫌なので、NHKの時報に合わせて、カウントしながら靴を履き、鍵を閉めて約束の公園に向かった。

 「おはようございます。」挨拶をしながら二人は同時に、頭のてっぺんから足の先までをドレスチェックをした。

 「いいんじゃない」お互いドレスチェックに合格すると駅の方向へ歩いた。

 史子は、ブルーグリーンのウールのコートに、緑と青と白の大きなチェックのワンピース。上質の細いパールの首飾りをしていた。雪子は、黒いカシミヤのオーバーコートに錆朱のワンピースを着ていた。

 二人は余所行よそゆきの服装で、気持ちも晴れやかに駅へと急いだ。二人は電車を乗り継ぎ、みんなの集合場所らしい二の橋に着いた。

 史子が突然走り出した。雪子も遅れまいと走った。交差点を渡ると女性達が五、六人待っていた。

 「お待たせ」史子が言うと、女性達は黙って歩き出した。それから少し進むと又、五、六人の女性と合流した。

 女性達はかなり早く歩く、雪子もはぐれないように速足でついて行った。

 雪子には土地勘がないので何処を歩いているのか分からなかった、坂を下り、“ヒョイと”横道に入ると、レンガ造りの、トーチカのような形をした家が現れ、みんなはその家に入って行った。

 門を入るとテラコッタが引き詰められ、テラコッタは家の中まで続いていた。

 史子達の先頭の女性が扉の中に入って行った。その後に続いて、家が閉まらないように、手から手へと渡し全員が入った。

 オーストラリア公使の私邸の扉を入ると幅六メートル、奥行きはもう少し深いホールがあり、両側に加湿器が六台「シューシュー」と盛大に音を立てて蒸気のアーチを作っていた。

 東側にクローゼットとトイレが並び、反対側は公使の書斎兼応接間になっていた。

 クローゼットは、三百人程のコートを掛けられるだろうか、かなり大きかった。

 「この先トイレね!」史子がトイレを指差し教えてくれた。

 「ありがとう」と言って、コートを掛けて、ロビーに出ると、史子が一足先に正面の大きな扉の中に入って行った。雪子も急いで後を追った。

 扉の中は女性達で溢れていた。

 入り口で紺色の制服を着た、フィリピンのメイドが二人、ウェルカム・ドリンクをサービスしていた。

 メイドは何も聞かずにオレンジジュースとペーパーナプキンを手渡した。

 雪子は、オーダーを聞いて欲しかった。こう言う席では日本人の意見や意思は無視されることが多いのだ。どうせ日本人は英語が喋れないから、聞いても無駄と思っているのだろうか、それにしても従順な日本人は黙って受け取り、何も言わない。


 雪子は、あまのじゃくだから、他のドリンクを注文しようと思ったが、英語で何て言うのだろう?考えると英語が出てこない、簡単な言葉があるはずだけれど、場なれしていない事も手伝って、出てこない。恥をかきたくない。やっぱり黙って受け取った。

 羊のように従順に、宛行扶持あてがいぶちの、オレンジジュースとペーパーナプキンを受け取って、その場を離れた。

 “史子がいない!”どこに行ったんだろう。心細さで押し潰されそうだ。

 辺りの招待客は“話しかけないで”と鉄壁の構えで立っていた。

 “英語で話しかけられたら困る”傍に寄っただけで磁石のSとS跳ね返すような勢いで、肩を怒らせて立っていた。

 雪子は、史子を探すのを止めて壁の花になることにした。あらためて会場を見渡した。

 天井は高い!五・六メートルあるだろう。その天井にシャンデリアはなかった。

 間接照明が大きな部屋全体の隅に設置され、仄暗ほのぐらい穏やかな明るさの部屋だ。

 東側と思われる所は壁で仕切られ、インとアウトのプレートが付いた戸が二枚あるだけだった。その先が台所なのだろう。東北にあたる所に大きな窓があり、北側の穏やかな光が入っていた。

