第3話 ゼニのとれる風呂 2

 翌週、先陣を切って何人かの選手がやってきた。その中には、マネージャーの長崎弘氏の姿もあった。彼は西沢選手に背広を着させ、合流した大宮青年とともに、3人でタクシーに乗ってよつ葉園に向かった。

 日曜日にもかかわらず、よつ葉園には森川園長が背広を着て来園していた。

 

 「森川先生、ご無沙汰いたしております。川崎球団マネージャーの長崎弘です。この度は、選手の西沢を連れまして、まずはご挨拶に伺わせていただきました」

 「おお、長崎さん、お元気そうで何よりじゃ。西沢君も、プロ2年目か、去年は新人にしては、まあまあ頑張れたようじゃが。岡山での試合がなかったから、いつも新聞とたまに聴くラジオでしか、ユニオンズさんの試合の状況は把握しとらんが、相も変わらず厳しい戦いが続いておったようですな」

 「ええ。その点につきましては、正直、応援していただいている皆さんのご期待に添えていなくて、大変申し訳ない限りでありまして・・・」


 長崎氏は、苦しそうに弁明する。西沢青年も神妙に頭を垂れている。

 それもそのはず、昨年の最終戦では、勝率3割5分を下った球団に対する「罰金」を逃れるための半分八百長のような試合をしでかして、それで何とか勝って難を逃れたのはいいが、世間から呆れ果てられた。ちなみにこの罰金制度、この年のシーズンを境に廃止された。


 「まあ皆さん、お掛けなさい。哲郎は、わしの横に来てくれるか」

 来園者らを応接室のソファに腰掛けさせた森川園長は、自分もソファに腰掛けた。

 キャンプ期間中の風呂の話は、すんなりとまとまった。だが問題は、ユニオンズが今年無事に開幕を迎えられるかどうかがまだはっきりとわからないことだった。


 「ここだけの話ですけど、うちの球団、実は、今年開幕を迎えられるかどうか、今、リーグでいろいろと話が持たれていまして・・・。川崎は、あともう1年でもいいからやらせてほしいと伝えてはおるのですが、どうも、難しい空気が流れております・・・」

 長崎マネージャーは同郷の大先輩である川崎龍次郎氏に引立てられ、早稲田大学の政治経済学部を卒業後、秘書として川崎龍次郎事務所で働いていたのだが、球団を持つということになり、後学のためにということでマネージャーとして球団に「出向」していた。

 一方の西沢青年は、高2の年にユニオンズのテストに仮合格、卒業を待って昨年入団するも、投手からすぐ打者に転向させられ、1軍に帯同するも内野の守備固めや代打などでそれなりに出番があった。もっともそれは、慶応を出てスター選手として入ってきた佐々本信二選手と違い、戦力としてよりも「人手不足」=「員数揃え」という側面の強いものだった。本人は2年目を迎え、さらなる飛躍をと意気込んでいたが、正月に神戸の実家では父親より「引退勧告」を受けた。もし球団が解散しなければもう1年できるが、解散となれば、即時引退となる。その場合、球団解散後の後始末、要は、経理関係の後始末をする事務員として解散後1年間ユニオンズに在籍するように言われていた。


 「そういうわけで、西沢には、すでに引導を渡しております。本音としては、もう1年勝負したいと申してはおりますが、彼の父親は、もういい加減にして本業に戻れと言っておりますし、私も、そこはまったく同感でして、その代わり、彼との契約にある通り、引退後はフロントの仕事をしてもらうことにしております。私と川崎の見立てではありますが、彼には商才は十二分にあります。しかも、この1年間、選手として過ごす中でも、遠征先や地元で会った人にきちんと挨拶も重ねてきましたし、いい経験ができています。今回のよつ葉園さんの風呂の件も、彼の発案でしてね、いやあ、彼には、うちの佐々本君とは少し別の意味で、野球をさせておくのはもったいない人材だと、思っております」

