And In STORM
朝が来て、最初に断っておきたいのだけれど。
僕はその時間にふかれた煙草の煙が好きだ。
僕は別に煙草を嗜まないし、そもそも吸える歳ではないのだけれど。あの時間帯に立ち上る煙が好きである。父親が飲み会から帰ってきた時、スーツから煙草の匂いが僅かにして、実を言うと、その匂いに強く安心感を覚えていたくらいには、煙草の匂いを嫌いになれない。勿論健康に悪いのは知っているけれど。
「どうした?また難しい顔して。」
「いえ。何でも。」
ただ心が思い出しただけだった。セトウツミ大橋を走るバスの最前列で噛られる砂糖の塊の筒と奥で広がる雲の靡きが重なっただけで。灰色のゾーンを歩くあの存在に為れたように思い込んでいる人間にとって、良く似合う炎を思い出した。
僕もコウテイさんも、朝早い時間だったが幸い眠気もなく、適当に会話を回した。外の天気はいい表情をしている。他の皆も悪くない表情をしていた。去った旅を思い出す何て事、きっとしてしまったのは僕だけだし、それでいい。
『それでは、もう間もなくアンインエリアにあります保安調査隊の拠点へと到着いたしますので皆さんご移動の準備をお願いします』
アンイン。UnIn、それとも暗陰、それとも暗音?
いずれにせよ言えるのは、この先には探検隊の隊員がいて、ここは山陰の写し鏡であって、この風の遠因の住まう土地であるという事である。
AM9:30_____
「……なるほど、この風はそういう事だったか。」
ヤマタノオロチという存在が我が物顔で探検隊の拠点に仁王立ちをしていたのを開幕0秒で視認せざるを得なかった我々は、今突如として巻き上がった飈の正体らからの自己紹介という名の有難いお言葉を受け止めていた。
「小童どもよ、遠路遥々よくぞこのジャパリパークに参った。蛇神ヤマタノオロチだ。もし気が向いたらここから少し北にある、我の住まう社を見に来るといい。可能な限り願いを聞いてやろう。もちろん、代償となる供物は忘れずにな?ジャハハッ。」
少し意地悪な笑みを浮かべる神。
基本的には酒等の供物を渡さないとお願いを聞いてくれないけものなのだそう。神とはこんなのばっかりだ。
「やぁ皆、継月から話は聞いてるよ。西方守護神、ビャッコだ。このアンインには此処から北に向かえば砂丘が、西へ向かえば港があるぞ。色んな地域が入り交じった所ではあるが、まぁ楽しんでってくれ!」
そして旋風の内へ、八岐の山脈を撫で群れを為す風はいつか海面へと帰り、大きな渦と為って底へ帰る。それはきっと、五穀豊穣との狭間。
探検隊の人の自己紹介もあったが例によって半分くらい聞いていなかった。とりあえず眉毛の太い方と髪型がおさげの方とまでは僕の隙間の理解力が及んだのでそこはしっかり覚えておく事とする。
そしてここから自由だそうで。
まあ尤も、今日の僕に自由という言葉は似つかわしくなく、そして3番目の人間から見て似つかわしいのだろう。
「……アレ?ちょ、平城山さんは?」
ミライさんが解散の音頭を説いたと同時に動いた影を追うハメになった。やはり自由という言葉は自分ただ一人の時だけに輝く劣等星のような気がしてならない。
「彼を追います。たぶん駅です。また後で。」
3つ叩きつけるようにコウテイさんに託して、彼を追う。まるで何かに追われているような(実際問題僕が追っているのだけれど)恐怖の足取りのようにも見えるし、あるいは魅了されてずるずると足を引き摺っているようにも見える。掻き分けるべき人の波も無く、ただ無心で何処かを目指す幽霊でも追うような心持ちだった。
____________
どれくらいか経って、その彼と同時に足が止まった。到達するとは思っていたが、そんな風には見えない彼の脚力に驚かされた。息の一つも上げずに僕の遠くを行くのが恐ろしく思えた。昨日も走ったせいで、身体の筋肉はまだ少し痛い。
