193話 戦士と狐耳奴隷の故郷4
湯から上がると、薄暗い縁側で煙管を吸うタマモのばあさんがいた。
じっと整った庭を見ながら物思いに耽っているようだ。
「風呂はどうだった坊や」
「坊やは止めてくれ。これでも25だ。いや、もう26になるのか?」
「やっぱり坊やじゃないか。あたしにはまだ鼻垂らしたガキにしか見えないよ」
俺はばあさんの横に座る。
「あんた歴史は詳しいかい?」
首を横に振る。
歴史なんか特に。
「遠い遠い昔、この世界では大きな戦争があった。始めたのは龍人さ。多くの兵器と種族が投入されたその戦いは数百年続いた。この地上はどこも地獄と化し屍が溢れた」
「敵は? 龍人は何と戦っていたんだ?」
「同じ龍人さ。よくある思想の対立。子供のするような喧嘩で済めば良かったが、高度な知識と技術を有してたおかげで、とんでもない規模の殴り合いをすることになったのさ」
数百年続いた戦争の前に、数千年続いた戦争があったとばあさんは言った。
龍人だけの戦争が一度終わり、そこから他種族を巻き込んだ戦争が始まったのだ。
気の遠くなるような争いの歴史にうんざりする。
「彼らも学んだ。だから二度目の戦争には龍人はほぼいなかった。遠く離れた場所から指揮を執り、戦うのは天獣や人型兵器や他種族だった」
「……」
「あたしもかり出され、何度も魔王と戦った」
「もしかして古の魔王ってのは」
「大戦の生き残りだね。あの頃にできた子はみんな超寿命が与えられていた。おかげでこの時代まで長生きすることができた」
永い寿命はタマモばあさんやヤツフサのじいさんだけの特徴らしい。
てっきり天獣は全て超長命種だとばかり思っていた。
ふと、ばあさんがなぜこんな話をしたのか気になる。
「戦争ってのは根深い何かを残すものさ。あたしなんかは暴れまくったせいで、今も色々なところから恨みを買ってる。あの頃は血気盛んで若かった。あとのことなんて考えもせず、調子に乗ってたんだ」
「ここを襲った奴は……」
「あたしは満足に生きた。いつ死んでもいい身分だよ。でもね、カエデにはこれからがある。あの子には多くのものを残してやりたい。イチョウに渡すはずだったものを、あの子が受け継ぐんだ」
まるでもうすぐ死んでしまうような物言い。
彼女の考えは読めないが、全てをカエデに託そうとしていることだけははっきりと分かる。
だから諦めろと暗に伝えていることも。
「どうして俺に?」
「あいつは恐らく近いうちにまた来る。そうなればカエデに気持ちを伝える時間もないだろうさ。だからあんたに、あたしの想いを伝えておこうかと思ってね」
ばあさんにムッとした。
立ち上がると、にじみ出る怒りの感情を声に乗せる。
「そんなの自分で言えよ。敵をぶっ倒して、生き残って、自分の口で直接気持ちを伝えろ。カエデは俺からじゃなく、あんたから聞きたいはずだぞ」
「歳を重ねると、面と向かって素直な気持ちを吐くなんてことできなくなるんだよ。ましてやあたしは、母親の代わりにあの子を立派に育てようと厳しく当たってきたんだよ」
「知るか。俺はカエデの味方であって、ばあさんの味方じゃない」
俺はばあさんを置いて部屋へと戻る。
◇
トンカン。トンカン。
金槌の音が響く。
たった数日で建物の大部分ができていた。
本堂と言うらしいが、元々そこに天獣域の入り口である鏡は置かれていたらしい。
襲撃者とばあさんとの戦いで壊れてしまったとか。
「そういや、じいさんの顔を見ないな」
「ヤツフサ様は早朝より、お出かけになっております。なんでも突然魚料理が食べたくなったそうで、ここから最も近い沿岸の街に行くと」
現場の指揮をとるオビが申し訳なさそうにする。
仕事放り出して何してんだよ。
しかも沿岸って、ここからどれほど距離があると思ってんだ。
とは言え、俺もこうしてひなたぼっこをしているので、じいさんを馬鹿にできない。
「いかがですかご主人様」
「すごく気持ちいいよ」
境内にある建物の縁側で膝枕をしてもらっている。
降り注ぐ柔らかい日の光も相まって眠い。
カエデは幸せそうに表情を緩ませる。
「ふふ、今日のご主人様はなんだか猫みたいで可愛いですね」
そっと頭を撫でられる。
たまにはこういうのもいいな。
「あむぅ、おいひい」
「きゅう」
同じく縁側では、フラウが飽きもせず大福を食っている。
パン太も食っているが、見た目がアレなので共食いにしか見えない。
しかし、どうみてもあれだよな。
薄々そんな気はしてたが、今確信したよ。
「太ったよな?」
「!?」
そうだ、フラウは太った。
以前よりも二回りほど大きくなった気がする。
腕も足も、腹なんか大きくなりすぎてヘソが見えてる。
ここ数日は、歩いている姿をよく見かける。
重くて飛べなかったのだろう。
「き、きき、」
「き?」
「気のせいじゃないかなぁ! フラウはちゃんとスリムだよ!」
うーん、そうなのか?
けど肉が付いた気が。
別にいいんだけどな。太ったからって何かあるわけでもないし。
フラウは青ざめた顔でだらだら汗を流す。
「も、もう大福はいいわ……」
「きゅう!?」
「あんた食べなさいよ」
パン太が驚きで目を丸くした。
あのフラウが、あの菓子に卑しいフラウが、パン太にあっさり渡したのだ。
「あらあら、少し見ないうちにずいぶん丸く肥えたわね」
「肥えた!? フラウが!??」
ふらりと現れたタマモが、フラウを見て言い放つ。
やっぱ太ったのか。
目の錯覚じゃなかったんだな。
カエデがぴくんと反応する。
「あの方……」
「どした」
「いえ、見知らぬ来客が」
見慣れない男が階段を上がってきていた。
不敵な笑みを浮かべ、その身には位の高さがひと目で分かる荘厳な防具が。
両手には格闘戦用のガントレットがはめられている。
魔族であろう男が一人。
「きさま!」
「傷は癒えたか、九尾のタマモ」
タマモの毛が逆立ち、びきびきと指に力が込められる。
九本の尻尾がうねって風を起こした。
「ぬわぁぁ!?」
風に煽られ、丸いフラウが地面を転がった。
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