 「園長先生、大宮君にはすでに話しておりますが、今年の冬、長崎さんと父からさんざんに言われまして、でもまあ、仕方ないです。これ以上続けても、どこかの球団でレギュラーを張れるほどうまくなれるかと言われると、確かに、難しいのはよくわかります。私自身はユニオンズだから何とか1軍に帯同できて、しかも試合にも出していただけましたけど、他球団なら、2軍でも試合に出られないところも多々あろうと。それどころか、父はタイガースのファンですから、おまえごときが吉田義男や三宅秀史ほどの守備ができるようになれるとは到底思えんと切り出されまして、さらには、打つほうだって彼らほどにもなれまいと。今や名手の誉れ高き吉田さんや三宅さんに勝てるなんて、いくら私が商業高校の落ちこぼれ野球馬鹿だと言っても、それくらいわかります。でも、あんまりな言い方だなと思っておりましたら、さらにやられました。ユニオンズでさえ即刻投手失格のおまえが、とりあえず打者になって代打要員に名を連ねられるようなところじゃないぞ、タイガースもそうだがジャイアンツやホークス、ライオンズにオリオンズあたりでも、まったく同じだぞって話になりました。今年入団の鎌田実君まで引合いに出されて、鎌田と勝負したら、まあ、守備なら1日でアウト、バッティングでじゃあ飛び抜けて引離せるかと言ったら、まあ、そこまでして出してやれるほどの選手でもあるまいと、もう、散々でした。ある意味、タイガースなんて行かなくてよかったと思っていますよ、正直」


 「ほう、そうかね。ところで西沢君は、タイガースファンなのか?」

 森川園長の質問に、西沢青年は、はっきりと答えた。彼は後に「トラキチのケーキ屋社長」として有名になったほどだが、タイガース球団で仕事をしたわけではない。その点は後に「トラキチおじさん」として有名になった慶応出身で元西鉄ライオンズの花井優選手と同じようなところがある。しかも西沢青年、関西育ちのタイガースファンであった。

 「ええ。ですが、甲子園で試合前の練習を見ていて、とてもじゃないが、ここで選手になれる自信はないです。仕事として、そこで選手ができるかと言われれば、まず、無理です。ファンの人たちも、かなり厳しいですからね、あそこは・・・」

 「そうかな。しかし君は、商売もそうだが、政治の道なんかに進んでもよさそうだな。長崎さんは川崎先生の後継でいずれ選挙に出られるらしいが、何なら君も、それを機会に政治も学んでおいたほうがいいかもしれん。西沢君の実家はなかなか堅実な商売をされておいでじゃが、商売のええところばかりじゃなく、辛いところ、例えば、倒産や会社をたたむときとか、逆に、立上げていくときとか、そういうところも、学ぶとよろしい。ユニオンズさんにお世話になって、野球ができてうれしいだけじゃなく、だな、そういうことも、しっかり学べるようで何よりじゃ。辞めてすぐ実家に戻るより、まずは、長崎さんのもとでしっかりと社会勉強をしたほうが、わしは、ええと思うがなぁ・・・」


 長崎氏は、次回の衆議院議員総選挙で川崎龍次郎氏の後継として出馬することが内定している。彼は、西沢青年に政治の世界の周辺をしっかり学ばせる意図を持っていた。

 「ええ、園長先生、もちろん、西沢君には政治の世界も学ばせます。御尊父が現職の市議会議員、御爺様が県議会議員もされた方ですけれど、勝手知った地元ではなく、彼とは全く縁のない場所で、まずは一から学ぶことも肝要かと思っております。その点私は、愛媛県の出でして、川崎の選挙区も愛媛ですから、まったく彼には縁のない場所です。一度修学旅行で来たことがあるとのことですが、その程度なら、知らぬも同然。そんな中で、一から人とのつながりを作っていくことを、いずれは学ばせねばと思っておりまして、実はそれについても契約書の別条項で覚書を作っております。まあ、御尊父の意向では、とにかく高校を出て4年間は、大学に行ったと思って、しっかり社会勉強をさせることを求めておられて、私どももそれは責任を持つということで確約いたしておりますから」


 「ほう、それはますます重畳(ちょうじょう)な話ですな。それにしても長崎さん、あんたは、30歳を前にして、すでに大物の芽が出ておるなぁ・・・」


 森川園長は、ダブルの背広にダブルカフスのシャツ、それにカフスボタンを袖に通している蝶ネクタイ姿の若き書生上がりの政治家の卵の才覚に大いに感心していた。

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