「はぁ……ちょっと、
「あぁっ。すみません。」
けろっとしている、興味と恐怖が混じると人間はここまでの体力を得るらしい。ホラーゲームを学校教育に取り入れてみるか?いや、今の時代批判しか生まないだろうな。物事の上部だけを知っているのに本質まで知った気になって大股で歩く人間しかいないから、ま、しょうがないけど。
僕だって、そうだし。
とりあえず待とう。そう言っても彼の目の輝きはまあイカれたもんだったけれど、そうしている内にコウテイさんとアードさんと……おや、妖怪耳しゃぶメガネもといミライさんも一緒にいらした。
なんでも方向一致の用事が出来たらしい。平城山さんはビクビクしていたけれど、僕にはあの女性が特段恐怖の対象になる理由がわからなかった。まあ妙に優れた美人という存在は男女問わず怖いのは理解の及ぶ話だが。
僕は詳しくないが10時10分の電車の方がいいらしい。ので、駅からその電車に乗り込んだ。フレンズの分の料金はタダだそうだが、それでも駅員の部屋におかれている貝殻や石、我々が口にしても問題のなさそうな木の実などが、彼女達の誠実さを語っているような気がした。
朱野。アケノ。朱の、明ヶ野。人々は、何を思ってその名を付けたのか?窓のそとを、アケノの駅で降りていったミライさん達を見送ったそのあと少しの内に見た、黄色から白に染まる平野で少しわかった気がした、きっと明けの時間であれば、ここは朱野になる。
[コノ電車ハ 快速 シロヒマ ユキデス。間モ無クアケノハーバディア デス。ヒラ、ウミダシヘオイデノオ客様ハオ乗リ換エデス。]
このアナウンスまでラッキービーストやらの声だった。聴きやすいし、それでいいのだけどね。
ハーバディア。明けの時間であればここもまた同じように朱の海原がみられるのだろう。青く深く流動的水平線がどこまでも続いている。リウキウの透明な青も美しいが、やはり僕はこれくらいの海の方が好みだ。リウキウという肩書きが無ければ、ただ浅瀬が続く海なのだから、意味的にはやはり着飾ったソレでしか無いのだろう。
「私、観覧船の船長を務めます宵空 美生と申します!出航時に呼びますので今しばらくお待ちください!」
ここから海へと暫し揺られる。
そうだ行っておこう。
「すいません、ちょっとお手洗い行ってきてもいいですか?」
「あ、いいですよ。」
「なら私も。」
「わかった。荷物見てるよ。」
用を足すって言うけど、何故なのか。
「戻りました。」
「お帰り。私も行っておいて良いかい?」
「勿論。」
コウテイさんと平城山さんも入れ替りで花摘と鷹狩りへ。ゆっくりするといいと思う。
だが、アードさんとふたりきりになってしまった。別にそんなこと自体はどうでも良いのだけれど、何も会話が無いと苦しい。何か話題を探そう、そうだ、海の話でもするか。
「海は、嫌いなんでしたっけ。」
「へ?……ぁあ。嫌いというか、苦手なんです」
「それは、何故?」
「……広すぎて。溺れるのが恐いとか、濡れるのが嫌いとか、そういうのではないんです。ただ漠然と、漠然とし過ぎているのが苦手なんです。もっと狭くて暗い穴の中の方が、私は好きなんです。だから、苦手です。くらくらしそうで。」
「確かに、海は広いな大きいな、って言いますし。広々していて、深くて、底の見えない、全くわからない世界が眼前に迫るのは、怖いですよね。」
「はい。……だから、私、旅も正直まだ、良くわからなくて。コウテイさんには『自分を見せてみたらどうだ』と言われたんですけど、もしよければタコさんの思ってる旅ってどんななのか、教えていただけませんか?」
「……貴女は旅の意味が知りたいんですか?旅という言葉の意味が?それとも、旅をする意義を、ですか?どう楽しめばいいのかという、ハウトゥですか?」