 プレートの付いた扉からフィリピン人のメイド達が忙しく出入りしていた。

 大きな部屋の東側がダイニングとなり、四人掛けのテーブルが二十基、備えられていた。

 “招待客は八十人なのだ。”雪子が今立っている部屋はリビングで、大きなソファーセットが三基あった。招待客でギューギュー詰めの客間を壁に沿って歩いてみた。“これから一時間、カンバセイションタイムか!長いなァー”

 外国人のパーティーは、この食事前一時間のカンバセイションタイムが長いから嫌だ。“犬のお預け”でもあるまいし。

 だからパーティー慣れしていない日本人は、必ず二人で来る。その連れの史子に逃げられた!“なんて哀れ”精一杯虚勢を張って、壁の花となるか! 雪子は度胸を決めた。

 大勢の招待客に背を向けて、壁に掛けてある絵画を見ることにした。

 六号程の墨絵のような絵が五枚壁に掛けられていた。モダンアートなのだろう。面白くも可笑しくもないその絵を興味深く鑑賞している風を装い、首を縦にしたり、横にしたりして、絵を見た。絵を見て、どの位時間が経ったのだろう。振り向くと、ぽっかりと穴の空いた空間があった。絵を照らす光は仄暗く空間に人の居るのが分からなかった。

 「ハァーイ」と声がした。声のする方を透かして見ると、大きな肱掛椅子に座っている人からだ。

 亜麻色の髪をして淡い瑠璃色の瞳の人だった。

 白、茶、黒、赤の四色が入った薄手のホームスパンの上着を着て、ヒールの太い大きな靴を履いていた。その人は“ブリティッシュ・ローズ”の縁を残す女性だった。

 雪子も二、三歩、進み出て、“ハロー”と外国人のような抑揚をつけて答えた。

 「あなたは日本人?」物憂げにその人は聞いた。

 「えゝ。あなたはオーストラリアの方?」と、その白人女性に聞くと、

 「サウスアフリカ」と答えた。意外な答えに雪子は「そ~う、サウスアフリカなの、サウスアフリカ」と呪文のように繰り返して、一瞬目を反らすと、

 グーとフィリピンのメイドが盆を突き出した。ウェルカムドリンクグラスの回収だった。「Ⅹキューズミー」くらい言って欲しかった。まるで日本人を無視しているのか。メイド達は、唯、機械のように動いていた。気が付けば、ブリティッシュ・ローズの縁を残すその人は白人女性達に囲まれて何処かに消えていった。


 大きなテーブルに料理が並べられ、二つの大きな盛花の間のローソクに火が灯された。食事の始まる合図なのだ。招待客は一斉に動いた。

 雪子も後に続いた。雪子の前を人々が通り押しやられるように雪子は最後尾になっていた。日本人は規則正しく一列に並び適当なところで折れて、まるで誰かに規制されているように列を作り順番を待った。

 雪子が少しずつ進むと人の間からビュッフェ・テーブルが見えた。大きなテーブルに大きな銀色の皿が見え、十種類ほどの肉料理が美しく盛られていた。

 ローストビーフらしきものも見える。

 香草の匂いが芳しい。

 人々は白い大きな皿に肉とその付合せを皿いっぱいに盛り、席に着いた。

 雪子もフィリピンのメイドから大きなペーパーナプキンで包んだフォーク・ナイフ・箸を受け取り、白い皿を手に持って、テーブルの前にたどり着いた。

 次の瞬間、雪子は自分の目を疑った。

 あんなに沢山の肉料理が、どの皿からも消えていた。

 「噓でしょう。あんなにあったのに!私のお肉がない!」信じがたいが、ない。惨めなほど小さい肉の塊を見つけた。手の届かない程テーブルの奥にまだ二皿程あった。白っぽく、あまり美味しそうではないが、身を乗り出して手を伸ばした。

