158話 乙女達の受難その5
森の中をひたすら走る。
すでに疲労はピークに達し、僅かな出っ張りに転んでしまう。
「まって~、おいてかないで~」
「止まってイザベラ」
「御意」
イザベラさんがソアラさんの命令で足を止める。
ボクに近づくと、背負われているソアラさんが呆れたような表情で見下ろす。
「貴方それでも魔族ですか。根性がない」
「う~、ソアラさんにだけは言われたくないな」
「少し休憩いたしましょう。すでに奴らの支配圏からは脱しております」
イザベラさんの背中から滑るようにして、ソアラさんが地に足を着けた。
ちかれた~。
ここまでくれば安心か~。
ボクは転がってうつ伏せから仰向けへとなる。
脱出してから満足に休憩もできずここまで来た。
ルドラの配下の眼をくぐり、凶暴な魔物を追い払い、水も食料もほとんどない状態での逃走劇は人生初といえるほどハードだった。しかもまだ継続中。
泣きたい。もう泣いてもいいよね。
早く皆と再会して、お腹いっぱい美味しいものを食べたい。
神様お願いします。
どうかボク達を向こうに帰してください。
「叶えましょう」
「違うよ。ボクが祈った神様は邪神じゃないから」
「私の崇拝する神様を邪神呼ばわりしますか!」
「はっへひゃひんひゃん」
ソアラさんにほっぺをむにぃとつねられる。
痛い。やめてよ。
まともな聖職者はそんなことしないから。
「う゛~、ひどいよ」
「聖職者だから許される行いです。これは愛の鞭」
「愛が付けば何でも許されると思ってそう」
「許されないのですか?」
「許されないよ!」
常時ソアラって人が分からないよ。
初めて会った時は、とても優しそうないい人に思えたのに。
実際はとんでもない暴力聖職者だし。
きっと破戒僧って奴だ、節制とか一切しないし。
でも、不思議と嫌いになれない。
「予定通り私達はイザベラの故郷へと向かいます。そこならひとまず安全に過ごせるのですよね?」
「はい。そこは古の魔王が支配する地です。中に入ればルドラも簡単には手は出せないでしょう。ですが、我が家はとても貧乏で、その、お二人を養えるほどは……」
「その話は後回しにしましょう。今は安全の確保です」
むー、またボク抜きで話が進んでる。
これでも魔族の貴族なんだぞ。
ぷくっと頬を膨らましてみる。
「そろそろ行きましょうか。休息は終わりです」
「また走るの~」
「では置いて行きましょう」
「ま、待って!」
イザベラとソアラさんをボクは慌てて追いかけた。
◇
――数ヶ月後。
がつん、がつん、がつん。
薄暗い穴でツルハシを振り下ろす。
ボクは汗を腕で拭い息を吐いた。
「あれ、なんでまた地面を掘ってるんだろう?」
「疑問を抱いている暇があったら掘りなさい。食い扶持を稼げない者は我が家には不要です」
「すいません」
眼を爛々と輝かせる相棒を見ていると、口応えする気力も失せる。
ボクらがいる場所は、ウルスピナのイエローホークスと呼ばれる街だ。
ここには鉱山がいくつもあり、主に希少石を発掘している。
たまに遺物も出てきたりするけど、そっちはあまり注目されていないようで、鉱道の隅にガラクタのように捨てられているのをよく目撃する。
「そろそろ休憩にいたしましょうか」
「いつもありがとうイザベラさん」
水筒と籠を抱えたイザベラさんが現れる。
喉がカラカラだったボクは、水筒を受け取り喉を潤す。
「さ、ソアラ様もお水を」
「まだです。あと少し、何かが出てきそう。神が掘れとお命じになっているのです」
ソアラさんは休むことなくツルハシを壁へと突き立てる。
すさまじい執念。恐るべき金の亡者。
不気味な笑みを浮かべながら、ツルハシを振るう姿は鬼気迫るものを感じる。
「出た!」
岩壁からころんと何かが転がり出た。
それは長方形の箱。
表面は木材のように薄茶色で木目があるけど、触ってみると金属のように冷たく、叩いてみても木材とは明らかに異なった固い音がした。
「遺物ですか。ピオーネにあげますよ」
「いいの? すっごいお宝かもしれないよ?」
「遺物には興味はありません。遺物とは神の威光をかき消してしまうような恐るべき品々。そのような物に聖職者である私が、心を奪われるなどあってはなりません」
「お金には奪われてもいいんだ」
「お黙りなさい」
むにゅうと頬をつねられる。
「前々から感じていましたが、貴方のほっぺはもちもちしていて気持ちいいですね」
「ふへふほはへへ」
「何を言っているのか分かりません」
痛い。辛い。
ところでイザベラさん、どうして羨ましそうに見てるの?