「全部と言えば、全部ですが……じゃあ、ハウトゥはコウテイさんが教えてくれたから、いぎ?を教えてくれますか?」
「海は、静かですよね?」
「はい?……まあ。」
「旅は海と同じです。広くて、黙っていて、ただ見るだけなら何も感じずに終わってしまう。けれど、例えば貴女のように海が苦手だと感じる。僕のように、海の波の行きと戻りに美しさを感じる。旅の真意は、旅をすることじゃないと思うんです。旅の中で、見て、聞いて、触ってみて、何かを感じる。ただの移動じゃない、逃げたわけでも制圧したわけでもなくて、ナワバリを広げたいワケでも無くて、ただすれ違った風景やその経験に、何かを感じるのが旅なんです。自分が有名になりたくて、その海を見ることでも、他人をバカにするために美味しいものを食べる事でも無くて、自分がただ美しいと感じたくて海を見て、自分がただ食べたくて美味しいものを食べることが旅なんです。旅の他人は他人です。海の波のような物です。旅は、自分で完結させるべきなんです。僕は少なくとも、そう思います。」
「じゃあ、海を嫌いになるのも、私の旅なんでしょうか?」
「ええ、そうでしょうね。他人はそれを知る止しも無いんです。旅は自由で良いんです。本当は、この無駄に分厚いしおりさえ、いらないんです。」
「そっか、結局、私は私で良いんだ……。なんだか、お友達が言う『自分探し』の意味もわかった気がします。」
「そろそろ出航になりまーす!」
女性の声で、思考の深海から浮き上がった。
互いに満足行く顔が出来てよかった。
「お待たせ。」
「いえいえ。」
「丁度良さそうですね!お乗り下さい、そろそろ出発しましょう!」
船の甲板へと通された。風を直接浴びることが出来るようだ。青と緑とそれを照らす白が、光り、そして音は嵐の中のようだ、けれど、いい風と、飛沫が心地いい。旅でしか見ることが出来ない景色が、確かに眼前に広がっている。
丁度平城山さん達とは真逆の位置に来て、去る景色をコウテイさんと二人で見ていた。海には思うことがあるのか、珍しく会話せずに、ただその景色を内省した。旅を噛み締めると言ってもいいかもしれない。
「「うぉっ。」」
大きな波が来たようで、動じたけれどなんともなかった。こういう強風も、旅には必要だろう。
そのあとも異常なく、ただ非日常を受け止めた。コウテイさんに静かだった理由を帰ってきた船着き場で尋ねたら、「ちょっと泳ぎたくなってしまったから我慢していた」だそうだ。それもちょっと見てみたかったと言ったら、また機があればと言われた。楽しみが増えた。
「平城山さん、帰りの電車ってどうします?」
今の時刻は12:00前。流石にもう走りたくないので声をかけたら、土産品をすこし寂しそうに置きながら平城山さんが此方に寄りつつ、時刻表をしてくれる。
「12:14発の普通で帰りましょう。」
あっちに行きたいときは、向こうから来る奴が来たら乗る、あっちから来るやつには乗らない。それがフレンズの基本らしいので時刻表はきっと物珍しく映るのだろう。日が昇るか降りるかだけで、あとは同じだ。
「またのお越しをお待ちしております!」
元気な声を背に受けながら電車に乗り込んだ。帰りはペア同士で向かい合うようにして乗ってみることになった。言っても別に、どうでも良いことなのだけれど。
「なあ。」
「何ですか?」
「……旅っていいな。」
コウテイさんが意味ありげに笑いかけてくれた。
「そうですね。良いものです。」
突風に攻撃されたような心持ちだ。
考えをアンインストールしたとして?
旅の意義はもしかしたら、
海よりも風かもしれない。
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