第1章 ゼニのとれる風呂 ~ 球界の孤児と「孤児院」だった養護施設の交差点

第2話 ゼニのとれる風呂 1

 「森川園長はいらっしゃいますか?」

 学生服を着たO大学生の大宮哲郎青年が、養護施設よつ葉園の森川一郎園長宅にやってきた。


 「おお、哲郎君、今日はまた、日曜というのに学生服を着て、なんだ、しかもきれいに洗濯もしておるではないか。どうかしたのか?」

 学帽を脱いで一礼し、青年は要件を話した。


 「ええ、実はね、街中の滝沢旅館さんからうちに連絡がありまして。近くよつ葉園の風呂が開業するでしょ、それを、今度キャンプに来る川崎ユニオンズさんに使わせてあげてほしいとのことでね。基本的に、皆さん、例年通り滝沢旅館さんにお世話になるってことだけど、球場で練習した後に、もちろん、オープン戦の後には対戦チームさんも、ぜひともよつ葉園さんの風呂に入れていただければ、助かるって」

 「ほう、それはまた、ありがたいことじゃ。一応、うちは2月初めに落成を予定しておるが、実のところ、1月末ごろには工事も終って、入ろう思えば入ることはできるような予定でおる。で、ユニオンズさんは1月の終わりごろに来るよな」

 「そうですね。キャンプ開始は2月1日からだから、それから入れていただければ、って、これは、マネージャーの長崎さんから滝沢さんを通して、ぼくが言付かってきたのよ。あ、もちろん、入浴代は人数分、それに洗髪料込で払わせていただくって。おじさんのかねての話では、一般の銭湯より安く設定するってことだけど、ユニオンズさんは、東京都基準での費用で計算して人数分を毎日お支払いしますとおっしゃっている。滝沢旅館さんも、その間、風呂を沸かさなくていいから助かる、ってね。せっかくなので、いくらかでも寄付を兼ねて、色をつけてお支払いしてもいいとのことさ」


 よつ葉園では昨年末以来、地域住民の福利厚生を兼ねた銭湯機能付の園児用の浴場を建設していた。当時はまだ鉄筋の園舎ではなく、すべてが戦前の創立以来の木造園舎であったのだが、さすがに手狭になってきたこともあり、風呂場を改築して、それをさらに近隣住民の憩いの場とでもできればよいかという案も出ており、そのための組織づくりも行われていた。ただただ、園児や職員のためだけの風呂では意味がない。せっかくなら、その風呂を地域の人たちなどにも開放することでいくばくかの入浴料をいただき、それをもとに運営費の足しになれば、という思いから、そういう構想が出てきていた。そんな折に、願ってもない話が舞い込んできたということで、森川園長は、大いに喜んだ。


 「そうか、哲郎。それなら、キャンプの日から毎日、川崎ユニオンズさんが引上げられるまでは、練習日や試合の日は、早めに風呂を開けることとしよう。その間、地域の皆さんに来てもらってもいいし、まあ、このくすんだ建物群の中に白亜の館、ご覧の通りの目立つ建物じゃから、物珍しさで皆さん来てくれよう。それに加えて、職業野球の皆さんに来ていただけて、寄付がてらに入浴料をいただけるとなれば、それはありがたいな」

 「うん、確かにね。そうそう、このアイデアを出したのは、あの西沢茂君だよ」

 「おお、西沢君が、な・・・」

 「はい。長崎さんを通してよつ葉園さんの銭湯の話を聞いたものだから、せっかくなので、旅館に帰る前に風呂に入ってから帰ったらいいのではないか、って、アイデアを出したのよ。そうすれば、ベテランの人らは荷物をタクシーで旅館に持って帰ってもらう間にも、すぐに飲みに行けるし、若い選手も帰ってすぐ飯を食えるし、遊びにも行けるし、旅館さんも風呂をあまり沸かさないですむから燃料代や水代と人件費も助かるし、手間も省ける。タクシーも、汗と泥にまみれた格好で選手が乗るよりは、きれいな格好で乗って帰ってくれたほうが掃除の手間もかからないから助かる。それに、よつ葉園さんも幾分寄付がてらにお金が入って、建設費の償還や運営費の足しにもなるって、彼が、長崎さんに進言したのよ。長崎さん、それは素晴らしいアイデアだとおっしゃって、滝沢さんを通してぼくに、森川園長と交渉してきてくれって言われた次第です」


 森川園長は、昨年、嘱託医の息子である大宮青年を通して、プロ1年目の西沢茂選手を紹介されていた。大宮青年のように国立大学に行けるほどの学力はなかったと、西沢青年本人は言う。現に彼は、野球がしたくて神戸の私立商業高校にいったほどである。ただ、実家が洋菓子屋であることもあって、商売を将来大きくしていくためにということで専門科目などの勉強だけは怠っていなかった。そんなこともあって、彼はよつ葉園が銭湯を新築することを大宮青年からの手紙で聞き出したのを機に、こんなアイデアを出してマネージャーの長崎氏に提案したのである。


 「そうか・・・。それなら、少しばかり早めに先行開業しよう。ユニオンズさんが来られたら、とにかく練習のある日は早めでも入りに来てもらえるように、うちも準備する。せっかくできる『ゼニのとれる風呂』じゃからな。しっかり活用せねばなるまい」


 「ありがとうございます。来週には、マネージャーの長崎さんが岡山入りされるので、まずはよつ葉園さんに伺うというご意向です。西沢君も、同行されるって」

 「もちろん、歓迎じゃ」

 「わかりました。早速その件、滝沢旅館さんに伝言します」

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