「あむっ、今日もサンドイッチおいしいね!」
「イザベラ、貴方も食べなさい」
「恐縮です。それでは一つだけ、もぐもぐ」
トロッコが並ぶ鉱道の入り口付近で、ボクらは並んで昼食をとる。
他の宝石ハンターも食事の時間らしく、周囲には沢山の人が敷物を広げて和気あいあいとしていた。
やってることは変わらないけど、以前よりも遙かに安全で満ち足りた生活を送っている。
イエローホークスはイザベラさんの故郷だ。
この街に着いた当初は、本当にお金がなくてイザベラさんの実家で、肩身の狭い思いをしながらなんとか生活を送っていた。
宝石ハンターになったのはソアラさんの提案。
私達も生活費を稼ぐべきだと立ち上がり、それから今の仕事を見つけてきて、死に物狂いで壁を掘れと脅され、そして現在に至る。
結果だけを言えば、ソアラさんの判断は全て正解だった。
納得はいかないけど。
「これ、どうすれば開けられるんだろ」
「まだ頑張っていたのですね。どうせガラクタしか入っていませんよ」
「そんなの分からないよ。もしかしたらすっごくいい物が入ってるかもしれないでしょ。ねぇイザベラさん、ここで希少な遺物とか出たことあるかな」
「かなり昔にそう言うこともあったと聞いてはいるが。ソアラ様のおっしゃる通り、あまり期待はされない方がいいかと」
う゛~、どうせボクの勘はあてになりませんよーだ。
いいもんいいもん、とんでもない物が入ってても二人には見せてあげないんだから。
それはそうと、どうやって開ければ良いのかな。
「街にグランドシーフがいるのですが、その方に頼んでみましょうか。特殊キーと呼ばれるスキルを有しておりまして、大抵の鍵は解くことができるそうですよ」
イザベラさんの勧めで、ボクらはその人に会いに行くことにする。
◇
爪楊枝を咥えたドワーフの老人が、器具でカチャカチャ箱の穴をいじる。
その様子をボクらはじっと見守っていた。
「どうですか?」
「待ってな、もう少しで開きそうだ」
がちん。箱から解錠の音がする。
「土が詰まってて開くか不安だったが、なんとかなったみたいだ。ほれ、中を確認してみな」
箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開ける。
やっぱり中が気になるのか、ソアラさんとイザベラさんものぞき込んでいた。
箱の中には、ピンク色の液体が入った小瓶があった。
「何これ? 液体が入ってる?」
「イザベラ、鑑定のスクロールを」
「かしこまりました」
イザベラさんが鑑定で小瓶を調べる。
ボクとソアラさんは、結果を喉を鳴らして待った。
「古代の秘薬とあります、そんな、まさか」
「どうしたの!? すごい薬なの!?」
「教えなさい! 早く! 神のご加護がありますよ!」
「ちょ、しがみつかないでください! ちゃんと申し上げますから!」
彼女は深呼吸をしてから薬の正体を伝える。
「これは惚れ薬です。それも死ぬまで効果が続く、古代の錬金術師が作成した秘薬中の秘薬とあります」
「「惚れ薬!?」」
ボクの脳裏にトールがよぎる。
アレを使えば、トールとラブラブになれる。毎日ぎゅってされたり、手を繋いだり、二度寝したボクを優しく起こしてくれたり。彼のお手製の朝食とか。
「寄越しなさい!」
「いやだ」
「それは私が掘り出した物ですよ」
「でもボクにくれたよね」
ボクとソアラさんは小瓶を取り合う。
これでトールに沢山愛されるんだ。ラブラブするんだ。
お手製の朝食とか食べたい。
もみ合っている内に手が滑って小瓶が床に落ちる。
がしゃん。
小瓶は砕け、中の惚れ薬は床に吸い取られてしまった。
残ったのは容器の破片とシミだけ。
「あああああ! ボクの惚れ薬が!」
「違います。私の惚れ薬です」
「少しは抵抗感とかないの。ソアラさん、洗脳とかされてたんでしょ」
「他人がするのはダメですが、私は神に許されているのでなにも問題はないのです」
「こわっ、この人こわっ」
「お二人とも……はぁ」
イザベラさんが大きな溜め息を吐いた。
「お帰りなさいませ」
「うん、ただいま。今日も疲れたよ」
「あまり収穫はありませんでしたね。たったの一千万と少しなんて」
「お荷物をお預かりいたします」
屋敷に戻れば執事が挨拶してくれる。
彼はボクらから荷物を預かり、再び恭しく頭を垂れた。
長い廊下を歩けば何度もメイドとすれ違う。
ここはイエローホークスの貴族街にある、ボクらの屋敷だ。
ボクとソアラさんは、シャワールームで軽く汗を流し、イザベラさんにドレスを着せてもらう。
ダイニングにある席に腰を下ろせば、豪華な食事が運ばれる。
ボクらは――富豪になっていた。
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