影に日向に明野に

最初に断っておくが、僕には影という影はおろか、日向という日向も存在せず、かといって開け放たれた野原などもなく、ただ陰鬱で入り組んだ森林のように広がる木漏れ日のような網目をくぐるような精神で日々を過ごしている。

これがなにを意味するかなどは考える価値もない事であるが、僕は旅という言葉についていろいろと思うことがあり、そしてそれは僕の精神に眠る哲学的な側面において多大に大きく輪郭を共にしているために、わざわざこんなことを言う。


旅とはすなわち何だろうか。風に押し流される事だろうか、波にさらわれる事だろうか、山肌を転がり落ちる事だろうか、断崖を登りゆく事だろうか、あるいは、陰鬱な森林を踏破せしめんとする事だろうか。

僕はいずれにせよ、山も川も海も何もかもを、己の心情の中そのすべてに押し込んで理解し、またその感情を以て感じたすべてを一度焼き払うものであると認識している。


焼き払ったすべての物事には灰が残る。僕はソレを旅で得る真なる価値であると認識している。焼き払うという行為は我々が意識して行う必要は無く、ただ見て聴いて感じた有象無象を何も考えずに、感想や思い出という言葉に一度保留して、そのまま放置しておくだけで構わない。そうすると我々とは単純で間抜けな生物であるが故に、そのほとんどを焼失してしまう。ほら、これで焼き払いは完了。つくづくバカで間抜けである。これならまだ三歩歩いてすべてを焼失してしまう鶏なんかのほうがよっぽど割り切りがいいような気がしてくる。

話を戻そう、とにかく灰が残ることがわかればそれでいい。しかし何もメカニズムを説明する必要などないのだが……。その残った灰こそが、旅の真意なのである。


いままで他人にさんざん説教臭く、あるいは紆余曲折の右往左往した弁解をつらつらと並べてきておいて何を言うかとお思いの面々に関しては、最初に断っておいたのでもう文句は言わないでくれ、端的に言うなら黙って聞いてくれ。


しかも、僕は特段変な事を言っていたわけではない。自分で見聞きした物に関連した色々な事を、自分の感性で構築し直しそれを吸収、そして記憶のバックアップの有無というか可否というかによって選別し、焼き切って己の中に情報として確かに残った灰を以て自身の手で結論付ける。海を見ながらアードウルフさんと話していたことはこういうニュアンスなのだから、何も心情にも信条にも反しちゃいない。いやだったらとっくの昔にその灰を海に投げ捨てて、今頃次は何を食おうかと悩んでいる頃だろう。そうではない、という事は、考えるにあたって何か思う所があったという事に過ぎない。


それが何かといえば、電車に乗り込んできた俳優だったか芸人だったか(こんなイジリをしているのは最早僕だけだろう)と、ガイドの二人が、平城山さんと会話しているのを聴いていたからだ。


彼はここにきてずいぶんと変わるきっかけをつかんだようだ。インドに行けば人生観が変わるとか、そんな感じの文言に近いものを彼は手にしたという訳である。では僕はどうだ?考えた所であまりにもなさすぎる。冒険や探検をする気になったわけでもない、人生を変えようとしたくなったわけでもない、まぁただ帰りたくなったわけでもないのが救いである。


旅の真意とは、灰を握ることであるとするならば、それは一人の内省であるべきである。一人旅の延長の中に、自身との対面を成さねばならない。つまるところはそういう事になる。二人で旅をするとは、あくまで数字的にふたつというだけで、心情に二つという考えはない。揺れる列車と、遠くに見える海原、野性あるいは自然が永遠とこちらに静かな牙を光らせ続ける中で、考えを煮詰める。


これをした所で、

何になるというわけでもないのに。


何度も断っているが、僕は大のつく嘘つきである。この場にいるのが、しばらく思考すれば嫌になるくらいには、自身とその嘘をついている対象に嫌気が差してくる。旅に魅力を感じていない訳ではない、ただしかし、何処かにそれを肯定しかねない要素も同時に存在しているのも事実だ。そこにまで嘘を吐くわけにはいかない、自身の中で燃え滾る烈火が焼き尽くした記憶の灰だけは、なんにせよ思考という正直さによって討ち果たしたものだから、純粋な姿勢を見せるほかない。


『……旅っていいな。』


考えをアンインストールできたとしたら、彼女のこの言葉に対しての真正面からの返答は、迷いのない頷きだったのだけれども、そうはいかなかった。純粋な楽しさや嬉しさという感情を持ち続けるモチベーションとそれが許されるだけの姿勢を僕は何処かで燃やしてしまったようで、その考えにシンプルな返答を用意できなかった。


旅の意義は海よりも風かもしれない。

それは、何もかもを包み込み飲み込み、深淵へといざなう深い青の先が旅なのではなくて、燃やされて粉々になった灰をものともせず、ただ情報として乗せる気まぐれでありながらただ彼らだけでは発生し得ない風の如きものなのかもしれない。


車窓の外を見続ける僕ら二人のコンビは奇特に映っただろうか。

少なくとも、僕らは集合時間に平気で間に合った事を互いに確かめ合うまでは、明野の影と日向の黒白を追いかけて何かを思考していたに限られていた。

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