200話 戦士と魔物に堕ちた元親友


 漆黒の蛇の頭部に生えた人型。

 そいつはセインの顔で俺の名を呼ぶ。


「どぉおおる、ごろず」

「セイン、なのか?」


 虚ろな顔でだらだら口から涎をたらす。

 本人であるかは不明であるが、もしそうだとしてもとても正気とは思えない。


 先ほどから発する言葉も夢うつつのようで、はっきりとした意識を感じさせない。


「なんなのこいつ。どうしてあいつがあんなところにいるのよ」

「これではまるで人ではなく魔物……」


 俺達は攻撃の機を逃していた。


 目の前の現実をどう受け止めれば良いのか戸惑っていたのもある。セインが異形の姿で現れたんだ。混乱して当たり前じゃないか。


「どぉおおる、とーる、トール?」

「意識が――」


 セインの目が俺をはっきり捉えた。


「頼む。僕を殺してくれ。僕はこいつを便利な道具だとばかり思っていたが、違ったんだ。日に日に僕の意識を犯し取り込もうとしている。ああ、ああああああ!」

「セイン!?」

「リサ、リサリサリサ、なんてものを僕に与えたんだ。これじゃあ僕が僕でなくなる。僕の意識が侵食される、邪悪な何かに意識が犯されつづける。いやだ、こんなはずじゃなかった。こんなのが僕の復讐であるはずがない。僕がトールを殺す前に、僕をころして、おでがいごろじでぇぇぇえ!!」


 セインの身体が脱力し、再び正気を失った顔となる。


「どぉおおおる!」


 大蛇の背部から無数の触手が生え、俺に向かって殺到する。


 高く跳躍して躱す。

 先ほどまでいた場所に触手が突き刺さっていた。


「セィイイイインン!」

「どぉおおおるうううううううう!!」


 二十を超す触手が落下中の俺へ向けられた。

 身体をひねって躱しつつ斬る。


 このまま一刀両断にする。


「うそだろ、おい」


 先ほどまでの細い触手とは違い、今度は幅だけで三メートルは軽くある極太の触手が胴体から伸びる。それが十本。見た目とは裏腹に動きは速い。向かってきた四本を反射的に細切れにした。