 “あ~ぁ”雪子は思わず叫んだ。“この匂いは羊ではないか?”ラム・マトン、全て羊肉が使われていた。雪子は羊の肉は体質的に合わなかった。匂いを嗅ぐとゲップが出て来る。

 史子はローストビーフと言ったはずだ。

 “牛じゃないの?”何を言っても現実は“羊”だ。仕方がないのと少々口惜しいのと、チャンスを逃すのは勿体無いので、カピカピに焦げた肉の小片を皿に盛り、サイドの野菜を盛ることにした。幸いなことにジャガイモのグラタンは山羊のミルクではなく、牛のミルクで作られていた。

 アーティチョーク、アスパラガス、は当時まだ珍しい野菜だった。パンも皿いっぱい盛り合せ席を探した。

 一番端の一列が空いていた。

 雪子が空いている席に座ると、待っていたように日本人の女性が座った。何の挨拶も無く、座って来た。

 雪子がペーパーナプキンを開いてフォークとナイフを出すと、まるで、雪子の連れのようにシンクロして、ナプキンを開いた。

 「ハロー雪子!」声がした。

声の主は、キャサリンだった。

 「ここいいかしら?」見れば見知らぬ二人のオーストラリアの老婦人が、キャサリンの後ろに立っていた。

 「どうぞ!」雪子が答える前に、キャサリンは椅子を引いて、二人の老婦人を座らせていた。

 「マイ・マザー、マザーズフレンド」と紹介した。

 「ハロー」と雪子が二人のオーストラリアの老婦人に挨拶をした。

二人の老婦人は、何も言わずにゆっくりと席に着いた。間髪を入れず、キャサリンが両手に白い皿を持って帰って来た。皿には羊肉と付合せの野菜が手際よく盛られていた。テーブルに置くと、

 「ジャーね」と日本語でキャサリンは雪子に手を振って、どこかへ行った。

 キャサリンは忙しい。夫はオーストラリア大使館の若手外交官だった。

 テーブルに残った、四人は、ただ皿を見つめて黙々と食べた。

 突然。ハァハァハァア~と甲高い笑い声がした。聞き覚えのある声だった。

 史子の笑い声だ。史子はあんな処にいたのか?史子は外国人の中にいた。たぶん、あそこが上席なのだろう。

 史子の声は日本人の中でも一オクターブ高い声で話す。まして、甲高い笑い声は奇声のように聞こえた。低音で話す西欧人にとって、どう映るのだろう、雪子は気になっていた。

 史子は、人のことなど気にせず、天真爛漫に笑い、話している。史子の英語が上手だと思った事は無かったけれど、英語のいくつかのセンテンスを巧みに使っていた。まるでトランプゲームのカードを切るように。会話の中に入って行っていた。楽しそうだ!

 「ギャンブラー。史子!」

 今、雪子は白い皿を見つめ、意に添わぬ、肉抜きの、ベジタリアンのような昼食を摂っている。多少の厭世気分と、史子への嫉みを感じていた。

 普段の史子の生活は、多分どこかのバザーで買ったのだろう。袖口の開いた、洗い晒しのセーターに時代遅れのブレザーを着て、ペタペタ靴の音をさせて歩いている。

 少々貧乏たらしい。

 そんな史子が今日のパーティーの華になっている。

 史子の英語も他の人達の英語と嚙み合っているようだ。

 「大したもんだ!」日頃の史子とは別人に見えた。

 キリスト教社会での聖職者の地位の高さにも驚かされた。何より、ものに動じないのか他が見えないのか?いずれにしても大したものだ。雪子は耳をすまして、史子の会話を聞いた。

