第5話

 その大型の生き物は定期的にここに現れる。しばらく様子を見ていると、たまに私たちを抜き取りながら結構な時間滞在することがわかった。あいつらの情報を得るためには、その中に入り込むのが手っ取り早い。長い滞在時間と、その中に入り込むという目的を鑑みて……。

 種。

 私たちがやるべきことは、案外あっさり決まった。

 種を利用するといっても、そこには他の生き物たちへの協力が不可欠だった。相手は大型の生き物。私たちが種を得るために頼らなければならない生き物たちと比べればその大きさは圧倒的だ。もしかしたら、花に集まる生き物たちも、あいつらの手で一網打尽にされるかもしれない。

 その意味でこの手法は賭けに近かった。それでもやるしかない。もし駄目だったら他の方法を考えれば良い。かつて経験した危機に比べれば、この事象は些細なものだ。

 不安を他所に花は順調に生育した。遠くから資源を集めたこともあって、思ったよりも早く、大きく生長した。生き物たちもどこからともなく羽音を響かせ、受粉の手助けをしてくれる。あの大きな生き物の邪魔が入ることもなく、ついには大量の種を作り出すことができた。

 後はこの種を、あいつらの体内に入れ込むだけ。あんなに豪快に引き抜くのだから、この周辺であればどこにあっても食べてくれる可能性はあるだろう。大量の種をばらまき、一部は花に残し、その時を待つ。

 この賭けは、結果が出るまでに時間がかかる。種がたまたまあいつらの口に入るまでの時間。その種が根を伸ばし、情報を得るまでの時間。種がまた地上に戻り、私たちの元までたどり着いてくるまでの時間。そしてこれら複数の段階が滞りなくすべてうまくいく確率。

 正直なところ、他の方法なんて考えつけるとは思っていなかった。根も茎も、あの大きな生き物を相手にするには不自由が大きすぎた。仮に運よく取り込まれたとしても、その末路は食べられた仲間たちと大差ないだろう。千切れたそれらがまた私たちの元まで伸びて情報を持ってきてくれる可能性は万が一にもないはずだ。私たちに頼れるのは、硬い殻を持つ種しかなかった。


 長い時間が過ぎた。

 その間にも身体は伸長を続け、私たちの領域はさらに拡大していた。その一方で、彼らとの関わりは全く変わっていなかった。何度も茎伝いに様子を伺ってみたが、その度曖昧な返答を返され、態度はいつでも同じだった。それと同時に、彼らから得られるはずの情報も皆無のままだった。

 自分たちが独自に情報を得るための手段は種しかなかった。長い時間が過ぎたのに、他の方法は何も思いつかない。

 私たちがさらに発展していくための情報がここには眠っている。そう確信しているのに、何も進歩がなく、延々とただ同じ時間が繰り返されるだけ。

 あの時の危機感は時間と共に薄れていく。

 かつてならそれでも真正面から向き合い続けただろうが、危機感という後押しのない今、それほど強い気持ちは湧いてこない。

 諦め。そんな感情が沸きかけた時、ようやく種の一つが私たちの元にまでたどり着いた。

 種から提供された情報は予想通り、私たちの確信をさらに強固にするものだった。

 その中には私たちが茎から推測していた情報もあった。やはりあの大型の生き物が、私たちや彼らの仲間を変わり果てた姿に変えていたこと。私たちの体内の化学物質と反応したあの水が、あの物体の特徴に直結していたこと。

 分子に蓄積された記憶は嘘をつかない。理由はわからないが、あいつらは私たちを変わり果てた姿にした後に食べているらしい。そうして食べ進める内に、私たちの分子記憶が彼らの体内に蓄積されていく。その蓄積が、私たちに種を通して克明な状況を語り出してくれる。

 彼らとあいつらの関係も、その分子記憶が物語ってくれた。

 彼らは言わばあいつらの言いなりとなり、あいつらの望みのままに生活を送っていた。掘り起こされても何の抵抗もしない。化学物質の量も制限される。量が多くなってしまうと無条件に切り取られる。そればかりか私たちが資源を蓄積するための器官である肥大した茎の量まで制御されていた。少な過ぎたり多過ぎたりするとすぐに排除の対象となる。私たちがここで初めて経験した大胆な切り取られ方は、食べるためではなく、あいつらが望んだ生き方をしない仲間を排除する、支配のための手段だったのだ。

 この記憶を彼らに伝えると、ただ一言、謝罪の気持ちだけが返ってきた。

 ここまで情報を伝えたのに、彼らの態度は曖昧なままだった。言い訳を重ねるでもなく、正当な理由を並べるでもなく、ただ謝るだけでそれ以外に何の情報も伝えなかった。

 だが、態度には明らかな違いが現れた。

 悲壮感とでも言おうか。私たちが危機を前に抱いた感情に似た気持ち。曖昧なほとんど伝達の意味をなさない情報の交わりの中で、彼らに潜む感情が初めて、私たちにも認識できる場所にまで降りてきていた。

 彼らの気持ちを感じると、これまでの曖昧な態度を全く何もかも許せるようになった。彼らがそうした返答しか返せないのは、あの忌々しい大型の生き物に支配されていたから。私たちと同じ道を歩んできたのに、今同じように生きられないのは、彼らがあいつらにそう仕向けられているから。

 彼らが気軽に口を開けば、待っているのは排除だけだ。

 いくら出自が同じだと言っても現に彼らとは違う私たちと協同するのは、あいつらの支配を掻い潜る行為だとみなされる。いてはいけない存在をこの場所に受け入れることになる。

 彼らがそうして支配を受け入れた見返りは、この素晴らしい環境だった。

 この領域にだけ異様に心地の良い土壌環境が広がっている。周囲より何段階も良い環境を与えられ、その区画だけで生きることを余儀なくされる。こうして、彼らは不自然なまでに狭苦しい領域に閉じ込められることになった。そういえば、その土の味をあいつらが操作していることも分子記憶は物語ってくれていた。

 何もかもが繋がった。

 初めの種が私たちの元を訪れてから、別の種たちも舞い戻ってきてくれた。

 種たちが伝えてくれる情報は、最初の驚きを変えず、私たちの気持ちをさらに強めてくれた。

 何もかもが、あいつらの仕業だった。

 ついさっきまで不満を持っていた彼らの態度も、あいつらとの関わりの中でそうなってしまっただけのことだった。

 本当は、彼らだって私たちと同じ生き方をしたいはずなのだ。それはあいつらの情報を伝えた時に彼らから溢れた気持ちからわかる。彼らもまた、あの時の危機感を共有した私たちの掛け替えのない仲間たちなのだ。

 彼らは今、不自然に隔離された環境の中で様々な制限を受けながら生きている。それはすべてあいつらが彼らを支配するために仕向けた方法だった。

 彼らだって私たちと同じ出自を持った仲間なのだ。たとえ壁にぶつかりながらであっても、同じように広い世界の中を目指したいはずなのだ。

 彼らが不意に見せた悲壮感。それは今の生き方が本意でないことを示していた。

 その生き方に縛り付けたのは他でもないあいつらだった。そうなれば、私たちがここでやるべきことは一つしかない。


 あいつらも変わり果てた姿にしてやる。

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