王都

王都-001 朝靄の中、黒塗りの馬車が行く

 朝靄の中、黒塗りの馬車が駆け抜けていく。


 くぐもった音が、石の都にこだまする。大陸の西の端にある、ワイルラー王国の都の一角。大陸一と謳われる、その王国は、西岸に海運の要所を持ち、大陸にな広大な穀倉地帯を抱えた国で、古い歴史に彩られた、豊な国だった。その大国の、石の都の一角を、わだちの音を響かせて、特徴のない馬車が疾走する。


 遠くから戻って来たのか、朝の開門とともに、東の街門をくぐり、柱廊の目立つ倉庫街を走り抜けた。


 人の集まる、朝の気配が広がり出した市場では、荷車にかぶせた幌を引きはがす人々が、驚いたように顔をあげ、疾走する馬車に目を止める。馬車の窓はビロードのカーテンが引かれ、御者はマントで体をくるみ、どこの馬車かも誰の馬車かも分からない。黒塗りで何の紋章も付いていない。しかし、金のふち飾りに、精巧な馬具、美しい毛並みの馬を見れば、どこの馬車かは想像できる。


 駆け抜ける馬車を見て、荷車の幌を上げた女達は、慌てて下を向いて何も見ていないと言う顔を造った。音と気配に驚いた飼い犬が、しっぽを挟んで荷車の下に逃げ込むと、慌ててしゃがんで真似をした。


 馬車の中は、綿の詰まった壁と天井に音が吸い込まれ、振動はスプリングのソファーで吸収されて、いたって静かだ。鉄の響きはガラスとカーテンで遮られ、中は明かりも届かない。


 薄暗いランプの灯る馬車の中では、白い面の整った顔立ちの男が、身じろぎ一つせず背筋を伸ばして座っていた。ほっそりとした高貴な顔は、切れ長な瞳と薄い唇のせいで酷薄そうにも見えた。生まれてから一度も笑ったことがないのではないかと言うような顔だ。唇は赤いが、頬には赤みが無く、額に落ちた黒い髪が顔を一層白く見せる。人のような気配がない。


「そうしていると、ほんに人には見えませぬな」


 ほほほと笑いがこぼれた。見ると男の正面には、深く頭巾をかぶった女が腰かけていた。マントの中から扇子を軽く振ってみせる。こちらは肘の上までの白い手袋をはめた、四十前後の女だった。僅かにゆるんだ白い顎。ふっくらした赤い唇と柔らかな頬を見れば、かつての美しさを彷彿とさせる女だ。


 しかし、美しさよりも頭巾から覗く金色の眼差しが、人の目をくぎ付けにする。その目は、人々のやる気をくじき、反骨心をねじ伏せるような高慢さで、危険な空気を醸し出す。しかし、その高慢さゆえに目が離せない。男は視線をあげて女の金の目を見つめた。なんの表情も浮かばない黒い瞳は、女にとっては珍しいものだったようだ。


「何かえ? やめて村へ帰ると言いたいのかえ? わららの資金で村の病は癒えたもの。もう、わらわにつきおうてやる必要などないとでも言いたいのかえ?」

「饒舌でございますな」


男は女以上に居丈高な口調で答えた。女は舌打ちをしたようだった。つい、自分からしゃべらされたと感じたらしい。男は口元だけに笑みを浮かべ、こびるように会釈をしてみせ、


「あなたさまの資金がなければ、村の者達は、病を呼んだ山の仕事に戻らなければなりませぬ。どうぞ、気を変えたりなさいませぬよう、お願申し上げます」


と。それは、まったく媚に見えず、浮かべた笑みは男に華やかな雰囲気を与えただけだ。しかも、黒い瞳には、温かさの気配もない。心の闇がそのまま映しだされているような暗い裂け目だ。女は、ぞっとして、背のクッションの壁に思わず自分の身を張り付けた。その人間味のない酷薄そうな雰囲気に飲まれた自分に舌打ちをする。しかし、それがいいとでも言うように軽くうなずく。機嫌を換えて話しだす。


「そうよ。わらわのお陰である。よもや忘れるでないぞ。おまえは、これからは、人ではないものになる。古の龍じゃ。人のふりをしている龍である。もしも、それを怠るのであれば、わらわの援助もそれまでと思え」

「重々承知しております」


男は笑みを消し、会釈もやめて言葉を返した。まるで、人形が答えたような雰囲気を与えたのだが、先ほどの得体の知れない雰囲気よりもましだった。女の口から、ほっとしたため息がこぼれた。

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