外伝:ムゲン
「おじいちゃん、またいつもの話して」
「しょうがないな」
わしは椅子に腰を下ろし、ベッドで横になる幼いピオーネに微笑む。
毎夜毎夜語り聞かせるわしの物語。
この魔族の英雄ムゲンの勇者との戦いの歴史。
◇
今より二百年以上前、わしは魔王ニューズ様と共にあった。
ニューズ様は若く賢い御方だった。
決して種族で差別したりなどせず、どのような者も実力さえあれば役職を与えた。
ただ、思想は、あまり褒められたものではなかったが。
ニューズ様はヒューマンやエルフと、手を取り合えるのではないかと考えていたのだ。
彼を心の底から尊敬していたが、若さ故かその考えだけには賛同できなかった。
ヒューマン共は嫌悪すべき醜悪な生き物だ。
弱く、ずる賢く弁が立ち、魔族以上に欲深い。
確かに我ら魔族は争いを好む攻撃的な種族だ。それは否定できない。
だが、己に正直であろうとする美徳がある。
反対にヒューマンは常になんらかの嘘をつく。
正しさなんてあってないようなものだ。正義など一番笑える冗談だ。正々堂々なんて信じれば、必ず背後から刺され死ぬ。
ヒューマンに世界を任せることはできない。それが魔族の総意。
「魔族にも色々な性格の者がいるじゃないか。ヒューマンなどとひとくくりにして見るのは好ましいとは思えないな」
「しかし、ニューズ様、奴らは飽きもせず勇者を送り込もうとしております。貴方様がどんなに話し合いの場を設けようとしても、奴らは機会すら与えない。魔王は悪と端から決めつけております」
「確かに魔王のジョブを発現する者は強欲だ。けど、人によって求める欲は違う。認識だって違う。悲しいね」
ニューズ様は平和への欲が強い。
魔族としては決して褒められることではないが、わしは彼のそんな変わっている所が好きだった。
思想は別として。
そして、わしは彼に見いだされた一人だった。
わしは弱い魔族だった。
力の使い方を知らず、馬鹿で、愚かで、強者にこびへつらうしかできなかった男。
そんなわしに知識に技術に仕事を与え、戦士としての矜恃を与えてくれた。
彼ほど信頼できる主はいない。
この時のわしは、配下としての喜びに満ちあふれていた。
「陛下、どうかここはわしに!」
「下がれ」
「しかし!」
「くどい」
剣を握る勇者を前に、陛下は武器も抜かず相対する。
わしはこの時ほど悔やんだことはない。
あの勇者を殺さず生かしたのはわしだったのだ。
勇者はまだあどけない少年だった。
奴に勝ったわしは、その容姿に油断して見逃してしまったのだ。
愚か。なんと愚か。
幼くともそれは魔王を倒す刃なのだ。
正確な射手が放った毒矢なのだ。
「勇者よ、きちんと話し合おう。余は平和を其方らと築き――ごぶっ」
「死ね魔王! 悪は滅ぼす!」
「へいかぁぁあああああ!」
勇者は武器を持たぬ陛下を一突きにした。
抜剣したわしは勇者に斬りかかるが、奴は素早く後方へと跳躍し、仲間を連れて逃げて行く。
よくも、よくも陛下を。
ヒューマンめ。許さん許さんぞ。
わしは陛下の御身を抱きかかえた。
血が止まらない。押さえても傷口から噴き出す。
誰か回復薬を。
早くしないと陛下が死んでしまう。
「……ムゲン、憎んではいけない。これはきっと余のやり方が間違っていたのだ。もっと上手い方法があったはず。平和は、必ず築ける」
「へ゛い゛がぁ、わ゛じは゛」
「いつか、君にも分かる、永く生きよ、そして愛を、知、て」
わしは冷たくなった陛下へ、涙を捧げ続けた。
◇
百年が過ぎ、わしは魔王クオル様に仕えていた。
ニューズ様亡き後、わしは誰もが知る名のある戦士となっていた。
暗黒領域を放浪し続け鍛え続けたおかげだろう。
クオルは故郷アスモデウ出身の魔王だ。
同郷と言う事もあってか、わしは初対面から気に入られ、わしも彼を気に入ったので仕えることにした。
クオル様はニューズ様と違い、冷酷な御方だった。
ただ、失敗した者には必ず訳を尋ねる性格で、挽回のチャンスをきちんと与える御方でもあった。
加えて品があり、合理的でありながら感情を汲むだけの王の器があった。
ニューズ様は素晴らしい魔王であったが、クオル様も引けを取らない主君とわしは感じていた。
ある日、わしは恐ろしく強いヒューマンと出会う。
「貴様、さては勇者だな」
「そう言う貴様は魔王の配下か」
「名はムゲン、クオル様の懐刀よ」
「相手に不足なし!」
相手は女だった。
今まで見た中で一番の美しさ。
不覚にも戦いの最中、何度か目を奪われてしまった。
勇者の名はデオリカ。
ヒューマン共はまた飽きもせず送り込んだのだ。
戦いは数時間に及んだ。
勝敗を決する頃には日は沈んでいた。
「くっ、殺せ」
「そうさせてもらう」
もう二度とあのような過ちは犯さないと決めていた。
ここで殺す。
「……どうした、早く殺せ」
「わしには、棘が刺さっている」
「は?」
「ニューズ様の、平和と言う棘が」
あの方の死に際の言葉が思い起こされたのだ。
もしかしたらわしが、平和への道を作れるかもしれない。
あの方の最後の言葉を聞いたわしが、成し遂げなければならない。
わしはその女を、人目の付かない場所で介抱してやることにした。
◇
数ヶ月が経過し、わしは頭を抱えていた。