 食事会も中ほどに差し掛かると、

 「寄らば、切るぞ」と鉄壁の構えの日本人達も、緩やかに溶けていった。

 ビュッフェ・テーブルに再び人が集まり始めた。

 同席の日本人が「デザート、取りに行って来るわ~」と言って席を立った。この会場で初めて聞いた日本語だ。

 しばらくすると、同席女性が席に戻って来た。「まあ、美味しそう」と雪子が言うと

 「いろいろ、あるわよ~」彼女の皿には、ケーキが二種類にアイスクリーム、フルーツと盛りだくさんだった。

 「私も、行って来るわ!」

 「行ってらっしゃい!」その女性に送られてデザートのテーブルについた。もうテーブルには、主なるデザートはなかった。テーブルの隅の方に、三原色も鮮やかに、赤、青、黄のケーキが手付かずに残っていた。それぞれ十インチ程の大きなケーキだった。近づくと強いエッセンスの匂いがした。

 思わず「凄い匂い!」と言うと

 「あの方たちは、香水がきついから分からないんじゃない!」と横に立っていた初対面の日本女性が雪子の肘を自分の肘で突っつきながら、おかしそうに言った。

 雪子は思わず「まあ!凄いお言葉ね!」と返すと、かの女性は、高らかに笑いながら、一部の上流婦人がするように、体を反らし

 「ごめん遊ばせ!」と言って去っていった。居合わせた客達は同意しながらも

 「手を付けないのは申し訳ないわね!」

 「そうね!」雪子が応じると、

 「それにしても、強いエッセンスね!でも、一センチぐらいなら食べられない?」と誰かが言った。

 「そうね!」と話がまとまると、それぞれが一センチ程、薄っぺらく切って皿に盛った。

 瞬く間に3分の1が無くなり、何となく申し訳が立つようで、安心した。

 雪子は三原色のケーキをレースのような薄さに切り、皿に盛ると、クッキー二枚と果物を盛り合せた。

 席に帰るとキャサリンが二枚の皿に美味しそうなデザートを持ってきた。

 “あんな、デザートもあったのか?”オーストラリアの老婦人達の皿には見たこともない美味しそうなデザートが盛られていた。

 キャサリンが「二人にコーヒーは、あそこに有るから」と指した。二人は「OK!」とうなずいた。

 キャサリンは、同席の日本人に

 「お楽しみ頂けていますか」と外交官夫人らしい配慮をして、去って行った。

 メイドがオーストラリアの老婦人二人にコーヒーを持って来た。思いやりなのか、白人に対するサービスは行き届いていた。

 同席の日本人客が老婦人に「何時日本に来られたのですか?」「日本は寒くはありませんか?」とか、四人は英語で簡単な会話を楽しんだ。

 宴は華やかに、やがてクライマックスを迎えた。

 上席の外国人達が立ち上がり、客への見送りが始まった。

 公使夫人なのか生成り色のシャネル・スーツを着て、大粒の長い真珠のネックレスを二重にしていた。

 招待客と公使夫人や外交官夫人は、映画のワンシーンのような華やいだ別れの抱擁をしていた。その外国人の中にブリティッシュ・ローズの縁を残す南アフリカの夫人もいた、史子もいた。多くの日本人は、その外側を、会釈しながら帰った。

 雪子も多くの日本人同様に、パーティーに招待してくれた。大使館の人々に会釈をして出ようとすると、キャサリンが手を振った。雪子も手を振って、“See you!”と言って別れた。

 雪子はコートを取ると外へ出て史子が出てくるのを待った。少しすると、史子も急いで出て来た。

 「待った?」

 「大丈夫よ!それ程待っていないから!」

 何となく史子が眩しく見た。

 「大使館の方々は大変ね!」

 「そうね!でも皆さん、慣れているのよ」史子がすました顔で答えた。

 「それにしても・・・・・」

 キャサリン・スクゴー。彼女はオーストラリアの田舎町の育ちで、首都キャンベラの大学で法律を学んでいた。その時のクラスメイトが夫のリチャード・スクゴーだった。

 キャサリンは、華奢な身体つきをしていたが、中身は意外にワイルドだった。何時の日だったか。オーストラリア大使館の庭を案内してくれたことがあった。その日は、どうしてもベビーシッターが見つからなかった、と言って一才ぐらいの息子を連れて来た。