 ――触手は切り口から即座に新しい先端を再生させる。


 咄嗟に大剣を盾に。

 再生した触手に弾き飛ばされ建物の壁を突き破った。


「げほっげほっ、邪竜並の再生力って反則じゃないか」


 土埃の舞う部屋の中で立ち上がる。


「ひぃいいい!?」

「避難できなかったのか」


 壁を突き破った家の中では、幼い男の子がテーブルの下で震えながらうずくまっている。


 近くに両親の姿はない。

 逃げ遅れたか、はぐれてしまったのか。


「もう大丈夫だ。安全なところまで逃がしてやる」

「…………」


 男の子は騎士の人形を握ったままこくりと頷く。

 俺はその子を抱え、後方にいるピオーネの元へと走った。


「どぉおおおるううう! どおおるぅ!」


 俺を見失ったセインが派手に暴れる。


 近くの建物を触手で手当たり次第に破壊。

 傍観していたはずのタキギとナンバラが屋根を駆けながら攻撃を行っていた。


「猛毒試験管じゃんよ!」


 タキギがガラス製の筒を数本投げる。

 筒は大蛇の胴体に当たると同時に砕け、紫色の液体がびしゃりとかかった。


 じゅぅううう。液体が鱗と肉を溶かす。


 ダメージを与えたのはほんの僅かな時間。

 溶けた部分は元通り再生してしまった。


「我が魔力を喰らえ、遺物大斧ヴァルギャリバー」


 ナンバラの抜いた金属の塊が変形し、瞬時に大斧へと変化した。


 彼女の強烈な一撃は大蛇の鱗を砕き肉を切り裂く。だが、それでもダメージは僅かに留まる。再生力もそうだが肉体自体も相当に硬いらしい。


 迷路のような路地を抜けて大通りへと出る。


 避難誘導をしている軍を見つけた。


「トール!」

「逃げ遅れていた子を見つけた」


 ピオーネへ子供を預ける。

 戻ろうとした俺のズボンを子供が握って止めた。


「ありがとう……」

「もう両親とはぐれるなよ」

「うん。お兄ちゃんが神様と聖女様に沢山褒められるように祈ってるね」

「サンキュウ」


 男の子の頭を撫でてやった。


 さて、仲間のもとに戻らないと。

 足を速め一気に戦いの場へと戻る。


「これならどうですか、フラワーブリザード!」


 大蛇の全身が凍り付く。

 薄氷が剥がれ落ち、大蛇は舌を覗かせ健在であることをアピールした。


「ブレイクハンマァァアア!」


 振り下ろされたハンマーは建物と共に大蛇を押しつぶした。

 さらに発生した衝撃波が都を駆け抜ける。


「もっと加減しろ、ここは街だぞ!」

「だって! こいつ強いのよ!」


 ぐちゃぐちゃに潰れたはずの大蛇は、ぐにゃぐにゃ軟体のごとく形を変え、元の形へと完全に再生してしまう。まるでスライムだ。


 大蛇の縦長の瞳孔が俺を捉えた。


「っつ!?」


 大蛇の口から閃光が放たれる。恐らくブレス攻撃。


 不味い、背後には軍と避難民が。

 カエデが前に飛び出し、鉄扇を華麗に扇いだ。


「アイスウォール」


 分厚い氷の壁がやや角度を付けて出現。

 直撃したブレスは軌道を逸らされる。


 さらに彼女は即座に反撃を行った。


「エアバレット」


 空気の弾が敵の肉体をチーズのように穴だらけにする。


 しかし、それでも奴の肉体は瞬時に再生してしまう。


 再生能力なら邪竜と同等もしくはそれ以上、加えてスライムのようなつかみ所の無い不定形さも併せ持つ。

 魔物の厄介な部分を寄せて集めたような奴だ。


「だりない、ぢからがたりない。まだごろぜない。じがんが、ひつよう。ひく、いまはひく」


 大蛇の頭部がきりのような形状に変化し高速回転を始める。


 ずががががが、大蛇は土を勢いよく掘り返しどんどん地面へと潜っていた。


「逃しません! エアロスラッシュ」


 風の刃が胴体を斬る、ぱっくり開いた傷口は瞬時に治癒した。

 カエデの攻撃はほぼ無効化され、大蛇――セインはまんまと逃げおおせる。


 ぽっかりと空いた大穴。


 地面を掘って逃げるなんて。


 あれは本当にセインだったのか。

 人が魔物に堕ちるなんてあるのか?


「申し訳ありません。逃がしてしまいました」

「仕方ないさ。気にするな」

「ねぇ、大丈夫? 顔色が悪いわよ」

「想定外すぎてどう受け止めればいいのか困惑している」


 セインが、憎んでいるはずの俺に殺してくれと懇願したのだ。

 あの姿もそうだ。俺にはなにがなんだか。


「トール、無事かーい!」


 ピオーネが部下を引き連れ合流する。

 彼女なら、事情を知っているかもしれない。


「ピオーネ、お前はアレがセインだと知っていたのか?」

「あれがそう称していることは知ってたさ。正直、今の今まで本物だとは信じてなかったけどね。トール達にボクが集めた情報を教えるよ」

「頼む」


 タキギとナンバラが合流する。

 二人は興奮した様子で俺に迫った。


「団長の実力拝見させてもらった。ナンバラ感動」

「あー、うん。感動?」

「あれ喰らってピンピンしてるとか、トール団長レベルいくつじゃん。他の二人もめちゃくちゃ強ぇし、護衛してたつもりの自分が恥ずかしいじゃんよ」

「悪い。言い出すタイミングを逃してさ」


 どうやら先ほどの戦いで、評価がぐんと上がったらしい。

 カエデやフラウはともかく、俺は大したことなんてしてないのだが。せいぜい触手を細切れにしたくらいだ。


 褒められて悪い気はしないけどさ。


「我々はこれから行方不明者の救出を手伝うつもりだ。行くぞ万年ねぼすけ男」

「へいへい。てか、毎日起こしてんのオイラじゃんか」

「ひぐっ、そんなことないもん」

「泣くなって。その打たれ弱さでどうやって生きてきたじゃん」


 ピオーネは二人の申し出に感激する。

 俺達も手伝うことを伝え、日が暮れるまで休まず働き続けた。



 ◇



 ドスン。テーブルに置かれた書類の山。


 ソファに座る俺は『こんなにあんの?』とピオーネを見上げる。

 ピオーネは『ボクの苦労が分かったかな』とばかりに疲れた顔で微笑む。


 これら全てセインに関わる事件の詳細を綴ったものである。


 魔物と化したあいつはこの国だけでなく、複数の国家を相手に損害を与えつつ現在も始末されることなく活動を続けている。


「――ああなった原因は記述されていないみたいだな」

「現れた時にはすでに理性を失った魔物だったんだ。目的は現時点では不明だけど、あの感じだとトールと戦うことがそれなのかなって思ってる」


 思い返すのはセインの言葉。


 あのセインが俺に殺してくれと懇願した。

 処刑を経ても反省の色を見せなかったあいつがだ。


 それほどまでに追い詰められているのか。


「討伐はできそうなのか」

「こんなことは言いたくないけど、今の状況じゃ難しいかな。多くの冒険者が討伐に乗り出してるけど、そのほとんどが生きては戻ってきてない。軍も今回の件で余計に動かしづらくなっちゃって、だから、トール達が来てくれたのは僥倖だったんだ」