部屋には、お腹を幸せそうに撫でるデオリカがいる。
わしはやってしまった。
男ならみな通る道だが、わしの場合は致命的な過ちだった。
介抱する内にデオリカがわしに好意を抱いてしまったのだ。
わしも彼女のことは異性として興味はあった。
彼女ほど魅力的な女性は他に知らなかった。
クオル様になんと申し開きをすれば。
想像しただけで震える。
忠誠を誓った以上、逃げるわけにはいかない。
かといって彼女とそのお腹にいる子供を殺すこともできない。
詰んだ。
そして、彼女は一人の男の子を産んだ。
◇
「パパ、ほら、兎を狩ってきた」
「大物だな」
男の子はすくすく育った。
だが、この家にデオリカはいない。
彼女は赤ん坊を産んでしばらくして、どこかへと旅立ってしまった。
わしはと言うと、子育てに忙しくてクオル様にも会いに行っていない。
一応、子供ができたのでしばしのいとまをもらいたいと、報告だけはしていた。
ただ、ここのところきな臭い感じもしている。
クオル様が戦争の準備を開始されたようなのだ。
「また考え事?」
「お、おお、すまん。何か話があったんだろう」
夕食時にぼーっとしてしまった。
ここのところ頻繁に物思いに耽ってしまう。
「あのさ、ママってどこにいるの」
「ママは……旅をしているんだ。何度も言っただろ」
「でも名前も教えてくれないじゃん。顔だって」
「顔か。わしに絵の才があればな」
「パパってへたくそだもんね」
余計なことを言う息子の脇をくすぐる。
デオリカ。
どこで何をしている。
息子は会いたがっているぞ。
◇
雨の降る嫌な日。
わしは窓から外を眺めていた。
「……あれは人?」
土砂降りの中、わしは人影を見た。
気になって外に出れば、それは血にまみれたデオリカだった。
「ムゲン、ああ、ムゲン、ずっと会いたかった」
「今までどこにいた!? この血は!?」
倒れる彼女を抱き留める。
デオリカは疲れ果てていて、身体には無数の傷跡があった。
温かく柔らかいはずの彼女の肌は、堅く冷たい。
嫌な予感があった。
「ごめんなさい、クオルを倒してしまった」
「なんだとっ!?」
「祖国に戻って戦い以外の道を探したわ。でも、誰も耳を貸そうとせず、それでもなんとか交渉の席に座らせたの」
「…………」
「あともう少しだったの、魔王が戦争の準備をしなければ」
「お前は、ずっとわしの言葉を」
クオル様は合理的な方だ。恐らく戦争を望んだのは魔族の民。
魔族はヒューマンを恐れている。
表には出さないが、常に根絶やしにされるのではないかと恐怖している。
だから魔王にすがる。
「一つ、勝ち取った物があるわ」
「それは……?」
「魔族との交流よ。私の祖国はグレイフィールドなんだけど、国王陛下が、公にしない約束で交流を許してくれたの。いつか、わかり合える日が」
「おい、デオリカ!?」
意識が途切れ途切れになる彼女に、心の底から恐怖する。
「あの子、元気にしてる?」
「元気すぎて困っている」
「ふふ、私と貴方の子だものね、あの子は貴方似だから、こっちで立派に育てられるわよね」
「待て、死ぬな。置いて行くなど許さんぞ」
「寿命が違う、から、早いか遅いかだけでしょ」
「それでも許さん! あの子に会わないまま行く気か!」
「永く生きて、愛して、る」
突然、音が聞こえなくなった。
無音の世界でわしは泣く。
愛する者の死を見るのはこれが初めてだった。
苦しくて悲しくて、胸に穴が空いたような感覚だった。
死にそうで死にたくて、重くて冷たい。
デオリカ、愛している。ずっと。
「ママ、ヒューマンだったんだね」
「今まで言えなくてすまん」
「いいよ。最後に会えたから」
仮の墓へ息子と挨拶する。
いずれきちんとした墓へ納めるつもりだが、今はここで我慢してくれ。
「クオル様、倒されちゃったみたいだね」
「そうだな。これでまた無職だ」
「じゃあこの国の王様に仕えたらどうかな」
「ふむ、それも悪くない。ここは故郷、陛下には一度誘っていただいたこともある」
「クオル様の像をパパが建てないとね」
わしは息子の図太さに噴き出した。
そうだ、息子がおかしな疑惑を持たれぬ為に、わしが率先してクオル様の功績を称えなければ。
幸いにもデオリカは男と勘違いされている。
息子の為、だったのだろう、再び出会った彼女は男装していた。
その美しさは些かも変わっていなかったが。
ニューズ様、わしは愛を知ることができたのでしょうか。
貴方の理想の世界への道を、わしと妻は歩むことができたのでしょうか。
「行こう、パパ」
「うむ」
わしと息子は手を繋いで歩み出した。
◇
「こうしてわしは武勲をたて、この国で英雄へと――おや」
ピオーネは寝息を立てていた。
またわしの方が話に夢中になってしまったか。
この子にはまだ難しいのかもしれん。
その割には毎晩聞きたがるのは何故なのだろうかな。
体よく睡眠導入に使われているのか。
ピオーネには、うっすらとだがデオリカの面影があった。
きぃ、ドアが開けられる。
覗くのは息子だ。
「パパ、一杯どうかな」
「もらおうか」
わしは椅子から立ち上がり、部屋を出た。
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