 その子を、ヒョイと背に負うと、一時間程、勢力的に庭を案内してくれた。白人が子供を負ぶうのを初めて見た。第一、キャサリンが負ぶい紐を持っていたことに、参加した日本人は、感激した。私はそれ以前も以後も白人が子供を背負うのを見たことがない。

 

史子と雪子は、電車を乗り継ぎ山の手線の自宅最寄り駅に着いた。

 早めの帰宅ラッシュが始まっていた。

 「史子さん、今日はありがとうございました。とても楽しかったわ。」と雪子が言うと、史子は満足げに、「そうね。華やかだったわよね!」と言った。

 雪子は、少しおもねる様に続けた。

 「そうね。日本人のパーティーと違って、大人って感じがするわね、華やかよね!」

 「そうよ、エレガントよね!」史子は満足げに答えた。

 「史子さん、来週のポトラック・パーティーはどうなさるの?欠席?」と聞くと、

 「もう、クリスマスのシーズンに入ったので、来年まで、アンデレ教会には行けないわ。」と言った。

 雪子は何となく“ホット”した。

 「残念ね!史子さんが居ると心強いけど・・・」

 本音と媚びの混じる感情を吐露した。 

 これから二人は育ち盛りの子供たちの夕食を作らなければならなかった。二人はまだ、重たいお腹を抱えて、夕食の支度は少々おっくうだった。それでも茜色の夕空を見ると反射的に家路へ急いだ。


 ポトラック・パーティーの当日、子供たちと夫を見送ると、雪子は手早く、昨夜、甘だれに漬けておいた鶏肉をオーブンで焼いた。

二羽分、少し多めに焼いた。雪子は料理が上手なので、みんなが雪子の料理を期待して待っていた。

 十一時少し過ぎに、聖アンデレ教会に雪子が着くと、すでに、聖アンデレ教会・婦人会の会員はほとんどが来ていた。

 雪子が料理の包みを開けると、係の女性が手早く、皿、レタス等々を用意して盛り付けた。

 会場の大きなテーブルにあふれる様に 手作りの料理をはじめ、銘店と言われる寿司類、サンドイッチ、ケーキ、果物など贅沢に並べられた。

 テーブルの用意が出来た頃、聖オルバン教会の婦人達がパーティー会場に入って来た。

 聖アンデレ教会の会員何人かが出迎え、歓迎の抱擁をした。同じキリスト教信者同士の交流は、穏やかに始まった。

 聖アンデレ教会の代表者が、前に進み出ると、食事前の感謝の祈りが捧げられ、会場の全員が声を合わせ「アーメン」と唱えて食事が始まった。

 

日本人のパーティーは、カンバゼーション・タイムが無いので、皿を持つと、それぞれ好みの料理を皿に盛り、小さなグループになって食べ始めた。

 一通り食事が終わる頃には、両教会の女性達は交じりあって話を始めた。

 その中にオーストラリア公使のパーティーで出会ったブリティッシュ・ローズのよすがを残した人がいた。雪子は思わずその人に近づいて行った。

 「ハロー、またお会いしましたね」と言うと

 「人違いではないの?」とその人は聞いた。

 「いいえ、私、そのブレザーに覚えがあるの。オーストラリア公使のパーティーでお会いしているでしょ。」

 「アーそう、日本人は、みんな同じに見えるので、分からないけど、このブレザーは、私の制服だから、お会いしているのね」と言うとオルバンの日本人会員が言い訳の様な説明をした。

 「ヘレンは、日本に来て十日もしていないので、日本人の顔の区別がつかないのよ、それにヘレンの手荷物が航空会社の手違いで、行方不明なの」と言うと

 「私のトランクが世界旅行をしているの」とヘレンがおどけて見せた。

 雪子はその人が“ヘレン・ヴォーレン”と言う名前だと知った。

 それから、日本に来て初めて味わう、様々なことを、外国人特有の大袈裟なジェスチャーで体現して見せた。その中でも「わさび」は秀逸で、みんなが鼻をつまんで、目を白黒させて笑い合った。お陰で会は大盛り上がりで、近来にない楽しいものだった。