 目をキラキラさせるピオーネに苦笑する。

 彼女にとって俺は二重の意味で助けに来てくれた人物なのだろう。


「失礼いたします。聖女様より至急王宮へ来るようにとのご命令が」


 入室した騎士が淡々と報告する。

 ピオーネはみるみる顔面蒼白になった。


「トール、今すぐ逃げて! きっとトールがいることがバレたんだ!」

「なんだよ急に。相手は聖女だろ」

「まだ気づいてないの!? 聖女=ソアラなんだよ!」


 え!? 

 聖女ってソアラなのか!??


「今の彼女は以前の彼女とは違うんだ。本当に危険なんだよ」

「猊下をそのように申すとは不敬だぞ。ピオーネ将軍」

「ひ、イザベラ」


 遅れて入室したのはビースト族の女性騎士。

 獣のような鋭い目に、将軍よりも将軍らしい風格を纏っている。


「その者がトールだな? 大恩あるあの方の目を欺こうとは、ピオーネ殿もずいぶんと偉くなったものだな。誰のおかげでその地位にいると思っている」

「ボクは将軍にしてくれって頼んでないから! あの人が勝手に推薦して半ば強引に据えたんじゃないか! だいたい許可もしてないのに、勝手にボクを入信させて!」

「その信仰心なき発言、やはりもう一度『脱衣カード説法』で理解させる必要があるようだな」

「心が折られる!」


 ピオーネが恥ずかしそうに顔を両手で隠しぷるぷるする。


 なんだその脱衣カード説法って。

 すげぇ気になるんだが。

 どちらにしろソアラとは会うつもりでいた。呼んでくれるなら断る理由はない。


「大人しく同行するから、その説法ってのは勘弁してやってくれ」

「トール!?」

「表に馬車を留めてある。準備ができたら来い」


 イザベラはマントを翻し退室した。



 ◇



 俺達は荘厳な建物を揃って見上げる。


 聖女ソアラが魔王に建てさせたという大聖堂である。


 一体どれほどの権力を握ったのだろう。

 とにかくすさまじい発言力があることだけは理解できる。


 広いエントランスを抜け、ソアラがいるだろう部屋へ。


 これまたとんでもなく広い部屋でたった一人ソアラは祈りを捧げていた。


「ソアラ様、お連れいたしました」

「ありがとうございますイザベラ。もう下がっていいですよ」

「では外で待機しております」


 イザベラが退室したと同時にソアラは笑顔で駆けてくる。

 彼女は俺にその大きな胸を強く押しつけた。


「ああ、トール。やっと会えましたね」

「事情はマリアンヌから聞いたよ。大変だったんだな」

「それほどでもありませんよ。全ては神が課された試練。そして、私はこの信仰心が試される厳しい試練に見事打ち勝ったのです。貴方がこうして現れたのは私へのご褒美です」

「あ、うん……相変わらずだな」


 とにかくソアラは変わらずソアラってことだろう。

 彼女は俺の後ろにいるカエデ達に視線を向ける。


「お久しぶりですねカエデさん。それからフラウさんも」

「お元気そうで安心しました」

「ふてぶてしさは全然変わらないみたいね。聖職者ってこう、もうちょっと慎ましい恰好をしてるものでしょ。なんなのそのテカテカした服とか宝石」

「聖女ともなればみすぼらしい恰好はできませんからね。一応、トールの好みに合わせてデザインしていただいたのですが……お気に召しましたでしょうか」


 薄い衣によってソアラのスタイルが浮き出ていた。


 聖女らしく厳かな雰囲気はあるのだが、ところどころ露出をしているせいで扇情的だ。

 非常にけしからん。誘われたらたぶん入信する。


「ご主人様、今のソアラさんは危険です」

「だから言ったんだ。離れてトール」


 カエデとピオーネが俺の腕をそれぞれ掴み引っ張る。


 あ、危険ってそっち? 


「そう言えばパン太さんがいませんね。いつもなら撫でてと真っ先に飛んでくるのですが」

「白パンは念願のパワーアップ中よ」

「そうですか。残念です」


 ソアラは何かを思いついたのか、パンッと手を打ち合わせた。


「せっかくですので陛下にトールを紹介いたしますね。魔王ではありますが、信仰にとてもご理解のある素晴らしい御方です。お二人ともきっとわかり合えると思いますよ」


 不安になってピオーネにそっと尋ねる。

 彼女からは「心が病んでるだけで、基本穏やかな人だから」とだけ。


 それって大丈夫なの?




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