 ヘレンは、日本に来たばかりで、まだ友人も無く、観光も出来なかったので、暇を持て余していると言っていた。そんなヘレンに「次の日曜日に雪子の家でクリスマス会があるので来ませんか」と誘った。すると、ヘレンが「ドレスコードは?」と聞いて、

“マリリン・モンロー”のように腰に手を当てて、ポーズを取った。雪子は些か後悔した。彼女たちの世界では、色々なランクのパーティーがあった。日本人のホームパーティーはカジュアルで、もしかしたら迷惑かもしれない。けれど、これが日本の現実だから、と開き直って、子供のためのパーティーだから。

 「その制服でどうぞ」と言ったら

 「オーケー!」と答えた。ヘレンは何か言いかけたが、雪子は、かまわず、名前、住所、電話番号を日本語と英語で書いて渡しながら、

「智子さん!」と雪子の友人を呼んだ。

「ヘレンさん。この方、坂本智子さんも家にお招きしているので、日曜礼拝が終わったら、坂本さんと一緒に来てくださいね。」と言うとヘレンが「夫も連れていっていいかしら」と聞いた。

「もちろんよ!」これがヘレンと私の出会いでした。


ヘレン・ウォーレンの夫コリン・ウォーレンは、多くの学年をスキップして、南アフリカの大学を優秀な・成績で卒業と同時に、“アメリカン・オイル・カンパニー”に、入社したビジネスマンだった。

二人は、スコットランド系の南アフリカ人で、英語、フランス語、スペイン語を話していたけれど、日本語は全く分からなかった。二人の世界地図には、“日本”と言う国は全く存在しなかったようだ。

二人は、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ、中東と移り住んでいたが、アジアは無縁だった。

彼らは、日本に住むなどと考えたこともなかっただろう。会社の命ずるままに日本に来たのだ。


その場の勢いで、ヘレンを雪子の家のパーティーに誘って見たのはいいけれど、雪子の英語は、風呂、めし、寝る、のお粗末なものなのだ。

その後は、雪子の片言の英語をヘレンが二、三通り言い換えてくれた。

“多分それ”と言って話しを修正しながら二人は、意思の疎通をはかった。

 ヘレンと雪子は妙に気が合った。価値観が似ていた事と本音で話し合ったからだろう。

 ヘレンが言う“人生のハイ・タイム”を二人は日本で過ごした。

 ヘレンが、混沌の“ブラック・ガバメント、南アフリカ”へ帰るまで。

 雪子が言葉を失うまでの五年間だった。



女達の忘年会は終わった。雪子を含めて六人の女性達が後片付けのために残った。女性達は慣れた手順で皿を洗い、ホールの掃除を行った。少し汗ばむ程の仕事量だ、清掃の終わった会場は、再び生き返った様に、清々しく静まり返った。

「お疲れ様!」「来年もよろしく!」等々の挨拶を返すと、六人は蜘蛛の子を散らす様に家路に急いだ。


雪子が東京タワーの横の道を歩いていると、タワーに“パァー”と灯りが点った。

思わず東京タワーを見上げる、赤く温かい灯りが暮色を強めたあたりを華やかに照らしている。

一九〇〇年が暮れる。バブルが弾けたとは言え、まだ世間は賑わっていた。特にここ港区は、或いは東京の中心部はバブル時と変わらない。

これから正月まで、着飾った人々がどれだけの宴を楽しむだろうか。

東京タワーを振り返って見た。

あかあかと輝くタワー、その下に増上寺の大屋根が黒くどっしりと広がり、手前の芝公園の木々は利休ネズミ色に輝いている、切り取れば一枚の美しい絵となる。

雪子は、暫し東京タワーと街並みを眺めていた。


  “美しい東京” “沈まぬ東京”を。

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